鉄道ホビダス

2011年1月アーカイブ

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初のホームドアが設置されたこの駅は、かつてはどちらかといえば地味な印象の駅だった。貨物駅の荷役作業もありふれた光景。そういえば近頃、こんな日当たりのいい駅が都内から消えてしまった。 '75.5.18 恵比寿 P:井芝七路

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桑名川までのスキー臨客に使われたC12がC56のラッセル車に付けられて飯山まで回送。雪晴れの飯山駅構内で静かに憩うC12 199の姿が見られた。 '72.1.3 飯山 P:中島正樹

夏井渓谷の古豪

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全国各地で見られたスタンダードなD51でなく、重厚な個性を持つD60が見たくて初秋の夏井川渓谷へ。旅客のDC化も進んでなく、半数は蒸機が牽引していた。 '67.9.10 江田信号場 P:高橋孝一

雪のち晴れ

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降り続いていた雪も止み日が射してきた。辺り一面雪化粧のなか新雪を踏みしめながら134レがやってきた。普段D51はついでに撮影していたが、あまりの美しい光景に今日は真面目に構えた。 '70.3.11 小沢─倶知安 P:内田博行

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この日の団臨は豊岡のC57 94が牽引。東海道本線蒸機走行とあって沿線はファンでいっぱいでした。上り線を行くのは東京を目指す「桜島・高千穂」です。 '72.4.23 神足─山崎 P:石地康司

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九州横断の夢を乗せて昭和47年に日ノ影から高千穂まで延伸。その後、立野に向かう工事が一部進んだものの遂に念願叶わず。未舗装部分と綺麗な駅舎が開通早々の様子。小荷物類も懐かしい。 '73.3.28 高千穂 P:青木一郎

森林鉄道の記憶

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森林鉄道フェスティバルの帰り道、線路の跡はすっかりきれいな舗装道路になっておりその変貌ぶりに時代の流れを感じた。上松から鬼渕鉄橋を渡った先に小さなヤードがあった、林鉄車輌のはるか先を381系「しなの」が行く。 '74.11.6 上松 P:服部基寛

尾久扇形庫の末期

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無残な光景であるが、長らく東北・常磐筋の旅客列車用蒸気機関車のねぐらであった尾久機関区扇形庫は、1965年11月末このように姿を消した。 '65.11.23 尾久機関区 P:長谷川武利

列車交換

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1往復しかない通しの貨物(上り)を小諸から列車で追跡。岩村田、中込、八千穂と撮り進み、佐久海ノ口ではC56同士の交換を狙ったが、真夏のトップライトには負けた。バス窓のキハ10系がいいなぁ。 '71.8.11 佐久海ノ口 P:新井宏明

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1972年からしばらくのあいだ、西武山口線を1911年製の小型機関車が走っていました。「おとぎ電車」の愛称のあった行楽用軽便鉄道でしたが、今は新交通システムになっています。 '74.9 西武鉄道山口線 P:佐藤圭樹

深川機関区にて

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初めての冬(季節的には春)の北海道、D61に会うべく深川へ。構内にはD61 4号機(写真では後ろ)が39696を「クラ」から出して元気に入換え中。左奥には除雪用DD14が見える。その手前には近くの小学生だろうか、写真を撮りまくっていた。 '73.3.11 深川機関区 P:宮山幸雄

日本海の潮風を受けて

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上野から急行「津軽」に乗り五能線へ向かった。朝の通勤列車を撮るつもりだったが、順法闘争のおかげで列車が大幅に遅れてしまい、この海沿いのポイントに向った。最初で最後の五能線での撮影となった。 '73.3.10 岩舘─大間越 P:早瀬文朗

ED18 1号機

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飯田線の旧国を見ようと予定した日は、最悪の天候、辰野に着いても雨は上がらず、しかし、辰野駅では、運よくED18 1と出会うことが出きました。 '75.5.4 辰野 P:鴨下精一

日光連山を背に

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思川から小山に向かうと大きな右カーブがある。晴れた日に小山側から見ると、背景に日光連山が連なっていた。鉄橋、カーブ、築堤、背景、非電化などがそろった好撮影地であった。 '67.2.19 思川─小山 P:高橋孝一

