戦後、元新京阪線は阪急の傘下となったが、戦後まもない時代に元荷物電車などの電装品を用いて千里山線や嵐山線用の高速運転を必要としない支線用に作った電車である。撮影当時は千里山線はニュータウンによる編成の長大化により、当時の1500V区間唯一の支線である嵐山線で活躍した。廃車後は広島電鉄鉄道線で、窓配置を改造のうえ活躍した。もちろん今はない。 ’65.7 桂 P:永野晴樹