中学1年生の冬休みに、貨物列車は走っていないことを覚悟の上、北九州に撮影に出かけました。僕はD50には間に合いませんでしたが、当時数輌残っていたD60をなんとか撮影できました。豪快に煙をなびかせて走り去る姿に感動し、煙が見えなくなるまで寒さを忘れて見送りました。 '73.1.5 筑豊本線 直方−勝野 P:綿崎真澄
筑豊本線の最近の記事
C55 57牽引の上り若松行き740レがブロアーを利かせて出発合図待ちです。 '69.8.8 筑豊本線 原田 P:柿浦和敏
朝の柔らかい光の中、駅を通過してきたD50 90の牽くセラ・セムの貨物列車が目の前を通過して行きました。 '69.3.23 筑豊本線 筑前垣生 P:村木勝義
夜行急行「雲仙」で初めての筑豊入り。最初の撮影は折尾〜中間の非電化・複線区間に決めていました。やってきたのは期間限定で車籍復活したデゴマル。この時の感激は今も忘れられません。 '72.8.3 筑豊本線 折尾ー中間 P:石地康司
空のセキを牽引して飯塚方面に向かうバック運転の9600。この区間は伊田線も並走していて列車の密度は高い。 '63.12.25 筑豊本線 直方-勝野 P:中島正樹
C55には3度出逢った。C55 1と旭川機関区の扇形車庫で、C55 27と吉都線で、そして筑豊本線では1734レを牽く美しいC55 51が夏の閑散期をのんびり走っていた。 '70.7.14 筑豊本線 中間 P: 森瀬壽三
雨天なので撮影は諦め、飯塚から急行「天草」の客車最後尾に乗車して、力行するD60の音を堪能した。真後ろからプッシュするD60 34の咆哮は怖いくらいだった。 '72.10 筑豊本線 筑前内野-筑前山家 P:高橋洋二
D60が冷水トンネルを飛び出してきた。トンネル上の構造物は筑前山家側だけに作られた排煙設備で、当時はもう使用されていなかったが異様な外観は興味深かった。 '72.1.10 筑前内野-筑前山家 P:高橋洋二
デフレクターのない9600形や8620形が頻繁に行き来している様はまるで一昔前に戻ったようであった。 '71.10.1 折尾-中間 P:高橋洋二
冷水トンネル手前の築堤の急勾配に挑む738レ。ダイヤ上はD60牽引のはずがこの日はD51が代走。期待が大きかっただけにガッカリしながら撮った一枚。 '69.5.2 筑前山家-筑前内野 P:鈴木博之
筑前内野駅を降りて周辺を歩き、撮影ポイントを探しました。田園風景が広がる中、駅方面に進入する下り723レがD50 90に牽かれてやってきました。朝の光を浴びてバックの山に白煙を浮かび上がらせた情景は、付近の民家ともマッチしていました。 '69.3.24 筑前内野 P:村木勝義
複線での蒸機列車同士のすれ違いは往時、東海道本線で見慣れていたが、久しぶりに筑豊で見るC55 46牽引733レと2764レD51 361の走行離合には、新たな感動があった。'70.7.15 中間 P: 森瀬壽三
D60が来るものと期待して待っていると、やって来たのは戦時型D51 1062号機。落胆してシャッターーを切ったが、折良くバス窓のキハと離合してくれた。 '72.8.4 直方-勝野 P:古澤成博
九州撮影旅行筑豊本線2日目は筑前内野駅付近に来ました。駅ホームへ進入してきた下り733列車はC55 57の牽引でした。停車中、スポーク動輪のその美しさにずっと見とれていました。 '69.3.24 筑前内野 P:村木勝義
大型機活躍拠点の直方。多くの蒸機が行き交い、憩い、構内は煙の中。まずはD50が撮れて一安心。 '70.4.29 直方機関区 P:青木一郎
飯塚駅に進入するC55 57牽引の733レ。地方の駅でも列車進入時は複数の駅員がホームに立ち列車の安全運行を担っていた。 '69.2.10 飯塚 P:鈴木博之
中間-折尾間は非電化複々線で8620、9600、C55、C57、D51、D60といった多種多様な機関車が見られ、効率よく撮影できました。中でもデフなしの86や96牽引の列車はまるで大正時代の雰囲気で魅力的でした。 '72.1.6 中間-折尾 P:高橋洋二
直方駅構内を見渡す跨線橋でC55 3牽引の737レを撮影。このあと吹き上げるシンダーを浴びて服がススだらけになった思い出のショット。 '69.2.10 直方 P: 鈴木博之
あいにくの大雨だったので撮影は切り上げ、急行「天草」の最後尾に乗車して後部補機D62 34の走行音を録音しました。ガラス窓を通しても25‰を登る咆哮は迫力十分でした。 '72.1.10 筑前内野-筑前山家 P:高橋洋二
大雪の峠道をD50140号がゆっくり登る。ヤッケは羽織っているが軍手の指先、足元の布製のズック靴!のつま先から融けた雪が滲みこみ、凍える寒さに耐えながらの撮影。高校2年生の冬の無謀な思い出。 '71.1 筑前内野〜筑前山家 P:藤田高士
当時、筑豊本線は旅客貨物とも大半のスジを蒸機が担っていた。デゴマル牽引の723レで中間駅に向かい、C55・D60などの活躍を見た。下り線を行く1765レ牽引のD60 31。'70.7.14 中間 P:森瀬壽三