高原の団結号

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転車台に載っていたC56 150。当時この白ペンキの文字を見てガッカリしたことを思い出しますが、いま改めてこの写真を見ると、より国鉄らしさを感じます。 '72.9.23 小海 P:中西裕一

一面の天日干し

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小海線に「白樺」走るのニュースに友人と一緒に向う。この高岩周辺は大小の岩が多く、秋の刈り入れも終えて一面天日干しの風景が広がり、国鉄時代の良き風物詩でもあった。DD16 8。 '84.10 馬流─高岩 P:長岡行夫

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C62 2号機は1972年梅小路運転区に車籍を有しており京都-姫路間で臨時列車SL白鷺号として牽引していた。1974年8〜9月全般検査以降は本線走行がなされていない。 '73.10 大阪 P:原田敬司

ドラマの幕開け

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第23西川鉄橋を渡り信号場に進入する芸備線857D。D51三重連2492レが演じた壮大なドラマの幕開けを告げる使者のような存在だった。 '71.2.11 新見-布原(信) P:鈴木博之

キワ90 1

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1965年頃発行された「気動車ガイドブック」という本に、珍しいキワ90が載っていたことを覚えていた。ただ配置が宮崎のため、住んでいる東京からはあまりにも遠かった。それから4年後、蒸機を撮影しながら九州、宮崎機関区を訪ねたとき、まさか会えるは思わなかっただけに、隅に置かれているのを見たときは嬉しかった。想像したよりも小さく、地味な色合いだった。 '76.8 宮崎機関区 P:長津 徹

40年前の中央線

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高校3年のとき修学旅行のためカラーフィルムを購入。2枚ぐらい残っていたので、中央線を撮るために世田谷の自宅から自転車で出かけた。多分荻窪あたりだと思うが、甲府行き普通電車や「アルプス」など撮影した。 すれ違いのDCはキハ58でまだ冷房もついていない。複線高架になってないときの中央線。柵もなく、のどかな風景だった。 '66.3 荻窪付近 P:志井純一

追憶の山陽路

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山陽新幹線博多開業直前、高校の春休みを利用して撮影旅行に行きました。東京から急行「桜島・高千穂」に乗って西に向かったのもいい思い出です。  埴生-厚狭 '75.3.7 P:吉川 明

冬の海

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風光明媚な五能線でも一番好きな場所は岩館-大間越の海岸線。大間越で下車、雪が降ったり止んだりし、寒風が吹き付ける道を鉄橋付近まで歩いた。やっと見つけた小道を登り詰め、海岸段丘の高所に出ると、やがて雲間からの日射しに輝く海原をバックに8620牽引の733レ弘前行きがやって来た。 '73.1.28 岩館-大間越 P:中島正樹

C58奮闘

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鉄道と日常生活の間でほどよい距離が保てた時代でした。懐かしい思い出です。 '73.6 加太-中在家(信) P:原田敬司

逆風の発車

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二度目の冬の北海道、本数が稼げる栗丘〜栗山間でほぼ1日滞在。栗丘駅の発車を狙ったが逆風で煙はご覧のとおり。 '74.2.25 栗丘 P:宮山幸雄

24年前の正月

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ED75 701+50系客車4輌+ED78 1と言う驚きの編成で、24年前のお正月(卯年)に初詣臨時列車が運転されました。東北本線にED78が走ることはほとんどなくて、地元ファンは大喜びでした。お正月なので、前面には日の丸が掲げられました。 '87.1.1 藤田 P:阿部 淳

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学生時代の思い出として九州ぐるっと一周の旅に出た。宮崎駅〜小倉まで夜行座席車、急行「日南4号」に乗車。指定はとったものの満員の約7時間の長旅。ほとんど寝ることができなかった。 '75.3.20 宮崎 P:迫尾 肇

新旧両雄

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参宮線のC57撮影に行く途中、松阪駅で、キハ82「くろしお」とD51貨物の横並びに遭遇、思わずシャッターを切りました。 '72.3.19 松阪 P:大西東太郎