鉄道ホビダス

2007年2月アーカイブ

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なんともショッキングなニュースが飛び込んできました。一昨日現状をご紹介したばかりの“鹿島のカバさん”ことDD901が解体されてしまったのです。私が現地を訪れたのが25日の日曜日。なんと翌26日の月曜日には解体されてしまったそうで、あまりのことに言葉を失ってしまいました。
▲再会からわずか一日、無残にもユンボによって解体されてゆくDD901。犬の散歩の近所の人がいつもと同じように通り過ぎてゆく…あまりに悲しい光景。'07.2.26 常陸小川 P:高井薫平

901n226t2.jpgドイツからのお客さんをエスコートして鹿島鉄道に立ち寄り、偶然その凄惨な光景を目にしてしまった高井薫平さんからウナ電メールを頂戴したのを皮切りに、昨日は何人もの方から速報をいただきました。どうやら月曜日朝から構内に乗り入れた重機によって解体作業が始まったようで、まずは貨物ホームに留置されていた2輌のホキが解体され、続いてDD901が俎上に載せられてしまったようです。
▲一緒に留置されていた2輌のホキはすでに解体されてしまったらしく、周囲には車輪や残骸が転がっている。'07.2.26 常陸小川 P:高井薫平

901n12.jpgまさか25日夕方にその姿を見たのが永遠の別れになろうとは思ってもみませんでした。ご紹介したように、土曜日にはボランティアの皆さんの手によって化粧直しが行われ、見違えるように綺麗になっていただけに、わずか二十数時間後の運命の暗転には絶句するしかありません。
▲一昨日のブログでご紹介したこの日曜日の姿。まさか二十数時間後に解体されてしまうとは…。'07.2.25 常陸小川 P:名取紀之

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すでにDD902は再就職先に運ばれて鹿島の地を去っており、今回DD901が解体されたことによって、開業以来14形式15輌の機関車が行き交った鹿島鉄道線上から、ついにすべての機関車の姿が消えてしまったことになります。
▲常陸小川の側線手前にはご覧のような空き地が広がっている。このスペースに乗り入れてきた重機によって52年の生涯に終止符を打たれるとは思いもせず、陽だまりに佇むDD901。'07.2.25 常陸小川 P:名取紀之

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先日も記しましたが、DD901とは個人的にも数え切れないほどの思い出があります。関東鉄道時代、常総線・龍ヶ崎線・筑波線・鉾田線の4線にはそれぞれ試作要素の強い個性豊かなディーゼル機関車たちが分散配置されていました。
▲DD901の重要な任務のひとつは石岡の機関区裏手にあった日本アルコール販売㈱専用線(1.1km)へのタンク車の押し込みだった。石岡駅構内からスイッチバックする形で東側に延びるこの線はかなりの急勾配で、なぜかいつもDD901が仕業についていた。1987(昭和62)年6月12日を最後にこの専用線は使われなくなり、鹿島参宮時代からのシンボル的存在だったこの巨大な煙突も今では見ることはできない。'80.2.12 石岡(日本アルコール販売線) P:名取紀之

901mono2n.jpg常総線には日車のロッド式セミセンターキャブ機DD502、龍ヶ崎線には珍しい東急車輌製のDB11、筑波線には三菱のロッド式35tBB型機DD501、そして鉾田線には元国鉄DD42のDD901といった具合です。なかでも運転整備重量51.6tと圧倒的な体躯をもつDD901の存在感は群を抜いており、その愛らしいスタイルとともに人気も一入でした。当初配置されていた常総線から鉾田線(現在の鹿島鉄道)に移ってきたのが1974(昭和49)年秋。それから1988(昭和63)年春に廃車となるまで、足かけ15年にわたってロッドの音を霞ヶ浦湖畔に響かせ続けていました。
▲オーバークール防止のためのラジエータ・マスクを付けたDD901の冬姿。'80.1.31 石岡 P:名取紀之
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▲DD901(DD42)の生涯。(本誌'88年12月号=No.60所収「鹿島のカバさん」より)
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カバが大きなあくびをしたような長閑な面構えを見て近所の幼稚園児が名づけたという“鹿島のカバさん”。昭和30年代初頭に覇を競った国鉄試作ディーゼル機関車唯一の生き残りだっただけに、かえすがえすもその消失が残念でなりません。

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▲鉾田に向けて玉造町を発車してゆくDD901。鉾田線にはこの丸みを帯びた年代物のディーゼル機関車の姿がよく似合った。玉造町 P:名取紀之

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鹿島鉄道で現在運用に就いている気動車は車齢の若い順にKR-500形4輌、キハ430形2輌、キハ714形1輌、キハ600形1輌の4形式合計8輌。訪れた日曜日は幸運にもこのうちキハ714を除く3形式の走行シーンを目にすることができました。
▲霞ヶ浦と筑波山をバックに快走するキハ430形2連17列車。DMF13Cの軽やかなエンジン音が湖を渡る風にのって聞こえてくる。'07.2.25 浜?玉造町

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この4形式のなかでも常に注目を集めているのが車齢71年、1936(昭和11)年生まれのキハ601です。1歳年下の僚車キハ602とともに、戦前の鉄道省気動車の代表形式キハ07の生き残りとして全国的に有名な601ですが、この日の午前中は運用に入ることなく、ひょっとすると今日は動く姿が見られないのではと心配させられました。ところが幸いなことに、石岡14時30分発の25列車に充当され、その折り返しの28列車では、傾きかけた冬の西日に輝く霞ヶ浦をバックに快走する姿を拝むことができました。
▲終点鉾田に到着しようとするキハ601。かつては貨物設備や駐泊設備を備えていた構内も今や往年の面影はなく、両面のホームに1線が入るのみとなっている。'07.2.25 鉾田

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▲25列車で到着後、ホームで発車を待つ28列車のキハ601。1936(昭和11)年生まれ、つまりは車齢71年のわが国最古参の現役気動車である。'07.2.25 鉾田

kashima32n.jpg聞けばキハ602は当面は運用を離脱してしまっているそうで、DMH17+TR29台車の組み合わせを体感できるのはこのキハ601のみとなってしまっています。RMライブラリー『キハ07ものがたり』によれば、601は鉄道省のガソリン動車キハ42032として1936(昭和11)年10月26日に落成、戦後は一時天然ガス動車キハ42205となったものの、ディーゼル機関に換装後キハ42528、改番後はキハ07 29と目まぐるしく変わり、結局、東海道新幹線開業の1964(昭和39)年3月30日付けで長野区で廃車。国鉄除籍後は鹿島鉄道の前身である鹿島参宮鉄道に払い下げられてキハ42503となり、さらにキハ601に改番されて今日に至っています。鹿島入りしてからも1972(昭和47)年まではキハ07特有の半流線型前面を保っていました。
▲キハ601の側面の検査標記。今となっては3月以降の標記が悲しい。'07.2.25 鉾田

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この日キハ601が充当された列車は往復ともかなりの乗車率で、車内は最後の“キハ07”の走りっぷりをビデオに収めようという人たちで賑わっていました。どうやら乗車を楽しむのを第一義としている方にはセミクロスシートのKR-500形の方が人気が高いようですが、コアな車輌ファンにとってはこの601の人気が一番のようです。
▲冬枯れの雑木林をバックにキハ601が戻ってきた。この森が新緑に彩られる頃にはもうこの光景は見られない。'07.2.25 借宿前?巴川

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▲常陸小川で顔を合わせたKRたち。ともに正面には惜別のマークがつけられている(左)。右は常陸小川ホームで見つけた小手荷物扱い当時の台車。'07.2.25 常陸小川

kashima33n.jpg思い返せば鹿島鉄道(関東鉄道鉾田線)を泊まりがけで撮影に来たことはありません。いつも夕暮れとともに石岡に戻り、そのまま帰宅することもあれば、夜行で常磐線を下ってどこか次の訪問地に行くというパターンでした。それだけに鹿島のラストシーンは時代を問わず、私の中では桃浦あたりの夕景でした。今回もその例に漏れず、遥か筑波山をシルエットにして沈んでゆく夕陽を拝みつつ、湖畔を駆ける最後の列車を見送りました。
廃止まで残すところ4週間あまり。それまでにもう一度、最後のお別れをしに訪ねてみようと思います。
▲霞ヶ浦の湖畔に位置する桃浦は実に気持ちの良い駅だ。古びた駅名標は鹿島参宮時代からのものだろうか…。'07.2.25 桃浦

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▲鹿島鉄道訪問のラストは決まって霞ヶ浦に沈む夕陽をのぞむシーン。この日も雲ひとつない夕空の下、湖面が白銀の輝きを見せた。'07.2.25 桃浦?小川高校下

●ハンディカムによる安直なものながら動画をご用意しましたので、一昨日の鹿島鉄道のハイライトシーンをご覧ください。なお、今回もMacでは再生不可能のようです。Macユーザーの皆さん、まことに申し訳ありません。
動画:キハ601名残の路を行く
※上をクリックするとファイルを読み込んだのち再生します。音声付きですので、クリックする前に周囲の環境をご確認ください。

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昨日の日曜日は本誌今月号で「鹿島鉄道よ、永遠に!」をご発表いただいた「カシノリ」の武田忠雄さんのご案内で、廃止まであと一ヶ月余りとなった鹿島鉄道を訪問してきました。
▲お馴染みの石岡駅上り方の跨線橋から朝の鹿島鉄道石岡駅構内を一望する。構内の立ち入りは禁止されているが、この自由通路からは手にとるように構内を見渡せる。DD902の姿が見えないことに注意。'07.2.25 石岡

kashima31n.jpg鹿島鉄道を訪れるのは昨年5月の「こいのぼり号」以来ですから約十ヶ月ぶりとなります。まずは例によって石岡駅上り方の自由通路となっている跨線橋から構内の様子を一望してみますが、なにひとつ変わっていない昔ながらの構内の雰囲気とは裏腹に、眼下の車輌にはすべて惜別のヘッドマークが付けられており、ついにこの鉄道がなくなってしまう現実を実感せざるを得ません。
▲すでに運用中の全車輌に惜別のヘッドマークが付けられている。'07.2.25 鉾田

kashima24n.jpgヘッドマークは下り方は「ありがとうございました 83年間」、上り方は「みなさまさようなら 83年間」と作り分けられ、いずれも「2007.3.31鹿島鉄道」の文字が添えられています。また沿線各駅には廃止に関する告示が張り出されており、利用者ならずとも、1970年代から幾度となく訪ねた私のような者にとっても万感迫る思いがあります。
▲常陸小川駅の待合室に掲げられた手書きの廃止告知。こんなところにも鹿島鉄道の皆さんの生真面目さがにじみ出ている。'07.2.25
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▲珍しくもキハ430形の2連が運用に入った。冬枯れの丘陵地帯に赤と緑の2色のデュオトーンが良く映える。'07.2.25 玉造町?浜

kashima23n.jpgところで昨日はちょっとしたサプライズがありました。通常は2連となる機会の少ないキハ430形2輌がペアを組んで17レ→20レの運用に充当されたのです。グリーンとクリームのツートンに塗られたキハ431が下り方に、赤とクリームのツートンに塗られたキハ432が上り方に連結され、鉾田までの全線を一往復しました。ご存知のようにこのキハ430形は今はなき加越能鉄道加越線の生き残りで、湘南顔が良く似合う全長16.5mの小柄な気動車です。これ以上ないほど晴れわたった霞ヶ浦湖畔をゆく2輌のキハ430形を見ていると、この鉄道が消えてゆく現実になんともやりきれない思いが募ります。
▲沿線きっての“お立ち台”である浜の国道オーバーパスはご覧のとおりの賑わいぶり。ラッキーにもキハ430の2連が運用に就いたとあってシャッターにも力が入る。'07.2.25 玉造町?浜

