
1970年の全廃までトロリーバスの営業所が併設されていた守口車庫。 P:宮武浩二


阿倍野北操車場横に残る架線柱(上)と天王寺駅前に残る架線柱の切株(下)。 P:宮武浩二


上)今も市バス「杭全」(くまた)バス停として残る第3号線杭全町転回地。トロリーバス廃止から19年後に関西本線東部市場前駅が近くに開業した。 P:宮武浩二 下)架線柱が道路信号用として残る新喜多大橋。 P:宮武浩二(車中より撮影)

市電の代替であった第8・9号線の開業を経て、大阪市営トロリーバス最後の開業区間となったのが第3号線の延長区間であった田島町四丁目~杭全町間です。1962(昭和37)年のこの開業は新喜多大橋の架け替えを待ったものでしたが、その新喜多大橋にも1本のみ架線柱が残っています。
終点であった杭全町はトロリーバス時代と同じく市バスの転回地として使用されており、ここが一番面影が残る場所と言えるかもしれません。
用地の形が残ることが多い新設軌道の鉄軌道と違って、その面影を辿るのが難しいトロリーバスですが、廃止後47年経たことを考えれば、大阪のトロリーバスの遺構はよく残っている方といえるのではないでしょうか。
