201輌中たった5輌しか製造されなかった汽車会社製。南九州のC57では4号機とともに一桁の若番で人気があった。ちなみに4号機は長工デフ、この9号機は門デフだ。1937(昭和12)年製。戦後は一貫して九州に配属。門司港、長崎、早岐を経て1968(昭和43)年人吉区へ。肥薩線「川線」で活躍。1973(昭和48)年、宮崎に転属。活躍の場を日豊本線に移し、蒸機牽引最後の急行、1121レ「日南3号」も牽引、有終の美を飾った。やや甲高い独特の音色をした気笛だった。1974(昭和49)年6月、廃車。 ’73.8.11 日豊本線 宮崎 P:矢野登志樹