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▲常陸小川駅構内に展示されているDD901。この角度から見るとまるで現役のようだ。'07.2.25 常陸小川

kashima22n.jpg常陸小川駅構内には“カバさん”ことDD901が保存されており、ちょうど前日に関鉄レールファンCLUBの皆さんが手入れをされたばかりと聞き、立ち寄ってみることにしました。私にとってこのDD901とは忘れられない思い出が多く、再会するたびに懐かしい思いに包まれます。ちなみに、武田さんから伺ったところでは、最後まで現役で残ったDD13タイプのDD902は先週自走でここ常陸小川まで回送され、トレーラーに積み込まれて他所の専用線へと売却されていったそうです。どうりで石岡構内に姿が見えなかったわけです。私にとってはあの「こいのぼり号」での姿が見収めとなってしまったわけですが、次の嫁ぎ先が見つかっただけ救われた気もします。
▲つい先日ボランティアの皆さんの手によって手入れがなされたとあって、ご覧のように状態は良い。'07.2.25 常陸小川

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▲常陸小川駅の側線にはかつてバラス輸送に使われていたホキも留置されたままとなっている。'07.2.25 常陸小川

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▲日曜日とあって終点鉾田駅もご覧の賑わいぶり。地元の方々が野菜を配るなど心温まる光景も見られた。'07.2.25 鉾田

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▲鹿島参宮鉄道時代からの鉾田駅正面玄関(左)とホームに掲げられた地元高校生による「かしてつを救え」の手作り横断幕。'07.2.25 鉾田

それにしても廃止まで40日を切ったとあって、どの列車も乗り納めをしようという人たちで満員なのには驚かされました。廃止記念の全駅硬券入場券セット2500円也も飛ぶような売れ行きで、これまでにも幾度となく繰り返されてきた光景ではありますが、この賑わいが“日常”であったならば…と空しい夢想を抱かずにはいられませんでした。

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▲冬に逆戻りしたかのような寒風吹きすさぶ一日だったが、そのおかげもあってか、普段は午後になると霞みはじめる筑波山が日没までくっきりと見えていた。写真は19列車のKR。'07.2.25 浜?玉造町

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動画:キハ430形2連が行く
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生まれ変わる都電荒川線。

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東京都交通局は都電荒川線の活性化策として、来る5月から昭和初期の東京市電をイメージした特別仕様の新型車を導入すると発表しました。あわせて三ノ輪橋停留場を地域の活性化のためレトロ調のデザインで整備する予定で、この春から都電荒川線は大きくイメージチェンジすることとなります。
▲9001の番号が見てとれる都電の新型“レトロ調”車輌。集電装置はワンアーム・パンタグラフのようだ。(東京都交通局提供)

toden2n.jpgまず注目されるのは都電荒川線としては実に14年ぶりとなる“レトロ調”の新車です。レンダリングに見られるようにダブルルーフ、丸窓、エンジとクリームのツートンカラー、木目調で統一された床と壁面、真鍮風の手すり、さらには電球色の半間接照明の採用など、従来の一般営業用車とはまったく異なる、都電としては初めてのコンセプトカーです。もちろんレトロな外観とは裏腹にVVVFインバータ制御や速度制御装置、デッドマン装置、液晶モニターなど最新の技術を活用した車輌となる予定です。
▲木目調の室内に電球色の温もりがマッチする室内。(東京都交通局提供)
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一方の三ノ輪橋停留場のリニューアルは「昭和30年頃のイメージを統一コンセプト」とし、ここに掲げた完成予想図のように停留場全体をレトロ調に整備する計画です。第一期工事として、まずホーム、時計塔、ガス灯風の照明などを整備し、続いて第二期工事として公衆トイレ、地域情報コーナーなどを整備する予定とのこと。もちろん、リサイクルを想定した資材の選定、省エネルギータイプの照明の採用など、環境負荷の低減やメンテナンス負担の軽減にも配慮がなされています。第一期工事は本年5月、第二期工事は本年秋以降の完成予定と発表されています。

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▲三ノ輪橋停留場のリニューアル完成予想図。さながら「昭和」のテーマパークのように生まれ変わる。(東京都交通局提供)

ついでにもうひとつ、ファンにとっては嬉しい発表がありました。この都電荒川線の活性化策の一環として、荒川電車営業所内に旧型車輌2輌を展示保存する施設が整備されることになったのです。新たに整備のうえ保存・展示されるのは5500形5501号と7500形7504号の2輌。ことに「PCCカー」(Presidents' Conference Committeeの略)と通称された1954(昭和29)年製の5501号は、米国から技術導入を図った低騒音・高加速の日本の路面電車史に残る名車で、ながらく荒川車庫の奥で非公開のまま留置されていただけに、実に嬉しい配慮です。車輌に沿って停留場風のウッドデッキを設けるとともにイベントスペースも確保されるそうですので、5月以降はたびたびこの2輌に接するチャンスが訪れるはずです。

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昨年末に4巻目となる「別巻」が完成し、めでたくシリーズが完結した『小田急電車回顧』の完結記念祝賀会が経堂駅前のレストランで開催され、販売チャンネルとしてお手伝いした縁で私もお招きにあずかりました。
▲シリーズに写真を提供された方を中心に18名の小田急ファンが集って開催された完結記念祝賀会。途中でゴードン・デービスさんの未発表のカラースライドも上映され注目を集めた。シリーズも完結し、これらのカラーポジは近々アメリカに返送されることになるという。'07.2.24

kyoudou4n.jpg振り返ればこのシリーズの発案者である宮崎繁幹さんから出版のご相談をいただいたのは3年ほど前のことでした。これまでにも小田急関連の写真集は数多く出版されていますが、まだまだ多くの貴重な写真が一般に知られることなく眠っており、それらの写真を一定の大きさでしっかりと後世に残してゆきたい。ついては販売チャンネルとして発売元になってもらえないかというお申し越しでした。
▲編者を代表して開会の挨拶に立たれる宮崎繁幹さん(右)。'07.2.24

kyoudou3n.jpg正直言ってこれまでにないほどマニアックな写真集だけに、はたしてどれほどの反響があるものか図りかねていた部分もありますが、いざ第1巻が上梓されると大変な評判で、販売側としても小田急ファンの皆さんの熱い思いを改めて再認識することとなりました。当初は半年インターバルで3巻というプランでしたが、ご覧になった皆さんからの新たな写真提供のお申し出が相次ぎ、結局刊行途中で「別巻」を追加した全4巻シリーズとなりました。
▲会場となったフレンチ・レストランのそこかしこには参加者の皆さんが持ち寄った模型や写真が…。'07.2.24

kyoudou2n.jpg今日の完結記念祝賀会で挨拶に立たれた宮崎さんが万感の思いを込めて語っておられたのは、この本を核とした人の繋がりです。刊行回数を重ねるごとに写真提供の輪も広がり、4巻目となる「別巻」では実に30人以上の方が参加されるまでになりました。さらには、コダクロームによる鮮やかなカラー写真の数々を提供されているGordon Davis(ゴードン・デービス)さんをはじめ、米国からも3名の方がこのシリーズに参加しておられ、深谷則雄さん、宮崎繁幹さん、八木邦英さんの3人の編者の皆さんを中心とした人の輪こそがこのシリーズを支えてきたことを改めて思い知らされました。
▲30年以上前にデパートで市販されていたという可愛らしい木製のデキ1010。'07.2.24

この『小田急電車回顧』シリーズ、現在第1巻が品切れ中ですが、近日中に若干部数が入荷予定です。シリーズが完結をみた今、全冊を揃えたいという声もあり、宮崎さん保管分のロットを放出いただいての最後の販売となります。どうかこの機会をお見逃しなく…。

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第1巻:小田急開業当時から戦前までに登場したHB車群に加え、小田急の戦後復興を支えた1800系を収録。
第2巻:小田急の戦前に登場し、戦後の復興期を支えた1600系・1910系・1700系などのABF車を収録。
第3巻:第二巻に収めることの出来なかった、ABF車の2100系と、2200系以降の高性能電車群を収録。
別巻:・荷物電車・ピンチランナー・ディーゼルカー・電気機関車・思い出のひとこまを収録。

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先日の急行運転開始に伴う大井町線への新型車輌投入に続いて、今度は池上線・多摩川線にも新型車輌を投入する計画が東急電鉄から発表になりました。現在、池上線・多摩川線系統には1000系13本、7700系12本、7600系3本の合計28編成(いずれも3輌編成)が配置(雪が谷検車区所属)されていますが、このうち19編成が新型車輌に置き換えられることになります。
▲今回発表された多摩川線・池上線用新型車輌の完成予想図。エクステリアデザインも従来の東急車のイメージを塗り替えるものとなる。

ooimachifig2nn.jpg今回発表されたレンダリングによれば、大井町線用の新型車輌とは3扉で車体長が異なるのはもちろんのことながら、前面デザインも丸みを帯びたものとなっています。なおかつカラーリングは従来の東急車のイメージを一新する斬新なもので、東急電鉄のコーポレートカラーであった赤系統の色彩が使われていないのも注目されます。さらにこのレンダリングをよくよく見ると前面には貫通扉が描かれており、これも注目でしょう。詳細はまだプレス発表されていませんが、「人と環境にやさしい車両」を基本コンセプトとし、省エネルギー・低騒音・バリアフリーを実現、さらに車輌故障による運転支障の減少を図るべく故障に強い車輌となるとのことです。車内設備も低めのつり革・荷棚や液晶モニターなどの最新装備が予定されています。
注目の導入時期ですが、2007年度中に2編成、残り17編成が2011年度までに増備されるスケジュールだそうです。
▲参考までにこちらは先日発表された大井町線用の新型車輌。車体長はもとより、前面デザインも大きく異なることがわかる。

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寸又峡温泉の保存車たち。

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奥大井の秘境として知られる寸又峡温泉は、大井川鐵道千頭駅から大井川の支流・寸又川を遡ること約40分、文字通り峡谷の中に佇む秘湯です。この寸又峡温泉の入口に千頭森林鉄道で活躍していたディーゼル機関車と客車が保存されています。
▲寸又峡温泉入口の駐車場横に展示されている千頭森林鉄道の編成。先頭は協三工業製のDB12。'06.5.4

sumatakyou3n.jpg寸又川流域の木材は、かつて筏を使って大井川河口まで送られていたそうですが、昭和のはじめに寸又川に発電所(ダム)が建設されたことによって筏による流送が不可能となり、その代案として建設されたのが沢間?千頭堰堤間を結ぶ森林鉄道でした。その後この千頭森林鉄道「本線」となる20.418kmを核にして支線を伸ばし、最終的に1968(昭和43)年4月に廃止となるまで35年間にわたって活躍を続けた東京営林局管内随一の森林鉄道です。
▲編成の末尾で保存されている富士重工製モノコック式運材台車。'06.5.4

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▲東京営林局きっての大森林鉄道(1級線)だけに、客車も運材台車流用ではなく独自の台車を履いた立派なメーカー品が用意されていた。一見すると木曽のB型14号などと同形に見えるが、ドア配置も台車も異なる。'06.5.4

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寸又峡温泉入口の駐車場に保存されているのはこの千頭森林鉄道で働いていた協三工業製の4.8t機「DB12」と岩崎レール製の客車、それに運材台車の編成です。展示場には屋根があり最悪のコンディションは避けられていますが、状態はそれほど良いとはいえません。機関車は先日「津軽森林鉄道跡をゆく」でご紹介した津軽森林鉄道のものとほぼ同形機ですが、客車の方は1段下降窓を持つこの森林鉄道独自のタイプです。いかんせん一目見にゆくだけでも千頭から2時間は取らねばならないとあって、おいそれと足を向ける気にはならないかもしれませんが、寸又峡温泉に浸かって大井川鐵道の撮影などという際は、この保存車たちもぜひ訪ねていただければと思います。
▲かなり荒廃はしているものの客車内も見学できる(右)。左は機関車のキャブ内。こちらも計器類は失われてしまっている。'06.5.4

せっかくですから昭和32年度時点での東京営林局の森林鉄道現況とその後の自動車道切替計画をお目にかけましょう。今回ご紹介した千頭森林鉄道は戦前は帝室林野局名古屋支局の所管でしたが、戦後の林政統一後は東京・神奈川・千葉・埼玉・静岡の各都県をエリアとする「東京営林局」の所管となりました。この表からは管轄する1都4県の森林鉄道(森林軌道)の昭和32年年度末時点での現況と、以後十年間の計画を読み取ることができます。秩父営林署の中津川森林軌道や平塚営林署の大又沢森林鉄道のように自動車道に転換予定というものもあれば、千頭森林鉄道大間川線のようにこれから新設延長しようというものもあって興味は尽きません。

