もと阪神の831形で昭和3年より製造された急行用電車である。昭和39年までに廃車となり、そのうち10輌が叡山線に入線した。当初はポール集電で、さらに京阪京津線で不要となったスライダー・シューのポールに取り替え、晩年はパンタグラフに改造された。デオ600形に機器を譲る形で廃車が始まり、最終的には昭和57年夏の踏切事故によってすべての運用は終了した。 ’74.12 修学院 P:永野晴樹