1970年の全廃までトロリーバスの営業所が併設されていた守口車庫。 P:宮武浩二大阪のトロリーバスで2番目、1957(昭和32)年に開業したのは守口車庫前~今里間の3系統(第2・3号線)で、当初は最初の開業区間である大阪駅前~神崎橋間の1系統(第1号線)とは全く接続しない路線でしたが、3年後の1960(昭和35)年に森小路町一丁目~大阪駅前間(第2号線)が開業し、両線が結ばれて守口車庫前~神崎橋間の2系統の運行も開始されました。第3号線の起点であり、基地でもあった守口車庫には、今も市バスの営業所がありますが、トロリーバスゆかりの建物は残っていません。阿倍野北操車場横に残る架線柱(上)と天王寺駅前に残る架線柱の切株(下)。 P:宮武浩二3番目に開業したのが新深江~今里~大池橋~阿倍野橋(天王寺駅前)の第4号線です。阿倍野橋には駅前に切り倒された架線柱の跡が、また市バス阿倍野北操車場横にも架線柱が1本残っています。その阿部野橋への入り口、ループ線の分岐点であった寺田町交差点は、輻輳していた架線も昔話で、現在は市電の跡もトロリーバスの跡もありません。上)今も市バス「杭全」(くまた)バス停として残る第3号線杭全町転回地。トロリーバス廃止から19年後に関西本線東部市場前駅が近くに開業した。 P:宮武浩二 下)架線柱が道路信号用として残る新喜多大橋。 P:宮武浩二(車中より撮影)市電の代替であった第8・9号線の開業を経て、大阪市営トロリーバス最後の開業区間となったのが第3号線の延長区間であった田島町四丁目~杭全町間です。1962(昭和37)年のこの開業は新喜多大橋の架け替えを待ったものでしたが、その新喜多大橋にも1本のみ架線柱が残っています。終点であった杭全町はトロリーバス時代と同じく市バスの転回地として使用されており、ここが一番面影が残る場所と言えるかもしれません。用地の形が残ることが多い新設軌道の鉄軌道と違って、その面影を辿るのが難しいトロリーバスですが、廃止後47年経たことを考えれば、大阪のトロリーバスの遺構はよく残っている方といえるのではないでしょうか。