■東京営林局管内 森林鉄道新設ならびに自動車道切替計画表
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※『林業機械化情報』より抜粋。
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痛恨のC62三重連。

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長いことこの趣味をやっていると、忘れようにも決して忘れられない痛恨のショットというものが必ずあります。ご他聞に漏れず私の場合も痛恨のショットが一枚ならず掃いて捨てるほどあるのですが、その中でも極め付き中の極め付きは、こともあろうにC62三重連の急行「ニセコ」です。
▲35㎜判でまず写した3カット。もうこの時点で編成に纏わり付いた煙にパニック状態。ブローニーのファインダーに目を転じた時点では“忍法雲隠れの術”状態となってしまった。'71.8.22 小沢?倶知安

今から36年前の1971(昭和46)年夏、いよいよ無煙化間近となったC62重連牽引の急行「ニセコ」は、せめて有終の美を飾らせてやろうという国鉄の配慮もあってか、7月18日と8月22日の上り104レ急行「ニセコ1号」小樽?倶知安間のみ、前々補機が連結されて前代未聞の三重連となりました。学生の身とあって学期中の7月18日に渡道するわけにはゆかず、8月22日の三重連を自らのカメラに収めようと津軽海峡を渡ったのです。

hakohon2n1.jpg5時15分、D51重連に牽かれた荷43レでまだ明けやらぬ小沢駅に下車。勇んで倶知安峠を目指すものの、朝の函本は蒸機牽引の通勤通学列車がひっきりなしに行き交い、これを無視して先に進むわけにもゆかず、結局「ニセコ」を迎え撃つ舞台に選んだのは小沢から2キロも離れていないキロポスト202、上平踏切(通称ワイス踏切)付近でした。
▲201.810km地点にあった保線小屋。かつては「峠下中間線路班」と呼ばれた場所で、職員の通勤もしくは現地で生活する職員の子弟の通学用に指定旅客列車が停車したという。「仮乗降場」以外に北海道には「中間線路班」という停車ポイントがあったことは意外と知られていない(『ドキュメント感動の所在地 2』所収「仮乗降場について」参照)。'71.8.22 小沢?倶知安

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今さら思えば赤面の至りですが、この時は二度と巡りこぬ大舞台との思いから“線香”まで持参していました。風向きを「正確」に測ろうというのです。周囲の奇異の目をものともせずに線香を立ててポジションを決定。一昨年このブログの「露払いの二つ目」でも触れた二つ目9600が通り過ぎ、煙の流れ具合も予想通り。さぁ来いC62三重連!とばかりにその時を待ちます。やがて小沢方面の空に狼煙のような煙が上がり、山影を回った途端にまさにジェット音が響き渡って3輌のC62が飛び出してきました。速い! 煙は立ち上るどころか前補機、本務機に纏わり付きながら高速移動してくるではないですか。もうこうなるとパニックです。メインカットは6×6判でワンカット切ったものの、この時点では本務の姿は煙幕の中。どう見ても重連にしか見えない結末となってしまいました。
▲振り向きざまに写したかろうじて3輌がわかる唯一のカット。苦労空しくこの時以来C62三重連は思い出ではなくトラウマと化した。'71.8.22 小沢?倶知安

C62三重連は無煙化前日の9月15日にもヘッドマークを付けて運転されましたが、もちろんこれが最後。当然ながら二度と再び実現することはありませんでした。

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昨年10月に宮田道一さんと村本哲夫さんの共著によるRM LIBRARY86『長野電鉄マルーン時代』を刊行しましたが、その表紙を飾った長野電鉄2000系A編成が、このたび特急運転開始50周年を記念して、その表紙と同じ登場当時のマルーンに白帯の塗装に復元され、2月17日から運転を開始しました。
▲高社山をバックにした名所・夜間瀬川橋梁(157m)に伝統のマルーン塗装が戻ってきた。ちなみに例年なら雪深いはずのこのポイントにもまったく雪がない。'07.2.17 信濃竹原?夜間瀬 P:高橋一嘉

nagaden003n.jpg同車は1957(昭和32)年の登場で、A?D編成と呼ばれる3連4本が製造されました。特急運用の見直しや昨年12月の1000系“ゆけむり”(もと小田急10000形HiSE車)の営業開始によりB・C編成はすでに引退していますが、A・D編成は現在も朝方と夕方以降の特急列車(B特急)を中心に、検査時以外は2編成がフル稼働する現役特急電車です。運転初日の17日、編集部の高橋君がプライベートに長電を訪れ、このマルーンに塗られた2000系に対面してきましたので、さっそく写真を借りてレポートをお送りしたいと思います。
なお、姉妹ブログ「台車近影」にも同車の詳細な画像がアップされておりますので、こちらも合わせてご覧ください。
▲半世紀前のものとは思えない局面を巧みに使ったデザインにマルーン塗装が良く似合う。'07.2.17 朝陽 P:高橋一嘉

nagaden004n.jpg今年は暖冬の影響で、この季節にも関わらず湯田中付近でもほとんど雪がありませんが、運転開始日の2月17日は晴天に恵まれ、多くのファンが早朝から訪れ、見事に復元された“マルーン”のA編成の撮影や乗車を楽しんでいました。昨年末から運用に就いた1000系“ゆけむり”は週末ということもあってたいへんな人気で、満席どころか立ち客も出るほどの賑いぶりで、改めて“ゆけむり”効果を実感しました。
▲1000系“ゆけむり”と顔を合わせたA編成。夏には3色そろい踏みが見られるはずだ。'07.2.17 須坂 P:高橋一嘉

7月には残るD編成が、今度は一時代前の赤とクリームのツートンカラー(通称:りんご色)に復元される予定とのこと。2000系の塗装として最も歴史が長く、現在30代以上のファンには一番馴染みのある塗装と思われ、これが待ち遠しい方も多いでしょう。また、3月には記念乗車券が、5月には記念写真集の発売も予定されており、現在写真募集が行われています(詳しくは長野電鉄公式ホームページをご覧ください)。

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▲旧塗装時代のC編成。マルーン時代のカラー写真は極めて少なく、多くのファンにとってもっとも馴染み深いのがこの塗色ではなかろうか。'85.3.31 桜沢?都住 P:名取紀之
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なお、長野電鉄の列車毎の使用車種は、現在レールファン長電に掲載されています。まだ陽が短い季節、午前の運用は撮影、夕方の運用で“ロマンスシート”の乗り心地を楽しんでみるのはいかがでしょうか。

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JR北海道は現在781系で運用している特急「ライラック」の置き換え用として、「スーパー白鳥」で使用している789系をベースとした789系1000番代を製作すると発表しました。投入時期は今年10月に予定されているダイヤ改正。この789系1000番代のデビューと合わせて、現在785系で運用されている「スーパーホワイトアロー」の愛称も、従来の「ライラック」と統一してまったく新しい名称に生まれ変わることとなりました。
▲前面は非貫通となり、シルバーメタリックのボディにエッジを強調したスカートと、より都会的に洗練された印象の789系1000番代完成予想図。(JR北海道提供)

789n2.jpg1980(昭和55)年10月の室蘭本線・千歳線ダイヤ改正にともなって室蘭?札幌?旭川間の電車特急として誕生した「ライラック」は、1992(平成4)年7月の新千歳空港開業にともなうダイヤ改正からは新千歳空港?札幌?旭川間の空港アクセスとして変貌を遂げ、その後は新千歳空港発着の座を後任の「スーパーホワイトアロー」に譲って札幌?旭川間を結ぶ特急として活躍してきました。さらにさかのぼれば1963(昭和38)年6月改正で誕生した函館?小樽?札幌間の気動車急行がルーツで(『列車名変遷大事典』による)、足かけ44年にわたって北の大地を走り続けてきた伝統の愛称名が消えてゆくことになります。
▲回転式シートの一般席。側窓は腰掛2列で1つとなっているため「uシート」車より大きくなっている点に注意。(JR北海道提供)

789n3.jpgさて新製される789系1000番代ですが、在来の789系をベースに一部に731系の部品を用い、前面は非貫通構造となる予定です。塗装は公表されたレンダリングに見られるように都会的でクールな印象のシルバーメタリックを基調色に、JR北海道のコーポレートカラーのライトグリーンと、ライラックやラベンダーの“香り”を漂わせるバイオレットの帯を側窓下に添えてスピード感を表現したものとなっています。
▲4号車に組み込まれる「uシート」車。アースカラーを基調とした落ち着いた室内だ。(JR北海道提供)

5輌編成の編成中にグリーン車は設定されず、かわりに好評を博している「uシート」(指定席)車1輌が組み込まれる計画で、「uシート」の回転式座席には可動式枕、ドリンクホルダー、さらにはパソコン用コンセントも備えられるそうです(詳しくは21日発売の本誌をご覧ください)。
この789系1000番代は5輌編成7本が10月のダイヤ改正から、これから愛称が決まる札幌?旭川間の特急と、札幌?新千歳空港間の快速「エアポート」で785系と共通運用で充当される予定で、これにともなって781系は引退することになります。なお、新愛称はJR北海道が現在募集中で、同社のホームページからも応募を受け付けています。


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さて、レポートを送ってくれた岡山君は、ニュルンベルク・トイ・メッセの翌日、市内にあるDB博物館を訪問したそうで、合わせてこちらの印象記も送ってくれました。今日は引き続きトイ・メッセの「番外編」としてこの博物館の様子をお伝えいたしましょう。なお、ニュルンベルクのDB博物館は別館ともいうべき扇形庫が一昨年秋に火災に見舞われ、このブログでも速報したことがあります。
▲館内の保存車輌展示の一部。歴史的建造物だけに展示スペースはかなり狭隘な印象。'07.2.4 P:岡山英明

pic29n.jpg日曜の朝、DB博物館を訪問しました。ご承知のとおりニュルンベルクはドイツにおける鉄道発祥の地で、博物館の建屋は中央駅の西方2ヶ所にあります。展示内容は1階と2階(欧州式では0階と1階)で、順路を追ってドイツ鉄道の歴史を辿ることができ、3階が逓信博物館と交通博物館の川合製作所製のような大型模型が展示されています。なかには蓄電池式電車の模型もあり、1回の充電でどれくらいの距離を走れるのか興味をひきました。
▲堂々たるDB博物館本館。3階建てのこの本館はあくまでヘッドクォーターで、膨大な保存車輌は焼失した扇形庫をはじめドイツ各地に分散されている。'07.2.4 P:岡山英明

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また特別展として中国の蒸機の写真展示が行われており、思いもかけず前進形や黒龍江省のナロー蒸機の活躍を鑑賞することができましたが、ちゃっかりバックマンのHO中国型車輌も並べて展示してありました。
▲展示車輌にはICEの姿もみえる(左)。右は片側を教材用に切り開かれたカットモデル。'07.2.4 P:岡山英明

