![moriguchi.jpg](http://rail.hobidas.com/bogie/assets_c/2017/02/20170207135646-fc927b6c507862b048fda4d3893b6e00a34ea93e-thumb-520xauto-37130.jpg)
1970年の全廃までトロリーバスの営業所が併設されていた守口車庫。 P:宮武浩二
![20170123182439-3dff5b384f8e8b36b04565edbe62bb977fbffbb4.jpg](http://rail.hobidas.com/bogie/20170123182439-3dff5b384f8e8b36b04565edbe62bb977fbffbb4.jpg)
![abeno1.jpg](http://rail.hobidas.com/bogie/assets_c/2017/02/20170207141424-f7598939758f071d40f83c7204a25fbaf9993f4b-thumb-520xauto-37140.jpg)
阿倍野北操車場横に残る架線柱(上)と天王寺駅前に残る架線柱の切株(下)。 P:宮武浩二
![abeno2.jpg](http://rail.hobidas.com/bogie/assets_c/2017/02/20170207141828-15b4a2090d506355f3b1c4eded872c8fc6b3a3cd-thumb-260xauto-37147.jpg)
![kumata.jpg](http://rail.hobidas.com/bogie/assets_c/2017/02/20170207140005-76d458e6a63cd4529bf12452e3079aa61e0376c6-thumb-520xauto-37133.jpg)
上)今も市バス「杭全」(くまた)バス停として残る第3号線杭全町転回地。トロリーバス廃止から19年後に関西本線東部市場前駅が近くに開業した。 P:宮武浩二 下)架線柱が道路信号用として残る新喜多大橋。 P:宮武浩二(車中より撮影)
![shinkita.jpg](http://rail.hobidas.com/bogie/assets_c/2017/02/20170207140302-cc46aec80cc5c1b8a88e63ee494e4e81d833dd5d-thumb-260xauto-37136.jpg)
市電の代替であった第8・9号線の開業を経て、大阪市営トロリーバス最後の開業区間となったのが第3号線の延長区間であった田島町四丁目~杭全町間です。1962(昭和37)年のこの開業は新喜多大橋の架け替えを待ったものでしたが、その新喜多大橋にも1本のみ架線柱が残っています。
終点であった杭全町はトロリーバス時代と同じく市バスの転回地として使用されており、ここが一番面影が残る場所と言えるかもしれません。
用地の形が残ることが多い新設軌道の鉄軌道と違って、その面影を辿るのが難しいトロリーバスですが、廃止後47年経たことを考えれば、大阪のトロリーバスの遺構はよく残っている方といえるのではないでしょうか。
![RML210BN.jpg](http://rail.hobidas.com/bogie/20170123194511-e5c3849ece061501a9b9f043e103d9f4a3720c23.jpg)