「早起きは三本の得」と言う言葉が流行った。筑豊本線の折尾〜中間間も早朝は香月線からの乗り入れがあり、確かに3本位多く撮れた。 '71.8.1 折尾-中間 '71.8.1 P:松崎昌一
夏休みに乗ったあこがれの蒸機列車。地元では本当に生活の一部としてとけ込んでいました。 '71.8 P:本荘裕二
本来重連の貨物列車1765レは正月明けのせいか荷がなかったが、D60 23+D60 22は共に迫力ある噴煙を上げて、冷水トンネルまでの25‰勾配を勢いよく登って行きました。 '72.1.10 筑前内野-筑前山家 P: 高橋洋二
炭砿地帯の象徴であったボタ山が間近に見えていた筑豊の飯塚。ピラミッドのように聳えるその前を上りD51貨物が通過して行った。 '63.12.25 飯塚 P:中島正樹
C55のバック運転で人気のあった735列車が複々線の築堤をテンダーを揺らしながら登って来た。この人気列車も1週間後のダイヤ改正で消えてしまった。 '68.3.15 折尾ー中間 P:松崎昌一
昔から子供たちは機関車と大の仲良しだった。校外で写生の授業だったのか、若松機関区で見かけた1コマ。C55 52健在だった頃。 '68.12.2 若松機関区 P: 岸 芳夫
雪景色になった冷水峠をD60が本務機のC55を歩調を合わせながら登ってきた。この後D60は飯塚まで行って今度は「天草」の補機となって再び冷水峠を登って来る。 '71.1.3 筑前内野-筑前山家 P: 松崎昌一
中学2年の春休み、初の九州旅行で東京から急行「桜島」で降り立った最初の駅は早朝の折尾駅だった。4線区間で朝のD60、8620の客レ撮影後駅前に戻ってきた。 '73.3.27 折尾 P:高橋卓郎
「C55 52」と「C57 52」を揃って写すことができました。どちらも私にとって好きな「カマ」でしたが、2台が揃って若松にいた期間は短かったと思います。 '71.12.31 若松機関区 P:衛藤哲也
今は昔の筑豊本線複々線区間で無煙化間近の撮影。やって来たのは最後まで残ったD60の内、唯一の門デフ機D60 61。同機は芦屋町に保存されているが最近リニューアルされたのが嬉しい! '74.4.27 折尾-中間 P:木部智司
峠越えを前に原田行き普通客レを熊本行き寝台特急「明星」が追い越す日常の風景。 '76.7 桂川 P:服部基寛
直方機関区の見学は毎週金曜日14:00〜15:00の1時間。拓本取りや撮影に大忙しの鉄友。元気にしてるかなー。 '72.8.4 直方機関区 P:石地康司
新雪の冷水峠の大舞台。この日の主役D60三重連の登場まであと20分。先導役としてC55牽引の露払い列車が颯爽と現れた。 '71.1 筑前内野─筑前山家 P:藤田高士
梅小路入り前に期間限定で復活したこの機関車がお目当ての一つだったが、結局駅の構内でチラッと見かけたのみ。あの頃は運用を調べて追いかけるなんて、考えもつかなかった。 '72.7 直方 P:井芝七路
珍しく九州で大雪となる。雪の降りしきる中を、ゆっくりと喘ぎながら登ってくる蒸気機関車は幻想的でした。 '71.1.5 筑前山家-筑前内野 P:木村信夫
当時の筑豊のシンボル、ボタ山を絡めて撮ろうと飯塚駅に行った。やって来たのはラッキーなことにD60 61〔直〕+D51 807〔直〕の重連。発車の際、D60の歯切れのよいブラスト音が印象的だった。 '72.8.4 飯塚 P:古澤成博
D51とD60の重連貨物が冷水峠を煙を噴き上げながらドラフト高く登って来た。サミットの冷水トンネルはもうすぐ。 '70.3.20 筑前内野-筑前山家 P:松崎昌一
当時の筑豊本線は主力のD60が急速に淘汰され、D51に置き換わっていった時期であった。この32号機も今日が運用最終日で、翌日には休車扱となり、数日後に直方を再訪した際には、ナンバープレートがはずされた状態となっていた。 '72.7.28 折尾―中間 P:遊川 清
厳しい峠越えを終えたC55 52牽引の1735レが冷水トンネルから飛び出してきた。トンネル上部には換気装置と思われる機械室があったが、実際に使われていたかは確認できなかった。 '69.5.2 筑前内野-筑前山家 P:鈴木博之
複々線区間で、9600同士のすれ違いに巡り会った。手前は若松から直方方面へ、向こうは鹿児島本線に入り、門司港方面へ向かう。 '71.4 折尾-中間 P:藤田高士
筑豊本線最大の難所である冷水トンネル手前の大築堤を喘ぐように登る740レ。西日に輝くC55 19のスポーク動輪が美しい。 '69.5.2 筑前山家─筑前内野 P:鈴木博之
博多方面への篠栗線全通で冷水越えの旅客は減ってしまったが、この時期貨物はまだ健在だった。午後から筑前内野側で撮り始めたが、重連はD60+D51の1本のみ。現地で知り合った人から手作りダイヤを頂戴し、今でも記念に持っている。 1765レ D60+D51 筑前内野-筑前山家 P:中島正樹