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残念なことに各種展示の説明のほとんどがドイツ語のみで、詳しい情報が分からなかったのと、各階にいる学芸員の皆さんも英語があまり得意ではなく、詳しい質問もできませんでした。じっくり見学するには英語のできるドイツ人か、ドイツ語の得意な日本人と同行する必要があるようです。
▲3階は逓信博物館となっている。左は郵便配達用に使われていたというBMWの3輪自動車イセッタ。右は博物館から通りを越えてニュルンベルク中央駅西のヤードへと続く線路。館内展示車輌はこの線路を経由して出入りが可能。'07.2.4 P:岡山英明

pic36nn.jpgところで、火事にあった博物館はどこかと学芸員に訊いてみましたが、本館から2キロ離れた場所にあったとのこと。片言のドイツ語で「ドライキロメタ?・ホイテ・オッフェン?」(2キロ先 今日 開いてる?)と聞くと、両手を大きく横に振りつつ「ナイン・ナイン(いいえ・いいえ)」と言ったあと、何かドイツ語でまくし立てられました。意味は分かりませんでしたが、学芸員の話す悲しそうな顔から絶望的な雰囲気だけは伝わって来ました。罹災車輌や扇状庫の状況については今度取引先のドイツ人が事務所にきた時に読んでもらえるように関連すると思われるWEBページを探しておこうと思います。
▲1階には今ヨーロッパで大人気の日本食(?)レストランもある。看板には“TETSUDO SUSHI”の文字も。それにしても“ミス・サイゴン”の鮨というのはちょっと…。'07.2.4 P:岡山英明
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余談ながら、日曜の朝宿を出発して再度ニュルンベルクに向かう途中、ICEも通る本線を蒸機牽引の列車が北上するのを目撃しました。夜明け直後で天気も悪く写真が撮れるような状況ではありませんでしたが、先日ドイツを訪れた際も同じような体験をしており、一度ならず二度までも本線で蒸機列車に遭遇するとは何か因縁めいたものを感じます。たぶん「次回はしっかり運転計画を調べて走りを撮りに来い」ということなのでしょう。以前教えてもらったドイツ蒸機の運転情報に関するWEBページはこれから定期的にチェックするようにします。

興味深いレポートを送ってくれた岡山英明君に改めて感謝したいと思います。ちなみに今ヨーロッパはかつてないほどの円安ユーロ高。単身赴任も容易ではないと思いますが、健康に留意して頑張ってください。

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▲メルクリンとともに力の入った地元ドイツはフライシュマンのブース。かなり大規模なレイアウトを持ち込んでの展示。'07.2.3 P:岡山英明

pic07n.jpg残念ながら私は今もってこのニュルンベルク・トイ・メッセには行ったことがありませんが、ナローゲージ以外を対象としたヨーロッパのモデル・エキジビションとしてはスイス・ルツェルンの鉄道博物館で開催される「ルツェルン・ショー」に参加したことがあります。このルツェルン・ショーは基本的にエンドユーザー向けのエキジビションとあって、イベントあり、アトラクションありと実に華やいだ雰囲気で、もちろん家族連れの姿も多く見受けられました。それに比して今回の岡山君のレポートを見ていると、ニュルンベルク・トイ・メッセはまったく趣が異なる、まさに“業者内覧会”であることが実感できます。
それでは引き続き会場内の様子を紹介してもらうことにしましょう。
▲フライシュマンの会場展示レイアウト。熱心にのぞき込んでいるのはファンではなくバイヤーの皆さん。'07.2.3 P:岡山英明

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▲リマやジューフなどの共同ブース(左)。右はちょっとお洒落な感じのディスプレイのべモのブース。'07.2.3 P:岡山英明

pic12n.jpgこのニュルンベルク・トイ・メッセで印象的だったのは、鉄道模型に限らず直に手で触れられる展示が多いことです。バイヤーさん向けという趣旨からすれば当たり前かもしれませんが、一般客相手であれば子供がさわって壊してしまいそうなディスプレイも少なくありませんでした。
▲ドイツの老舗鉄道誌・アイゼンバーンクーリエのブース。'07.2.3 P:岡山英明

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▲日本のナローゲージ・モデラーには懐かしい響きのエガーバーン(EGGER-BAHN/スイス)の展示。現在はベモをディストリビューターとしている。眺めていると店主がニコニコとやってきて是非ともウェブサイト(下記)を見てくださいとすすめられたという。ちなみに値段は税別527ユーロとかなり高め…。'07.2.3 P:岡山英明
http://www.egger-bahn.ch

また、会場全体を回って感じたことですが、鉄道模型を展示する4Aビルの“人口密度”が全館のうちで一番高く、熱心に買い付けに来ているバイヤーの方々が際立って多いのではないかと感じました。やはりこちらヨーロッパでも鉄道模型はあらゆるトイの中で一番“熱い”アイテムであると再認識した次第です。ご参考までに鉄道以外の展示もいくつかお目にかけましょう。

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▲昔ながらのペダルカー(左)と画材屋(右)。14棟のビルに100万種のトイ…というだけあって、ほんとうにありとあらゆるものがある。'07.2.3 P:岡山英明

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▲ビニーベービーで有名なTy,Inc.(左)といわゆるコスプレ屋さん(右)。ヨーロッパでもコスプレが流行っているのか…? '07.2.3 P:岡山英明

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▲こちらはコスプレではなく昔ながらの着ぐるみ屋さん(左)。いっぽう右は分かり難いかも知れないが、何と人形の各種「目」を専門に取り揃えているお店。'07.2.3 P:岡山英明

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毎年この季節『RM MODELS』誌上で新製品速報をお伝えしているドイツのニュルンベルク・トイ・メッセですが、鉄道模型が扱われるエキジビションとしては世界最大の規模にも関わらず、意外とその実態は知られていません。それもそのはず、実はこのトイ・メッセ、世界中のバイヤーが集まる完全な“業者内覧会”で、エンドユーザー向けのイベントではないのです。
▲一番目立つ場所に陣取っているのはメルクリンの展示レイアウト。ただ来場者は“プロ”ばかりとあって、歓声をあげる子供たちの姿はない。'07.2.3 P:岡山英明

pic14n.jpg今年はいつも誌面での取材をお願いしているPPLの皆さんとは別に、大学の同期生でベルギーに単身赴任中の岡山英明君がクルマを飛ばして様子を見てきてくれましたので、新製品情報とは別の“素人目線”(失礼!)でのメッセ・レポートをお届けしたいと思います。ちなみに岡山君の会場パスは、昨年のナローゲージ・コンベンションでご一緒させていただいた縁で関水金属の加藤 浩社長がご用意くださったそうで、私からも改めて加藤さんにお礼申し上げたいと思います。
ではさっそく岡山君のレポートで“カウンターの外側”から見た“もうひとつのトイ・メッセ”をご覧ください。
▲会場東口の外観。日本に例えるならば国際展示場のような場所か…。'07.2.3 P:岡山英明

pic16n.jpgニュルンベルクは人口50万人程で、高いビル群もないこぢんまりとしたドイツ中部・バイエルン州の中都市です。今回訪問した「ニュルンベルク・トイ・メッセ」(編者注:ドイツ語表記はSpielwaren messe=遊びに関する商材の見本市、英語表記だとInternational Toy Fair Nurnberg 2007)は、公式ホームページによると「100カ国以上から約8万人の業界関係者が訪れ、60カ国、2785社の出展者が6万件の新商品を含む100万種類の商品を展示する」見本市とのことで、我々が親しんでいるナローゲージ・コンベンションとは参加者数も規模においても全く比べ物にならない世界的な展示会です。
▲東口の入口、土曜朝10:30頃の様子。閑散としているが、多くのバイヤーの皆さんは開場と同時に入場してすでに商談中。'07.2.3 P:岡山英明

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▲われらがKATOのブース。エンドユーザー向けとは異なりブースの外観はあっさりしている。'07.2.3 P:岡山英明

事実、私が昨年10月にホテルの手配をした時には市内のホテルはどこも満杯で、今回の宿はニュルンベルクから北へ50キロほど離れた町でしか確保できませんでした。それでもホテルではメッセのIDをぶら下げた宿泊客を見かけましたので、参加者の多くが近郊にあふれ出していたのでしょう。

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メッセ会場はニュルンベルク中央駅から南東、Uバーンで5つめの郊外に位置し、14の展示館群と4つのセンタービルを擁する広大なコンベンション・センターです。展示は鉄道模型はもとより、飛行機、ヘリコプター、船、自動車、ミリタリーの模型から風船にロボット、ぬいぐるみ、果てはコスプレ衣装からロバの着ぐるみまで、ありとあらゆる「おもちゃ」が14棟のビルで展示されていました。
▲手前がLGB、奥がメルクリンのブース(左)。右はメルクリンのジオラマで、最近はヨーロッパでもシーナリィにかなりのウェイトを置いているのが見てとれる(右)。'07.2.3 P:岡山英明

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鉄道模型は4Aの会場を中心に展示され、地元のメルクリンやフライシュマンLGBのブースを真ん中にして、欧州系の各メーカーやバックマンなど米国勢、それに日本からはKATOがブースを構えていました。
▲テンダーに「テンダー」というチョコバーをあしらったバックマンの洒落の展示。機関車は何と「満鉄」のダブサだ(左)。右はそのバックマンのブース。中は商談ルームになっている(右)。'07.2.3 P:岡山英明

pic17n.jpg今回の見学で大変お世話になった加藤 浩社長によれば、このトイメッセは業者専用で、他のエキジビションに見られる週末の一般開放は行われず(ただし昨年より鉄道模型の館(4A) だけ“一般入場が可能な日”が設定され始め、今年は月曜日と火曜日の二日間)、純粋な商業見本市とのこと。
そんな背景もあってか、私がメッセ会場に到着した午前10時には入館しようとする参加者はまばらで、閑散とした入り口付近とは対照的に館内はすごい人でごったがえしていました。大方のバイヤーの皆さんは開場の9時と同時に入館したと思われますが、これも“ビジネス”だけに当たり前といえば当たり前かも知れません。会場内ではスーツ姿の来場者も見られ、各ブースの奥には必ず椅子とテーブルが配置されて、コーヒーを挟んだ商談風景があちこちで見られました。
▲昼食に名物のヴラットヴルシュト(長さ30cmくらいのソーセージで、手が汚れないよう丸いパンに挟んでくれる)を求める列。'07.2.3 P:岡山英明

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一昨年6月のオープン以来、HTMLタグの打ち込み方から見よう見真似でスタートした小ブログ「編集長敬白」ですが、一年7ヶ月累計580回を超える現在では、一日あたり1万ページビュー近いアクセスをいただくまでに成長することができました。会社でパソコンを立ち上げた時、はたまた自宅にお帰りになった際、まず小ブログをご覧になるという嬉しいお話も多く、励みになるとともにより一層身を引き締めて続けてゆきたいと考えております。

さて、これまでこの「編集長敬白」はPCのみで携帯電話には対応しておりませんでしたが、このたびついに携帯電話でもご覧になれるようになりました。実はしばらく前から試験運用を繰り返していたのですが、ようやく一定レベルまで到達いたしましたので、本日より公開したいと思います。携帯電話でのアドレスは下記で、QRコード読み取り機能付き携帯の場合は下のQRコードを読み込ませるだけで今ご覧になっているこのページに飛ぶことができます。

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パケット代という心配はありますが、これで通勤途上でも小ブログを手軽にご覧いただけることとなったわけです。今後は「消えた車輌写真館」「わが国鉄時代」といった姉妹ブログにも“携帯対応”を広げてゆきたいと考えておりますのでご期待ください。なお、来週からRMサイトのトップページも大幅にリニューアル・パワーアップを図ります。下はまだダミー段階ですが、皆さんからお寄せいただいた最新の写真を「今日の一枚」としてトップページでご紹介するほか、編集部に入ってきたさまざまな情報を即時にインフォメーションとしてアップしてゆく予定です。こちらもどうかご期待のほどを…。

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※「今日の一枚」は、レアな車輌写真から日常の鉄道風景、鉄道にまつわるちょっと面白いものなど、鉄道の「今」を伝える写真なら何でもOK! お寄せいただいた写真は可能な限り即日アップいたしますので、撮影日から1週間以内にお送りください。
ありふれた光景でも、数十年後には貴重な1コマとなっているはず…そんな思いを込めたあなたの一枚をお待ちしています。
お送りいただいた写真は、ウェッブ「今日の一枚」掲載のほかに、レイル・マガジン本誌「新世紀カレンダー」に使用させていただく場合があります。本誌採用の際は、掲載誌および「RMステッカー」を1枚進呈いたします。

