中央線の電化に際して、諸外国から輸入された電気機関車が東海道筋から集められて使用されることとなった。主に集められたのはED17形であったが、さらにED56形やED57形などの少数派も仲間入りした。それでも不足する機関車は新製して充当することとなり、誕生したのが国産機ED16形であった。1931(昭和6)年に、三菱、日立、芝浦/汽車、川車/川船で全18輌が作られたED16形は中央線を皮切りに、上越線、阪和線などに散って客貨列車牽引に活躍。最終的には立川機関区に全機が集結して南武線、青梅・五日市線の貨物列車を牽引した。登場時から最終時期に至るまで外観的に大きな変化が生じなかった機関車だが、最終時期の特徴を強いて挙げれば、前照灯の大型化、標識灯埋め込み…といったところだろうか。ただし妻板に埋め込まれた標識灯は、その位置が内側寄り、下側寄りなど機関車によりまちまちで、それが逆にED16形各号機の表情を微妙に変えているのが面白い。写真の3号機は1931(昭和6)年5月に三菱製。’69.6.1 立川 P:笹本健次