先日この地にお召列車が運転されましたが、85年の「わかとり国体」の時には回送区間でした。予備機を従え、重連で通過する姿はとてもかっこよかったです。 '85.10.21 山陰本線 泊-松崎 P:鈴木敏行
2011年11月アーカイブ
和風客車「みやび」。もっともっと永く永く活躍してほしかった...。 '86.11.9 飛騨小坂-渚 P:須崎雅宏
臼杵湾まで望む大景観を従え、力闘するD51牽引上り貨物列車。サミットの佐志生トンネルはすぐそこ。電化開業まであと1か月、ようやく撮影できた納得の一枚。 '74.3 幸崎-佐志生 P:藤田高士
あな悔しや、霧島越えの傑作を見るにつれ、悔しさが甦る。明日の早朝550レはC55の前補機。夜明け前には峠に向かって歩き出すこととし、国分駅に泊まり込んで準備は万端。唯一の誤算は翌朝、重連の駅進入の轟音まで目覚めなかったことだった。 '73.8.26 国分 P:田中一弘
一仕事を終え網走で次の仕業に備え待機するC58。凍結予防の蒸気に満ちた庫内は、この地の仕業の厳しさを物語っていた。 '75.1.2 田中一弘
高尾駅を発車した下り列車はやがて山岳地帯に分け入る。小仏峠を越える旧甲州街道に沿った線路はここで長い小仏トンネルを抜ける。この年までトンネルの手前には列車交換のため、小さなホームの小仏信号場が設けられていた。 '64.5.2 小仏信号場 P:中島正樹
C62の並び。右は先発の「ゆうづる」牽引のC62。左は後発の「第3十和田」牽引のC62。ともに、深夜0時を回った時刻に平を発車して青森をめざした。撮影時は、まだ19歳の青年だった。 '67.8.4 平機関区 P:高橋孝一
霧島越え定番の撮影地、松永小学校うらのお立ち台。蒸気牽引列車の撮影効率が悪く一度だけの撮影でしたが、25‰を登るC57は迫力満点でした。 '73.12 国分─南霧島(信) P:吉葉富雄
夏休みが終盤にかかって撮影で訪れている人は少なかった。この付近は蒸機列車の本数が多く、特にこのC55 52は今日は旅客、昨日は貨物と表情を変えて楽しむことができた。 '73.8.30 日向沓掛─田野 P:宮山幸雄
EF58 53号機が牽引する寝台急行「銀河」が、白糸川鉄橋を通過する。ゴハチが東海道本線で20系寝台特急を牽引していた頃を彷彿させるシーン。 '79.2 根府川─真鶴 P:藤田高士
架線は張られているもまだ電化前。大型機が活躍する場面に会うことが出来た思い出の高一の夏休み。大阪発八代行。233列車。機:C59 119。 '64.7.28 光─下松 P:青木一郎
茨城植樹祭にともなうお召列車運転の朝、ご出発の9・10番線ホーム準備中の様子です。特別通路から赤絨毯を敷設中の階段、ホーム上には赤バッジのSPの姿もあります。地上の横須賀線、サロ、巻き取り式の案内器、昭和末期の東京駅がありました。 '76.5.22 東京 P:高橋卓郎
初めて友人と総武本線に訪れ、榎戸駅で下車。地べたにしゃがみ、親父に借りたカメラを構えて待っていると、8620がゆっくりと現れた。初めて見た大迫力の蒸機に圧倒され、手が震えて煙が切れた写真となってしまったが、今でもその時の興奮が忘れられない。 '69.3.26 総武本線 榎戸─八街 P:鈴木一平
機関車のファーストナンバーは注目を集め人気も高いが、他の車輌はいささか目立たない存在である。このキハユニ17 1もファーストナンバーで稀少形式だったが地味な生涯を送ったようだ。 '76.3 美祢線 湯ノ峠─鴨ノ庄(信) P:伊藤智庸