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今日はなんとも忙しい一日でした。午前中から東京マルイが立ち上げる新しい鉄道模型ブランドの発表会に出かけ、午後はNHKラジオ“ビュッフェ131”に生放送出演、俳優の矢崎 滋さんと現在NHK教育テレビで放映中の「趣味悠々 ?ようこそ鉄道模型の世界へ?」の話をし、今度はすぐに会社にとって返して来社された熊本県球磨地域振興局の皆さんと肥薩線100周年記念企画の打ち合わせと、まったくデスクワークができずに一日が終わってしまいました。
▲これが1/220スケール! 実に安定した走行性能を見せる「PRO Z」のEF65+20系客車。車輌の造形も巧みで、こだわりの常時点灯システムはちらつきひとつない。'07.2.14

IMGP9588n.jpgさて、そんななかで何よりもお伝えせねばならないのは、東京マルイが発表した新しい鉄道模型ブランド「PRO Z」でしょう。モデルガンの老舗メーカーとして知られる東京マルイが鉄道模型に進出するという噂は何年も前からありましたが、まさに今日、それが現実となったわけです。事前に今日のレセプションのご案内をいただいた時も、発表される商品の形式はおろかスケールさえも頑なに伏せられており、その輪郭はまさに“謎”のままでした。さまざまな憶測が流れるなか、品川プリンスホテルのバンケットルームで行われた発表会でも、開始時は商品展示スペースがパーティションで仕切られて見えないという徹底した“演出”ぶり。岩澤 巖社長の挨拶の後、照明を落された会場に現れたのは、室内灯を煌々と輝かせて夜の街を走るZゲージの姿でした。
▲品川プリンスホテルのバンケットルームで大々的に行われた発表会。これまで謎に包まれていた新プロジェクトだけに、会場には張り詰めた空気が流れていた。'07.2.14

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▲これまで秘めてきた熱い思いを語る東京マルイ岩澤 巖社長(左)と岩澤辰男専務。右はこれから台風の目になるであろう「PRO Z」のロゴ。“PRO?”は東京マルイが長年培ってきた自社ブランドの名称とのこと。'07.2.14

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▲トンネル内でクロスを交えたダブルエンドレスにストラクチャー、シーナリィまでコンプリートされた基本セット(左)。このセットに車輌とパワーパックを揃えればすぐにでもマイ・レイアウトが完成する。右は常時点灯システムで臨場感溢れるE231系(会場展示パネルより)。'07.2.14

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▲走行性能はもとより、常時点灯システムの安定性を確保するためにも研究開発が続けられたジョイント部(左/会場展示パネルより)。そのこだわりはレールクリーナーやホイールクリーナーの新規開発にまで及んでいた(右)。車輌、線路、パワーパック、ストラクチャー、シーナリィ、はてはクリーナーまで、まさにトータルシステムとしての展開だ。'07.2.14

正直申し上げて、今回発表された1/220スケールの新鉄道模型ブランド「PRO Z」がここまでの完成度で、しかもシステムとしてこれほどの規模で一気に発表されようとは思ってもいませんでした。EF65Pと20系客車、それにE231系がフル編成で実にスムースな走りを見せていましたが、車輌や線路、パワーパックのみならず、ストラクチャーやシーナリィ、さらにはレイアウトベースまでもがシステマチックに整っているのには驚きを禁じえません。

IMGP9567n.jpg構想以来5年余りの歳月を開発につぎ込んできたとおっしゃる岩澤社長の最大のこだわりは、走行性能もさることながら「常時点灯」システム。「電車は車庫から出れば営業運転中は昼間でも車内灯がついているではないですか。そんな当たり前のことをきちんと再現したかったんです」という言葉通り、見ていても実に安定した点灯システムです。各種リリースされるストラクチャー類もすべて照明システムが用意されており、ビギナーでも買ったその日から卓上で“夜間レイアウト”を楽しめるという寸法です。
▲新聞を広げたスペースでこれだけの夜景を労せずに楽しめるとあっては、コアユーザーのみならず今後は思わぬ方向に販路が広がってゆくに違いない。'07.2.14

詳しくはRM MODELS誌上で改めてご紹介できると思いますが、青天の霹靂のごとく登場したこの東京マルイの「PRO Z」、“U9”(アンダーナイン)=トイという既成概念を見事に覆し、今年の鉄道模型界に鮮烈な風を吹き込むことは間違いありません。そうそう、気になる発売時期とお値段ですが、発売時期は未定ながら夏頃、価格はEF65+20系6輌もしくはE231系7輌のセットがそれぞれ2万円アンダーとアナウンスされています。

RML91001n.jpg「西大寺鉄道」「仙台市電」と地方鉄道ものが続いたRMライブラリーですが、今月はうって変わって「大物車」がテーマです。一般の貨車では運ぶことのできない重量品や特大の貨物を運ぶことを目的に開発された「大物車」はまさに“貨車の王”と呼ぶにふさわしい車輌ですが、その堂々たる体躯の割にはこれまでその全貌を知られることなく、車輌史の世界でもエアポケットとなっていたジャンルです。今回は本誌連載「私有貨車セミナー」「国鉄貨車教室」でもお馴染みの貨車研究の第一人者“プロフェッサー吉岡”こと吉岡心平さんが、この大物車のすべてを上・中・下3部構成で徹底的にご紹介くださいます。

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▲大物車は奇想天外な積荷も積載する。本書ではいろいろな積荷もグラフで紹介している。(『大物車のすべて(上)』より)

oomono1n.jpg諸外国に比べ車輌限界の小さい日本の在来線の規格の中で、いかにしてより大きな貨物を運ぶことができるようにするか、その挑戦は明冶時代から続けられ、結果として様々な形態の大物車が現れては消えてゆきました。本書では明治14(1881)年に誕生した大物車のルーツ・石運車「局セ1形式」から歴史をひも解き、その形態から低床式・分割低床式・落し込み式・分割落し込み式・平床/回転枕木式・吊掛式・その他の7種に分類、それぞれの種類毎に各形式をご紹介しています。

▲日本車輌が大正時代に製造した電車車体輸送用大物車シム1は東海道新幹線試作電車1001の輸送用控車としても使われた。P:鈴木靖人(『大物車のすべて(上)』より)

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▲各形式ごとに写真・形式図をまじえて解説。まさに大物車の事典である。(『大物車のすべて(上)』より)

今月発売の上巻では低床大物車17形式を解説。以下のような「シ」たちが、未公開の写真と図面をまじえて誌面を彩っています。
シ1形/シ200形/シ10形/シム1形/シム200形/シサ10形/シキ5形/シキ30形/シキ40形/シキ70形/シキ110形/シキ15形/シキ115形/シキ60形/シキ550形/シキ195形195A/シキ170形170A2

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▲なんとEF16 24の車体を載せたシキ550。低床(弓形梁)タイプの大物車は古くから電車車体などの「乙種車輌輸送用」に重宝されていた。P:鈴木靖人(『大物車のすべて(上)』より)

大物車中で最大、いや狭軌鉄道で最大の荷重を誇るのが1961(昭和36)年に日立製作所が自社用に製作した吊掛式のシキ700形。軸配置は4-4-3-3/3-3-4-4の28軸! その荷重は280トンといいますから、これはもう想像の域を超えています。
残念ながら現在残されている大物車は4形式6輌のみ。その実用の機会も極端に少なくなってしまい、本線上を走る姿を目にすることは皆無に近くなってしまいました。それだけに本書で超弩級の「貨車の王」たちが闊歩していた時代を振り返っていただければと思います。
RMライブラリー 91巻
吉岡心平著『大物車のすべて(上)』
2月21日頃発売。定価1000円(税別)

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1999(平成11)年4月に碓氷峠鉄道文化むらがオープンしてからもうすぐ8年が経とうとしていますが、累計入園者はすでに158万人を超えているそうです。開園当時は、果たしてこれだけの規模のテーマパーク系展示が立ち行くのか疑問視する声も少なからずありましたが、経営的にもずっと経常黒字をあげており、その面では日本鉄道保存協会加盟団体のなかでもお手本的存在といえるかもしれません。
▲碓氷峠の山々を黄昏が包む。10000形(EC40)を模した北陸重機製DLが今日最後の園内周遊列車を牽く。'07.2.11

ただこの好調ぶりの陰には弛みないさまざまな努力があります。その最たるものがEF63の体験運転に象徴されるオンリーワンの企画で、中長期的運営の要諦となるリピーター確保に大きな力となっています。

usuitouge23n.jpgところで信越本線横川?軽井沢間が廃止され、頭上を高速道路が跨ぐようになった今では、旅行者にとって横川は旅程の“途中”ではなく、わざわざ足を向けねばならない場所となってしまいました。あの夕張の例をあげるまでもなく、袋小路の突き当たり部への集客は実に困難です。それに抗すべく体験運転、トロッコ列車と次々と新機軸を打ち出してきた碓氷峠鉄道文化むらとしても、ここらで横軽間の「特定目的鉄道」としての“復活”に賭けたいところでしょう。
改めて申し上げるまでもなく、いわゆる“遊園地鉄道”はその線型(エンドレス、ポイント・トゥ・ポイント等)の如何に関わらず、A点からB点への移動は基本的に認められておらず、A点から乗れば必ずA点へ戻らねばなりません。これは移動すること(つまりは運輸行為)によって料金を収受するのではなく、“遊具”に乗ること自体で料金を収受するという考え方によるものです。これに対して特定目的鉄道はあくまで鉄道事業法ですから、例えば横川から軽井沢まで乗車し、そのまま長野方面に抜けることも可能となるわけです。
▲準鉄道記念物としてかつての検修庫に大切に保管されているED42 1。'07.2.11

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▲つい先日再塗装されたばかりというDD53 1。園内の展示車輌のメンテナンスもスタッフ自らの手によって行なわれているという。'07.2.11

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▲展示されているEF30 20 とEF58 172(左)。右はEF59 11から復元されたEF53 2とEF63のトップナンバー。ここ碓氷峠鉄道文化むらはこのEF63をはじめ、EF62、DD51、EF60(500)、EF70(1000)、キハ35(900)、キニ58、ナハフ11などトップナンバー車が多いことも特筆される。'07.2.11

今回この碓氷峠鉄道文化むらを再訪して改めて感じ入ったのは屋外展示車輌の状態の良さです。ほとんどの車輌がすでに展示開始以来8年の歳月を経ているにも関わらず、真新しく再塗装されたものも多く、実に気持ちよく拝見することができました。伺ったところでは限られた予算のなかですべてを外注するわけにもゆかず、職員の方たちが時間をみつけては自分たちで塗装を行っているのだとか。ちょうどDD53が塗り上がったばかりでしたが、そんな隠された努力の積み重ねがあってからこその8年間だったに違いありません。

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▲電気機関車の展示が多いなかで唯一の蒸機D51 96。滝川区で1976(昭和51)年3月付けで廃車になった機関車で、その後秩父のSLホテルとして保存されていたもの。こつこつと整備が続いており、圧縮空気で汽笛が吹鳴できるまでになっているという。'07.2.11

果たして横軽間の特定目的鉄道化は実現するのか、決して予断を許さない状況ではありますが、すでに碓氷峠の後に続こうと全国で数ヶ所が特定目的鉄道申請を待っており、その意味でも今後の動向が注目されます。

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今日は約一年ぶりに「碓氷峠鉄道文化むら」を訪れました。といってもただ単に見学に行ったわけではなく、日本鉄道保存協会の顧問の先生方と鉄道文化むらを運営する財団法人碓氷峠交流記念財団の桜井正一理事長との意見交換が主目的です。
▲旧信越本線の線路を利用したトロッコ列車は鉄道文化むらと峠の湯の間2.6kmを結ぶ。今年の営業運転は3月3日(土曜日)からスタートする予定。'07.2.11

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▲桜井理事長自らがハンドルを握る試運転列車。開放的な客車は天気の良い夏場は防寒窓が撤去されてオープンデッキ状態となる。'07.2.11

