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▲日本海に沿って遠く離れた大阪を目指す4002D「白鳥」。 1972.6.1 吹浦-小砂川 P:久保田久雄
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今では、旅客に関しては航空機利用が主流になった関西~北海道間の交通ですが、それまでは北陸本線・羽越本線・奥羽本線のいわゆる「日本海縦貫線」の鉄道利用がその主役でした。その日本海縦貫線を走る初の特急として1961(昭和36)年10月ダイヤ改正で誕生したのが、「白鳥」です。それまで、大阪~札幌間は到達時間は、急行「日本海」~連絡船11・12便~急行「大雪」の連絡による35時間52分が最速でしたが、「白鳥」は連絡船1・2便を介して同時にデビューした特急「おおぞら」との連絡により25時間20分とし、実に10時間32分という驚異的なスピードアップを実現したのです。また、当初の「白鳥」は大阪~上野間でも運転され、大阪~直江津間では両編成を併結して運転するという、珍しい運転形態が採られました。もちろん大阪~上野間を北陸経由で直通する乗客が多いわけはなく、関東~北陸間と北陸~関西間の2つの旅客需要を1本にまとめた、という性格のものでしたが、これはその後上野~金沢間の「はくたか」として分離されました。
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▲キハ80系で運転開始された特急「白鳥」。最長時は大阪~新潟間で14輌という堂々たる編成であった。
車輌はこの改正でデビューしたキハ82形を先頭車としてキハ80系の量産車でした。この改正では「白鳥」のほかに「おおぞら」「つばさ」「まつかぜ」「かもめ」「みどり」「へいわ」など関東・関西と各地を結ぶ特急列車がキハ80系により運転開始され、全国での特急運転が本格化した改正でもありました。
運転開始から11年後の1972(昭和47)年には羽越本線の全線電化完成により「白鳥」も485系電車化。当初はグリーン車2輌を連結した専用の編成とされました。ちなみに直流、交流50ヘルツ、交流60ヘルツのいずれの電源にも対応した3電源方式が485系の485系たる理由でもありますが、1本の特急列車でこの3電源すべてを生かしたのは、この「白鳥」が唯一でした。
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▲485系電車化後も約14時間の行程におけるオアシス的存在であった食堂車。しかし1985年3月改正で他の在来線昼行特急列車と同様に外されてしまった。
本書は、大阪~青森間の「白鳥」が終焉を迎えつつあった2001(平成13)年に、『レイル・マガジン』209号で発表された「「白鳥」40年の軌跡」をベースに、加筆・修正とともに新たな写真を加えて再構成し、大阪~青森間での運転時代を中心に、運転史の側面からその軌跡を振り返るものです。日本の在来線昼行特急における最長距離ランナーとして記憶にも記録にも残る「白鳥」。ぜひお手に取ってご覧ください。
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