宮崎県植樹祭で日南線にお召列車が運転された。あいにく強い雨にたたられたが、きれいに磨き上げられた回送C11 200+C56 92がファンに見送られ、宮崎へ向けて出発した。 '73.4.8 日南線 志布志 P:中島正樹
四国各線の最近の記事
大学鉄研合宿で訪れた四国。お目当てはキハ181でしたが合間に撮影していたDE10貨物。今やこちらの方が貴重かも知れません。 1983.9 土讃本線 小歩危−大歩危 P:稲毛信夫
宇高連絡船で着いた高松駅は終着駅のムードがあふれていました。今、キハ181系特急「しおかぜ」が、松山へ向けて発車を待っているところです。 '77.1.31 予讃本線 高松 P:村木勝義
実家の押入れから試し焼きらしき仕上がりの悪い白黒プリントが出てきた。高校3年の冬休み一人で四国へ渡った時、同級生に借りた広角レンズで撮った画像だった。私が転勤で地元を離れてから、同級生とは20年逢っていない。 '78.12.25 土讃本線 坪尻 P:野々村康久
黒潮が打ち寄せる浜辺と断崖絶壁に張付くように設けられた3連アーチ橋を渡る列車。その絶景を撮りたくてやってきた。小雨模様であったが心に残る写真が撮れた。「南風2号」 '76.5.3 土讃本線 土佐新荘-安和 P:内田博行
大歩危峡を行く急行「あしずり」。ディーゼル王国の名をほしいままにしていた国鉄時代の四国を代表する光景です。 '80.8.15 土讃本線 小歩危-大歩危 P:宮城浩志
かつて国鉄の御得意様だった。鉱石運搬列車。四国にもあった。土讃本線の襟野々付近から多ノ郷付近の工場まで石灰石を運ぶ列車だった.本数は10本くらいあったと思う。襟野々駅の奥の鉱山や多ノ郷駅付近の工場にいつか行こうと思っていたが、その日は訪れなかった。 '81.8 斗賀野-吾桑 P:長友克行
夏場でも鶯が鳴く谷底の駅は、近年秘境の駅として注目を集めていますね。DF50を退避させて181系「南風」が駆け抜る、スイッチバックの駅のハイライトシーン。 '80.5.3 坪尻 P:野々村康久
箸蔵で出会った人たちと一緒に撮った懐かしい画像。緑と朱のコントラストが美しかった。この辺りも景色が大きく変わったと聞く。 '80.5.3 箸蔵-佃 P:野々村康久
16歳の夏休み。仲間と訪れた高知機関区には、四国ならではの顔立があった。撮影後、当直助役の計らいで風呂に入れてもらい、さらに機関区の施設に泊めてもらった嬉しき想い出。 '78.8 高知機関区 P:野々村康久
撮影旅行の初日はいつも強行軍! 疲れて昼寝する友人達を撮影するのも楽しみでした。 '78.8.23 琴平 P:筒井敦己
前夜の急行「鷲羽」と宇高連絡船で四国入りした。頻繁にやって来るDF50に対し、もったいない撮り方をしていた。 '78.8.24 海岸寺 P: 野々村康久
満開の桜がC11の出発をお見送り。春のうららの浦ノ崎。 '71.4.31 松浦線 浦ノ崎 P:藤田高士
四国旅行の時の写真です。轟音をたてて滑り込んできたのを思い出します。 '80.8.24 P:松本卓彦
冬枯れの阿蘇南郷谷を走るC12、お気に入りの写真だったが、30年以上もほったらかしにしていたため、一部変色してしまった。 '74.1.4 阿蘇白川ー高森 P: 衛藤哲也
実家の押入から出てきたモノクロ写真には16歳の私がいた。 '78.8.25 斗賀野 P: 野々村康久
新改駅は静かな山の中。駅前の店でおやつにミカンを買った。一袋100円だったかな? スイッチバックの駅は私一人の撮影場だった。 '78.12.25 新改 P:野々村康久
四国の玄関口高松駅でDMH17のアイドリング音を奏でながら発車待ちの急行「あしずり」。先頭に立つのは信越用に製造されたキハ5716で四国が最後の活躍の舞台でした。 '81.7 高松 P:鈴木博之
吉松駅へ進入する、肥薩線の雄・急行「えびの」。折り返し大畑越えの難所に挑む。 '85.12.27 吉松 P:岩切道郎
夏の四国へ鉄道の旅に出かけた。この日は土讃本線に乗車して秘境駅訪問。山間に設けられたスイッチバックの坪尻駅で途中下車し、周辺を散策後、しばらくしたら次に乗る普通列車が峠越えのトンネルから姿を現した。 '83.8.22 坪尻 P:鵜飼功一
四国の旅は高松駅に始まる。頭端式ホームには連絡船からの乗換え客を迎える急行列車が停まっていた。夏服を着こなす車掌さんが優等列車の証だった。 '86.8.14 高松 P:田中一弘
中学卒業して高校入学までの春休み、四国に一人旅。雨の新居浜駅で亀山から転勤してきた元お召機DF50 26号機が給油をしていました。 '81.3 新居浜 P:神谷真悟