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昨年9月に改正鉄道事業法の「特定目的鉄道」として横川?軽井沢間を“復活”させようという動きがあることをお伝えしましたが、その後昨年の日本鉄道保存協会年次総会で桜井理事長自らが、10月14日に予定されていた軽井沢までの試運転を直前になって断念せざるをえなくなった事情を報告、列席した保存協会加盟団体間にも大きな衝撃が走りました。
▲ED42、EF63と数々の名シーンを生んだ旧丸山変電所横をゆく。トップの写真のように簡単なホームが設けられており、見学停車が行われる。'07.2.11

usuitouge15n.jpg今回の訪問は、日本鉄道保存協会として改めてその辺の経緯をきちんと把握しておく必要性と、その中から何とか将来的展望を見出そうという主旨ですが、お話を伺っていると「平成の大合併」に起因する極めて複雑な地域事情も見え隠れし、事はそう簡単ではなさそうです。当初案では昨年10月14日の軽井沢までの試運転を端緒として「特定目的鉄道」の申請を行い、園内に保存されている「あさま」2輌を約1億円を投じて改造、碓氷峠廃止10周年に当たる今秋にも開業しようという計画でした。VIPを招いての試運転にはすでに運輸局からのOKも出ていたというだけに、何とも残念でなりません。
▲旧丸山変電所の修復整備について解説する桜井理事長。'07.2.11

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▲屋根が崩落するなど、一時は荒廃していた旧丸山変電所だが、現在ではすっかり綺麗に修復されており、国指定重要文化財にもなっている。'07.2.11

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この特定目的鉄道化計画、軽井沢側からも期待を込めて見守られているようで、軽井沢町長も現在しなの鉄道が所有している軽井沢から横川方(約800m)の軌道敷の一部を用地買収を含めて検討する用意があることを表明しています。
▲終点「峠の湯」に到着したトロッコ列車。このホームは新設された側線だが、旧本線は今でも軽井沢へと続いている。ちなみに横川駅構内の4番線は駐車場を横切って文化むら内のトロッコ列車線へと続いており、これらを総合すると信越本線はいまだに直江津までしっかりと線路が続いていることになる。'07.2.11

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九州より多少大きい程度の国土に50以上の路線が密集するスイスの私鉄は実に複雑怪奇で、しかも鉄道名がアルファベット表記で略されることが多く、慣れない者にとってはこれまたやっかいです。なかにはRhB(レイティッシェ・バーン)、RHB(ロールシャッハ・ハイデン・バーン)のように酷似した略号もあって、難解さにさらに輪をかけています。加えて中小私鉄同士の統合も多く、かつてこのブログでご紹介したRhW(ライネック・ワルツェンハウゼン・バーン)も昨年AB(アッペンツェラー・バーン)に統合されたと聞きます。
▲アッペンツェル?ヴァッサーラウエン間を結ぶセンティス線はほとんどが道路と並行している。ヴァイスバート(Weissbad)付近を車齢70年以上とは思えないスピードでアッペンツェルへと駆け下りてゆくBCe4/4 30 。'05.9.25

appenzeller2n.jpgそのアッペンツェラー・バーン(1000mm軌間)に7月から9月にかけての日曜日だけ“Nostalgiezug”(ノスタルジー列車)と名づけられた旧型電車の走行があるのを知ったのは、一昨年ライン河上流工事事務所の軌道を訪ねて渡欧する直前のことでした。インターネットで調べたところでは復元車も含めて実に多種多様な旧型電車が残されていて、どうやらこれらが“Nostalgiezug”として実際に走行するようです。中には片ボギー・サイドロッド駆動のCFe3/3形などという代物までおり、これは是非とも見てみたいものです。しかしネットの検索ではいったいどの日にどの形式が充当されるのかさっぱりわからず、しかも旅程の関係で訪問できるのはこの年の運転最終日の9月最終日曜日のみ。運を天に任せてアッペンツェルの町をめざしました。
▲アッペンツェルで現行車と並ぶBCe4/4 30。最近はヨーロッパでもこのようなラッピング電車(?)が跳梁跋扈しており、“写欲”という面では比肩しようもない。'05.9.25

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▲2005年時点のアッペンツェラー・バーン路線図。ゴッサウ(Gossau)からアッペンツェルを経てヴァッサーラウエンに至るルートが本来のアッペンツェラー・バーンの路線で、ラック区間のあるサンクトガレン(St.Gallen)側は旧サンクトガレン・ガイス・アッペンツェル・アルトシュテッテン・バーン(SGA)の路線。昨年さらにRHB、RhW、TB(トローゲン・バーン)も新アッペンツェラー・バーンに経営統合されている。
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チーズの産地としても知られるアッペンツェルはスイス北東部の丘陵地帯にある静かな田舎町です。駅前のコインパーキングにレンタカーを停めて駅をのぞいてみると、残念、停まっているのはBCe4/4形と呼ばれる14m級のボギー車でした。アッペンツェラー・バーン(AB)は1988年にお隣の旧サンクトガレン・ガイス・アッペンツェル・アルトシュテッテン・バーン(SGA)の路線を統合していますが、このBCe4/4形は1933年製で本来のアッペンツェラー・バーン路線で活躍してきたいわば生え抜き車です。品の良い車体色に見とれているうちに気を取り直し、センティス線と呼ばれるヴァッサーラウエンまでの支線(6.2km)でこのBCe4/4形を追ってみることにしました。

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▲ヴァッサーラウエンで折り返しを待つBCe4/4 30。全長14.4m、118W×4個のモーターを持つ1・2等合造車。背後にはエベンアルプが聳え立ち、冬場はスキー客で賑わうという。'05.9.25

この日の“Nostalgiezug”の運転はゴッサウ(Gossau)を10:30に出て1時間ほどをかけてアッペンツェルへ。こののちアッペンツェル?ヴァッサーラウエン間のセンティス線を2往復したのち、再びゴッサウへと引き返す(15:37着)という行路です。時間の関係でアッペンツェル?ゴッサウ間はパスしてセンティス線のみを狙う形となりましたが、いかんせんこの支線、ほとんどが道路と並行していて撮りようがありません。おまけに終点のヴァッサーラウエンの町はちょうど地元のお祭り(?)とあってえらい混雑で、牧場に設けられた臨時駐車場におじさんが呼び込みをする…といった日本的光景まで展開していました。

appenzeller4n.jpg列車の折り返し停車時間は1時間ほど。ほんの30分ほど停められればよいのですが、やむなく呼び込みのおじさんに法外な駐車料金を払って駅へと向かいます。頼んで構内に入れてもらって三脚にブローニー判をセットし、改めて向き合ってみるとこのBCe4/4 30、なかなか好ましい合造車ではないですか。1・2等合造のABe4/4形として4輌(40?43→BCe4/4 27?30)の仲間がいたようで、現在2輌(41・42)は観光路線として再起したレーティッシェ・バーンのベリンゾナ線(Ferrovia Mesolcinese/小ブログ「知られざるもうひとつのレーティッシェ・バーン」参照)に移籍しているようです。
▲アッペンツェル駅で見かけた好ましい雰囲気の木造有蓋貨車。井笠鉄道のホワあたりを思い起こす。'05.9.25

結局お目当てのCFe3/3には出会うことができませんでしたが、このBCe4/4 30と出会えたことで、多少なりとも古き佳き時代のアッペンツェラー・バーンの残り香を嗅ぐことができたような気がします。最後にほんの短いものですがこのBCe4/4 30の動画をご用意しましたのでご覧ください。牧場に響くいかにもスイスらしい音色の警笛が泣かせます。

細倉鉱山の「ABC」。

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“ABC”と聞いて「浅野物産」を連想する人はまずおられないと思いますが、今日はこのABCこと浅野物産のガソリン機関車のお話です。
▲鶯沢町鉱山資料館に保存されている“ABC”の1'8"(508㎜)軌間の超小型ガソリン機関車。とにかく目が点になるほどの小ささだ。'05.5.15

来月末で営業を終了してしまうくりはら田園鉄道がまだ栗原電鉄だった頃、しかもまだ細倉鉱山が元気に稼動していて貨物輸送が行われていた当時、その細倉鉱山の駐車場にえらく小さなガソリン機関車が置いてある…という話を耳にしました。しかもどうやらかなりの年代モノらしいとのこと。これは是非とも実見せねばならないと、ちょうど四半世紀前、東北地方の私鉄・専用線を巡る旅の途中で足を向けてみました。

hosokuraabc11n.jpg終点・細倉鉱山駅から操業中の細倉鉱山を横目に見ながら鉱山道路を進みますが、“観光坑道細倉マインパーク”となっている現在とはまったく異なり、周囲は結構ピリピリした雰囲気で、とても不用意にカメラを向けられる状況ではありません。それでも尋ねに尋ねてようやくお目当てのガソリン機関車らしきものを発見しました。「いやぁ、小さい!」。目の前にちょこんと置かれた機関車は、思わず声をあげてしまうほどの小ささです。言うなればエンジンがそのまま走っているようなものとでも形容できましょうか。ちなみにこの時の実測によると、全長(端梁間)1950㎜、全幅850㎜、全高(踏面からボンネット上)1230㎜、ホイールベース610㎜、車輪径約300㎜と、内燃機関車としてはこれまで目にしたどの機関車よりも小さいものでした。
▲キャブと言えるのかどうか…イスさえ装備されておらず、運転は立ったまま行なうようだ。'06.11.26

hosokuraabc12n.jpgところで果たしてこの奇怪なガソリン機関車、どういった素性のものなのでしょうか。戦後まで細倉鉱山の通洞坑(水平坑)で使用されていたということしか伝えられておらず、鉱山側でも詳細は不明ということでした。そこで無理を承知でボンネットを開けさせてもらい仔細に検証させてもらうことにしました。ところがボンネットを開けてまたまたびっくり。なんとエンジンはフォードのAタイプが搭載されているではないですか。もちろん特徴的な形状のディストリビューターなど補機類はほとんど国産品に換装されてしまっていますが、本体は博物館モノのAフォードそのものです。さらに調査を進めると、ラジエーター・シェルに何やらプレートのようなものが見えます。残念ながら厚く塗料が塗り重ねられてしまっていて“透視法”をもってしても判然とはしませんが、菱型の中に“ABC”のような文字が…。キャブ側に回ってみると、これまた機器類が邪魔で読み取りにくいのですが“ASANO BXXXXX(Xは不明)”“TOKYO”“JAPAN”の陽刻を発見しました。類推するにこの機関車、戦前の「浅野物産」のものに違いありません。
▲何とも形容しがたい顔立ち。ラジエーター・シェル上部にプレートが取り付けられているが判然とは読み取れない。'06.11.26

hosokuraabc13n.jpg米国製ガソリン機関車“WHITCOMB”(ホイットコム)の輸入代理店としても知られた浅野物産は、東京・丸の内に本店を構える戦前を代表する商社のひとつでした。大阪に支店、横浜・神戸・横須賀・佐世保・舞鶴、さらには京城や大連にも出張所を設け、ニューヨークやロンドンにも出先機関を置いて手広く商いを行っていました。拙著『森製作所の機関車たち』でも多少触れましたが、同社は次第に海外製品の輸入ばかりでなく、OEMによる自社製品の開発販売にも手を広げたようですので、このミニ機関車もそんな状況のなかで誕生したのかも知れません。
▲キャブ部に鋳出されている文字。わかり易いように矢印で位置を示したが、肝心の「ASANO BUSAN」の文字はレバーが邪魔になって読み取りにくい。'06.11.26

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▲25年前、初めてこの機関車を目にした時の状況。Aフォードエンジンが燦然と輝く。ネガを見返すと、ペンタックス67で執拗に写し込んでいることからも、当時いかにこの機関車に感激したかを思い出す。ちなみに同系機は佐渡金山にもいたようで、わずかながら写真が残されている。'82.3.21

一昨年春に続いて昨年の11月にくりはら田園鉄道を訪れた際にも、今は鴬沢町鉱山資料館の中庭にきちんと保存されているこの機関車を再訪する機会を得ました。マインパークと違い、この鉱山資料館の方は観光客も少ないようで閑散としていましたが、“ABC”の機関車は変わりなく屋根付きの展示場で大事に保存されており、ほっとひと安心でした。これから3月末までの間にくりはら田園鉄道を訪問されようという方も少なくないかと思いますが、その際は是非この超ミニ機関車も訪ねてみては如何でしょうか。

「高尾臨」の時代。

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発売中の『国鉄時代』Vol.8で鈴木 靖さんが“武蔵野の冬の風物詩”として「八高線の豆まき臨」の思い出を綴ってくれていますが、首都圏在住のファンにとって初詣の「成田臨」とともに印象深かったものに「高尾臨」があります。もちろん現在でも電車列車での初詣臨の設定は残されているようですが、私たちの世代にとっては「団体」の方向幕を掲げた電車ではどうもピンと来ず、自ずと興味は今や過去のものとなってしまった機関車牽引列車となってしまいます。
▲EF58 153〔宇〕に牽引されて山手貨物線を新宿へと向かう宇都宮発の「高尾臨」。当時すでに宇都宮のゴハチが新宿に姿を見せるのは珍しくなっていた。'79.1.31 目白?高田馬場

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機関車牽引の「高尾臨」として長く親しまれていたのが件の八高線です。毎年節分には高崎方面から高尾山に向かう数本の客車列車が設定され、古くは大宮区の9600が高尾まで乗り入れていました。1969(昭和44)年秋に9600が姿を消すと、無煙化(1970年10月)までのワンシーズンだけC58(D51)がエスコート役を務め、以後はその任をDD51が受け継いで運転が続けられました。末期は本誌誌上でもガイドをご紹介し、かなりの人気を博していたのは記憶に新しいところです。
▲新宿からは八王子区のEF15 62が先頭に立って中央快速線を高尾へと向かう「高尾臨」9535レ。その後このEF15 62号機は一時高崎二区に貸し出されたのち、翌1980年12月10日付で廃車となっている。'79.1.31 中野?高円寺

takaorin3nn.jpg一方、東北筋から高尾山へと向かう「高尾臨」もあり、こちらは宇都宮区のEF58が新宿まで牽引、新宿で地元八王子区のEF15にバトンタッチして高尾に向かうパターンでした。普段は客車列車の姿を見ることのできない八高線と違い、運転経路や牽引機に目新しさがないこともあってか、こちらはとりたてて話題になることもなかったように記憶していますが、今になって振り返ってみればこれはこれで貴重な記録なのでは…と古いネガを引っ張り出してお目に掛ける次第です。ちなみに列車運転史の第一人者・三宅俊彦さんにうかがったところでは、「成田臨」に比べ「高尾臨」の歴史は浅く、マイカーの普及と近隣駐車場の整備によってフェードアウトしてしまったとのことでした。
▲11:09(30)高円寺駅を通過する「高尾臨」。この当時の中央線はまだまだEF15の姿が頻繁に見られた。'79.1.31

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ところで、現在のように臨時列車の運転情報がインターネットなどで容易く得られる状況とは違い、1970年代の情報収集は苦労の連続でした。そんな中で絶対的な情報源は「局報」と通称され日々発行される各鉄道管理局報でした。なにしろ実際の「達」を現場に知らしめるためのものですから確実・絶対なのは当然。この「局報」に記載された運転計画は、後日改めて「局報」で変更を通報されるか、ごく稀に電報手配で変更される以外ありません。それだけに何とかこの「局報」を入手できないかと八方手を尽くしたのですが、意外や意外、なんと“本丸”こと丸の内の国鉄本社ビル内の書店で購入できることを知りました。内部資料を一般人が購入できるのも驚きなら、それを買いに本社にずかずかと入っていけた状況も、情報管理が要諦となっている今日ではとても考えられないおおらかさだったといえます。
▲総裁室文書課が発行する「鉄道公報」と首都圏本部が発行する「首都圏本部報」、そして各鉄道管理局が発行する「局報」。「高尾臨」の運転計画は主にこの「東京西鉄道管理局報」で伝達された。

twilight15a2.jpgついに15冊目となる『トワイライトゾ?ン・マニュアル』が今月下旬にいよいよ発売となります。毎年夏休み明けのお楽しみとして発行してきたこの『マニュアル』ですが、今号は半年ほど遅れて冬のさなかにお送りすることになりました。振り返れば本誌誌上で「トワイライトゾ?ン」の連載を始めたのが1990(平成2)年9月号(82号)。連載開始から今年で実に17年を数えることになります。次々と消えてゆく失われた鉄道・車輌の痕跡を、読者の皆さんのレポートによって多少なりとも後世に残してゆきたいと半信半疑で始めた連載でしたが、今や鉄道趣味の世界で“トワイライトゾーン”、もしくは“トワイラ”は一般名詞として定着するまでになりました。聞けば鉄道趣味を始めた時からトワイライトゾ?ンを見ていたという若い読者の方も少なくなく、ありがたい思いとともに歳月の重みを実感します。

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限られた紙幅の連載ではご紹介しきれない力の入ったレポートをまとめて一冊にしようと、1992(平成4)年夏に発行したのが『トワイライトゾ?ン・マニュアル』の第一号でした。実際のところこんなマイナーな分野の単行本が市場に受け入れられるのかどうかびくびくしながらの発刊でしたが、結果はまたたく間に売り切れ。アンコールを望む声も多く、以後、毎年一回のペースで今回15巻目をむかえることとなりました。この間に大正12年から昭和58年まで12回作成されたと思われる「専用線一覧表」のうち11回分を巻末付録として掲載することができましたが、謎の多かった専用線の消長がこれによって手軽に縦覧できるようになったのも本シリーズの大きな成果のひとつだったのではと自負しております。
▲15巻目をむかえた今号の校正紙の数々。本誌連載ではご紹介不可能なボリュームのディープな記事が目白押し。乞うご期待!

twilight15a1.jpgさて、今回の15巻ですが、幻に終わったある専用線営業線化計画から砂利輸送列車を克明に追った記録、さらには装甲軌道車のルーツにいたるまで、硬軟とりまぜたトワイライトゾ?ンならではの盛り沢山な内容でお届けいたします。また、巻末の付録は終戦直後、昭和20年10月版の「貨物営業粁程表」。前回の14号では昭和5年4月版の同表・連帯線編をお届けしましたが、今回は国鉄線(鉄道線)を収録いたしました。この「貨物営業粁程表」は各線の貨物取扱駅と実際の営業キロ、および運賃計算上の貨物営業キロ、さらには取扱貨物の制限を一覧表にしたもので、その時点でのわが国の鉄道貨物輸送の実像を垣間見ることのできる貴重な資料です。今回の原本は『列車名変遷大事典』の著者としてもお馴染みの三宅俊彦さんからご提供いただいたもので、スキャニングのために貴重な原本の製本を解体するお許しを得ての復刻です。
▲巻末付録の昭和20年10月版「貨物営業粁程表」より中央本線のトップページ。キロ程はもとより、種別の入線制限や橋秤設備(凸印)・積卸設備の有無なども読み取ることができる貴重な資料である。
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この『トワイライトゾ?ン・マニュアル15』、今月末には書店店頭に並ぶ予定ですので、是非お手にとってご覧ください。

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昨日、小田急電鉄から東京メトロ千代田線への新たな直通運転用新型通勤車輌「4000形」(二代目)の概要が発表となりましたのでさっそくご紹介してみましょう。
▲4000形の完成予想図。E233系ベースながら地下鉄線内の車輌定規の関係から断面形状は異なる。(小田急電鉄提供)

何よりも特筆されるのはこの新型通勤車輌4000形がJR東日本のE233系をベースに設計され、東京メトロ線内の運行に必要な設備を搭載していることでしょう。E233系の特長である運行障害の低減のための電気機器や保安装置など主要な機器・回路の2重系化はもとより、ホームとの段差縮小や優先席エリアの明確化など、バリアフリー化をより一層推進するとともに、一人あたりの座席スペースを拡幅し、居住性を向上させている点もE233系を踏襲しています。

oer40003n1.jpg小田急電鉄から発表されている主な特長は以下のようなものです。
■車両性能・デザイン
JR東日本のE233系をベースとし、東京メトロ線内の運行に必要な設備を搭載します。 2007年9月の就役後は、現在の通勤車両1000形に替え、主に東京メトロ千代田線への直通運転用車両として使用する予定です。また、車体外観はステンレス製の車体に鮮やかな インペリアルブルーの帯をあしらい、前面部には当社独自のデザインを採用します。
■安 全 性
①電気機器や保安装置などの主要機器・回路を2重系化することにより、「故障に強い車両」とし、運行障害の低減を図ります。
②車体側面の柱や屋根材の強化により、車体強度の向上を図ります。
■バリアフリー化の推進・居住性の向上
①一人あたりの座席幅を460mmに拡幅します。(1000形比で20mm増)
②車両床面を低くしてホームとの段差を縮小します。(1000形比で20mm減)
③出入口部の床面や戸当たり部分を黄色にして目立たせるほか、優先席エリアについては、 つり革、壁面、床面等の配色を一般座席付近と変更することで明確化します。
④握り棒は人間工学に基づいた曲線形状とし、7人掛けの座席間は2ヵ所に増設します。また、荷棚の高さを1,730mmに下げます。(1000形比で60mm減)
⑤各車両出入り口上部にLCD(液晶)表示装置を設置し、停車駅案内、乗り換え案内や運行情報を表示します。
■環境面への配慮
①当社の通勤車両としては初となる全密閉式の主電動機(モーター)を採用するほか、コンプレッサーや冷房装置等についても低騒音型のものを使用します。
②車体前面、屋根上空調装置カバー、座席詰め物等に再利用可能な素材を使用し、重量比で90%以上のリサイクル率を実現します。

▲優先席部のレンダリング。(小田急電鉄提供)

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▲車内全景。淡い暖色系の色調の内装となるようだ。(小田急電鉄提供)

この4000形は7編成70輌が東急車輌によって製造され、本年9月より順次、東京メトロ千代田線への直通運転用車輌として営業運転を開始します。最初の編成が竣功するのは5月の予定とのことですので、その際はまた本誌誌上で詳しくお伝えできるはずです。

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先週、わかやま電鉄貴志駅の「猫駅長」たまちゃんを訪ねた際、途中の交通センター前駅前の交通公園に保存されている南海電気鉄道大阪軌道線(現・阪堺電気軌道)のモ205形217号を訪ねてきましたので、その様子をご覧にいれてみましょう。
▲冬枯れの公園内は…と言いたいところだが、さすが和歌山、日差しは春のような温かさを感じる。画面左手が交通センター前駅のホームである。'07.1.30

nankaimo217a5.jpgこの217号は1938(昭和13)年に木造車の鋼体化により誕生したもので、ブリル77E1を履いたボギー車ながら、全長11m強というまとまったスタイルの小柄な車体が魅力です。晩年は今池?平野間を結んでいた平野線を中心に活躍していましたが、ワンマン化や平野線の廃止などにより1980(昭和55)年11月に廃車となりました。廃車前年にはすでに休車となっていた同車が、なんば駅地下街で催された鉄道用品バザールで売りに出されたこともあったようですが、同車に掲出されている説明板によれば、日本宝くじ協会からの寄贈により現在地に保存されたとのことです。
▲コントローラーの天板にはゼネラル・エレクトリックの文字と数々のパテントが鋳出してある。鋼体化以前からのものなのだろうか…。'07.1.30

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▲実に好ましいまとまりを見せる217号。塗装こそ塗り重ねられてはいるものの、全体的に保存状態は良好。'07.1.30

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▲木製座席など木部の多い車内も比較的良好な状態を保っている(左)。右は今や貴重品となってしまったブリル77E1台車。'07.1.30

nankaimo217a6.jpg交通公園内には免許試験場も併設されているため、交通センター前駅は結構な乗降客数があるようです。お目当ての217号は駅ホームからほんの数メートルの所に展示されており、さすがに交通公園を名乗るだけあって、展示開始から27年も経つにも関わらず管理も行き届いており、車内も見学することができます。運転台には伝統のゼネラル・エレクトリック(GE)のコントローラーがしっかりと残されているのも嬉しい限りです。「いちご電車」に「猫駅長」となにかと話題の多いわかやま電鉄貴志川線ですが、訪問の際はこの217号も訪ねてみられることをおすすめします。
▲車体側面には最後に活躍していた時代の南海社紋が残る。'07.1.30

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東京急行電鉄から先日、田園都市線の混雑緩和を主眼とした各種施策が発表されましたが、そのなかに車輌ファンにとって興味深いレンダリングが含まれていましたのでご紹介してみることにしましょう。
▲在来5000系とはまったく異なったエクステリアデザインとなる大井町線用ニューフェース。(東京急行電鉄提供)

田園都市線の混雑率は東急各線のなかでも際立って高く、朝ラッシュ時の池尻大橋?渋谷間の最混雑1時間平均の混雑率は194%(2005年度)に達しています。それだけに今回の施策では来年(2008年)3月より大井町線で急行運転を開始し、田園都市線から都心方面に向かうルートの選択肢を増やすことをひとつの柱と位置づけています。そしてこの急行運転用として投入されるのが発表されたレンダリングの新車。発表によると「新型車両(5000系ベース)」とだけアナウンスされており、スペックや実際の形式がどうなるのかなどは今のところ不明ですが、正面一枚窓の斬新なデザインは、これまでの東急車のイメージを一新するものです。

kuhonbutustn.jpgこの急行用新型車輌は6輌編成で、投入以後の大井町線は各停5輌編成、急行6輌編成での運転となります。途中停車駅は旗の台、大岡山、自由ケ丘の3駅、朝ラッシュ最混雑1時間あたりの急行設定本数は5本(全線所要18分)と発表されていますが、ご存知のように現在進められている二子玉川?溝の口間の複々線化工事完成にともなう大井町線の溝の口延伸が2008年度中に予定されており、この際にはまた変化があるものと思われます。
▲今日の大井町線。黄昏の九品仏駅を発車してゆく8001F。'07.2.4 九品仏

今回の発表ではこのほかに田園都市線への5000系大量投入も報じられています。2007年度40輌を皮切りに、2007?2009年度までの3年間に計250輌が新製投入されるとのこと。また現在6編成が運用中の6扉車組込(5・8号車)編成もさらに6編成が増備(本年4月1編成、5月2編成、9月3編成)されるそうです。さらに来る4月5日(木)より、平日の朝8時台に渋谷に到着する急行13本を二子玉川?渋谷間各駅に停車する「準急」に変更して同区間の混雑の平準化を図ることなども発表されています。

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昨年末にもご紹介したように、今年10月14日(日曜日・鉄道の日)の開館を目指し、埼玉県さいたま市大成地区で建設が進む「鉄道博物館」。今回、初めて「展示車輌の搬入」という待望のニュースが飛び込んできました。主要建物もほぼ完成し、春の訪れとともに夢の大プロジェクトは完成に向けていよいよ加速しはじめます。
▲ついに展示車輌の搬入が開始された。写真はプロムナードに設置され約2週間後のD51426。周囲はネットで覆われ、上部には屋根の骨組みがすでに組まれていた。'07.1.31 P:RM(新井 正)

twtudohaku1gatu4n.jpg1月15日、まずはD51426号機のカットモデルがトレーラーで搬入、プロムナードエリアに設置されました。初の展示車輌となったこのD51は、昨年5月14日に閉館した「交通博物館」の入口に、0系新幹線21形25号車のカットモデルと並んで展示されていたものです。70年の歴史を刻んだ東京神田の「交通博物館」から、新たに生まれようとしている「鉄道博物館」へ。煙室扉には交通博物館の皆さんの手によるものでしょうか、「さようなら たくさんの思い出を有難うございました。そして、いろいろ御苦労さまでした。どうぞ今後もお元気で。皆様に『夢』と『よろこび』を与えてください」という手書きのメッセージカードが添えられていました。
▲「歴史ゾーン」北側の車輌展示用線路も姿を現した。言うまでもなくゲージを測りながらの作業だ。'07.1.31 P:RM(新井 正)

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▲D51426号機の煙室扉には交通博物館からの心温まる手書きのメッセージが添えられていた。'07.1.31 P:RM(新井 正)

さて、建屋内での作業も本格化しています。各フロアーの展示室は大方が姿を現し、一部では空調の配管も施工されています。歴代の車輌を展示する「歴史ゾーン」では2階天井部に照明用のサークル状の鉄骨も出現。これはちょうどC57135号機が乗るターンテーブルの頭上に位置するものです。

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一方、厳重な環境管理を行うため昨年から最優先で工事が進められていた「御料車の歴史」エリアは、ガラスで仕切る工事が最終段階を迎えています。6人掛りで慎重に行なわれているこの作業が完成すると、独立した空調消防設備の中にいよいよ6輌の御料車が入れられることになります。
▲西側の展示線が建屋の南側で試運転線とつながった。これでJR東日本の営業線と結ばれたことになる。'07.1.31 P:RM(新井 正)

tetudohaku1gatu6n.jpgそして今回何よりも注目されるのは、建屋の南端に位置する「歴史ゾーン」の展示線と大宮総合車両センターの試運転線の線路がつながったことでしょう。これで、試運転線を介してJR東日本の営業線と鉄道博物館が接続されたことになり、現役車輌の博物館での展示、逆に博物館保存車輌の本線での復活(?)も、あながち荒唐無稽な夢ではなくなったわけです。ちなみにわが国の大規模展示施設では梅小路蒸気機関車館など一部の例外を除いて展示線が営業線とつながっている例はありませんが、海外の鉄道博物館ではむしろ“当然”で、折りあるたびに保存車輌の本線走行が実施されています。人気の旭山動物園の「行動展示」のように、鉄道博物館もそんなアクティブな展示の拠点になってほしいものです。
▲大宮総合車両センターの試運転線へと続く線路。'07.1.31 P:RM(新井 正)

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このほか、「歴史ゾーン」北側にレイアウトされる1号機関車、7100形(弁慶号)などを展示する線路の敷設作業も着々と進んでおり、さらには博物館への重要なアクセスとなるニューシャトル大宮駅構内には、開館と建設途中の告知も貼り出されました。開館まであと8ヶ月、いよいよ「鉄道博物館」から目が離せなくなってきましたが、進捗状況の詳細は本誌連載「大宮に鉄道博物館ができるまで!」をご覧ください。
▲2階「歴史ゾーン」の天井に吊るされた照明用のサークル。間もなくこの下の転車台に載ったC57 135の姿が見られるはずだ。'07.1.31 P:RM(新井 正)

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今年で3年目を迎えた冬の鉄道模型エキジビション「ヨコハマ鉄道模型フェスタ」が、今日からランドマークプラザ5階の特設会場で始まりました。場所柄もあってファミリーでの入場者が多いもの特徴のこのイベントですが、今年から始まった新たな試みが「スペシャルステージ」と銘打たれた事前予約定員制の夜間開場です。
▲出展されているトミックスの16番レイアウトから、同社新製品の名鉄モ510のワンシーン。なかなか“泣かせ所”を心得た車輌とレイアウトで、思わず財布の紐が緩んでしまいそう。'07.2.2

IMGP9322n.jpgせっかくの横浜の夜をゆっくりと楽しみたいというモデラーのために企画されたこの「スペシャルステージ」、今日と明日の夜19時から20時までの間、各日限定200名の方に限って入場でき、各出展メーカーによる解説や抽選会、さらにはスーパーベルズのライブなど多彩な催しを楽しめるというものです。この企画、主催する鉄道模型振興会が以前より温めていたもので、昨年から構想はうかがっていました。海外のモデル・エキジビションでは近隣ビジター向けに入場無料のフリー・デーが設定される一方、必ずといってよいほどコア・ユーザー向けの夜間開場が行われています。もちろんワンコイン・ドリンクなどリカー・サービスもあり、文字通り模型好きの“大人”の夜を満喫できるという寸法です。
▲「天賞堂プラスティックモデルコレクション」の次回作は9600。まだ全容は掴めないが、何と10バージョンがリリースされるそうだ。発売は今年年末から来年始めにかけての予定とのこと。'07.2.2
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IMGP9332nn.jpgところで、主要メーカー揃い踏みのイベントともなると、何よりもまず気にかかるのは開発中の新製品に関する情報でしょう。各社数ある新製品・予定品公開のなかで、今回は天賞堂が展示していたプラ製の9600(1/80)とZj(1/220・6.5mm)のEF81がとりわけ目をひいていました。9600はまだ主要部分のみのパーツ状態での展示となりましたが、もちろん初公開。添えられたポップによれば、何と10種類が作り分けられるそうで、いったいどんなバリエーションが登場するのか今から興味津々です。一方、うってかわってのサプライズがZjのEF81。最近一気に隆盛となってきている“U9”(アンダー・ナイン)ゲージのマーケットにあの天賞堂ブランドが参入することになります。テストショットそのままのモックアップでの出品ですが、その完成度の高さは充分伺われ、こちらも要注目です。
▲注目のZjのEF81。製造はプラスアップ株式会社。81号機お召仕様とレインボー仕様の2バージョンが設定されており、価格は6000円前後、発売は6月頃とのこと。'07.2.2
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スーパーベルズならではのポップなライブを交えての“スペシャルステージ”は入場料2000円という設定にも関わらず大賑わいでした。残念ながら第二回目となる明日夜の200名枠はすでに完売だそうですが、データイム(11:00?18:00)はもちろん入場無料です。天候にも恵まれそうなこの土日、ランドマークタワーに足を向けてみてはいかがでしょうか。
▲おおいに盛り上がったスーパーベルズのライブ。このあとメーカー提供商品が当たる抽選会も行われた。'07.2.2

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▲ヨコハマ鉄道模型フェスタ2007は明日・明後日の土日も開催される。各電鉄のブースなども並び、会場ならではの限定品の販売も行われる。
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2000年春の鉄道事業法改正によって旅客鉄道事業の退出(つまりは廃止)が、従前の許可制から、地元合意の如何に関わらず原則一年前の事前届出制となってからというもの、年度末を控えたこの季節は、“悲報”がもたらされないことを願う毎日となってしまいました。
▲またしてもローカル私鉄の“悲報”を耳にすることになろうとは…。現在、島原外港?加津佐間35.3kmの運転本数は一日13往復。この列車と20を数える駅が消えてゆくことになる。(寺田裕一『日本のローカル私鉄』弊社刊)

ところが残念ながら今年も“悲報”を聞くこととなってしまいました。昨日、島原鉄道が発表した島原外港?加津佐間の廃止です。正直なところ“悲報”が懸念されていた線区はほかにもあり、「島鉄」の部分廃止発表は寝耳に水でした。まずは同社のプレスリリースから廃止理由を見てみましょう。
「平成11年度からは、ワンマン運行開始による人員の削減、経営改善による経費の削減、委託駅の無人化、現業部門の業務体系見直しによる合理化を図る一方、各種企画乗車券発売による運賃の割引、朝・夕の時間帯に於ける列車増便、JR諫早駅での接続を考慮したダイヤ設定など利用促進を図ってきましたが輸送人員の減少により収支改善が図られない状況であります。この様な事から、当社としては、全社的な収支改善を図る為には、特に輸送人員の減少傾向が大きい島原外港?加津佐間の鉄道事業を廃止せざるを得ないと判断いたしました」。

shimatetufig.jpg島原鉄道は1908(明治41)年の創立。1913(大正2)年に諫早?島原湊(現・南島原)間42.3kmが開業しましたが、島原湊以南は1922(大正11)年開業の口之津鉄道という別会社でした。1943(昭和18)年に口之津鉄道を吸収合併、この時点で諫早?加津佐間78.5kmの現在の路線が形作られました。つまり今回の島原外港?加津佐間(35.3km)の廃止は旧口之津鉄道の路線のほぼ全てが消えてしまうことをも意味しているわけです。
▲島原鉄道路線図。島原半島の南半分、島原湾と天草灘に面した最も風光明媚な区間がすっかりなくなってしまうことになる。(寺田裕一『日本のローカル私鉄』弊社刊より)
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プレスリリースによれば九州運輸局への鉄道事業廃止届出書の提出は来る3月30日。改正鉄道事業法に則り、廃止は一年後の来年4月1日となります。あと2ヶ月の余命となった鹿島鉄道・くりはら田園鉄道に思いを馳せていたところで飛び込んできた“悲報”。ローカル私鉄の受難はまだまだ続くのでしょうか…。

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