京阪神方面へ帰る修学旅行臨12系客車。牽引するはDD51 1043、今では人気者、しかし亀山機関区所属時は側面白帯を省かれた"ハズレ"の機関車であった。 '78.6 紀勢本線 松阪 P:楢井勝行
紀勢本線の最近の記事
栃原駅下りホーム(上り副本線)に入る亀山行き普通列車。編成はキハ53+キハ35+キハ45+キハ20+キハ55、よくぞここまで掻き集めたもんだと感心しました。 '81.5 紀勢本線 栃原 P:楢井勝行
紀勢本線尾鷲駅で「南紀2号」に道を譲る天王寺発亀山行き924列車。煤煙とSGの交ざった匂いが思い出されます。旧型客車を求めて全国を巡っていた。「わが国鉄時代」の思い出...。 '84.12.29 P:米山浩司
首都圏色となり被写体としてつまらなくなった一般型気動車。そこに現われた新鋭キハ40、格好良いその姿を撮りたかったがなかなか先頭には立ってくれませんでした。 '81.11 紀勢本線 栃原 P:楢井勝行
朝の通勤通学列車が交換します。停車中の下り列車と上り列車を待つ乗客。栃原駅が最も賑やかになる時間でした。 '78.6 紀勢本線 栃原 P:楢井勝行
複線化なったばかりの紀勢本線の海南付近の大カーブを南下するC57 119牽引の臨時「しらはま」です。次位に南海サハ4801を連結した土曜限定の急行列車でした。 '65.5.29 紀勢本線 海南付近 P:飯田 勝
普通DCがD51貨物離合、見送る駅員、ありふれた日常風景だった。 '73.4 紀勢本線 下庄 P:服部基寛
油の匂いが漂う昼休みの検修庫。庫内に佇むDF50。床面に木煉瓦が敷き詰められいることにいまさらながら気づいた。 '79.3.20 亀山機関区 P:野々村康久
紀伊勝浦発名古屋行き「紀州4号」と紀伊勝浦発京都行き「くまの」が併結。堂々とした長大編成にて栃原駅を通過します。 '77.11 栃原 P:楢井勝行
鈴鹿川橋梁で参宮線伊勢市行き821列車を狙いました。早朝まだ薄暗い時間帯で、集煙装置がついていましたが、亀山を発車して豪快に鉄橋を渡るC57の迫力に興奮しました。 '72.1.30 亀山-下庄 P:村木勝義
4号機が短い貨物を牽いてやってきた。川面に映った山の頂が切れているのに気付いたのは35年後だった。 '79.3.20 多気-徳和 P:野々村康久
826レタブレット交換。客車列車の蒸機牽引もうあとわずか。今日は四次型の198号機が来た。 '73.1.3 津 P:眞岡孝至
紀勢本線のDF50を撮影するためによく利用しました。来月当時の仲間たちと青春18切符で撮影旅を企画していますが、青春切符発売期間限定で924レ復活願いたいものです。 '79.3.16 P: 筒井敦己
ズルツァーサウンドの二重奏。梅雨空の下で耳を傾けるのもまたよし。 '78.6 大内山-梅ヶ谷 P:藤田高士
こどもの日の鯉のぼり。最近はあまり見かけなくなりましたが、この家では今もあげているのでしょうか。 '80.5.5 伊勢柏崎 P: 筒井敦己
櫛田川の水面は水鏡となった。当時仲間と甲斐バンドを歌いながら列車を待っていた。 '79.3.20 多気-徳和 P: 野々村康久
岩代駅付近のS字カーブを行く貨物列車。レールの向こう側には美しい太平洋が広がっています。 '85.8.20 紀勢本線 岩代-切目 P:采女 誠
名古屋発天王寺行き"くろしお"が梅の花咲く栃原大カーブを通過する。腕木式信号機はなくなったが美しい山並みと茶畑は今も変わらない。 '78.3 栃原-川添 P:楢井勝行
初めての紀勢本線巡りで、まずは紀伊田辺機関区を訪問した。昼ののんびりした一時、構内には旅客用C58、C57と共に貨物用D60が見られ、入換えはC50が当たっていた。 '65.9.25 紀伊田辺 P:中島正樹
78年3月、6輌製作されたキハ81のうち残っていた2輌が出会う場所が新宮であった。この日の運用は、「くろしお5号」にキハ81-3、「くろしお2号」にキハ81-5が入っていた。 '78.3.31 新宮 P:和田洋一
天王寺〜名古屋間を延々14時間かけて走破する普通列車924レが到着。新宮まで連結のB寝台車寝台券をマルス発券するために「南紀」という立派な列車名が冠せられていた。 '78.6 新鹿 P:藤田高士
電化前の海南駅、DF50の客レもまだ健在な頃、隣接する野上電鉄は日方という名前の駅だった。 '76.12 海南 P:服部基寛
栃原大カーブを走るDD51牽引のお座敷列車スロ81系。赤い機関車と緑帯の入った青い客車、この編成美には脱帽です。 '81.3 栃原-川添 P:楢井勝行
鉄研の木曽合宿前に名古屋駅に立ち寄り。天王寺からのキハ81「くろしお2号」が到着するところ。左側には中央西線客車列車用EF64が待機している。 '73.9.9 名古屋 P:宮山幸雄
栃原駅下りホームに停車中の客車の床下から暖房用蒸気が流れてきます。荷物車とナハフ10の窓明り、そして照らされたホーム。夜の幻想的な写真になりました。 '81.11 栃原 P:楢井勝行
DF50重連のセメント専用列車。機関士と機関助士が乗務し、かつ非総括制御。合わせて4名がこの列車を動かしている事実に、改めて驚く。 '78.6 九鬼 P:藤田高士
紀勢本線ではEF58+旧客の普通列車が運転されておりました。狭い前端バリが特徴の39号機が来るので、つらら切り・正面窓下の手すり無しを強調するため、広角レンズで撮影をしました。 '84.3 田並-田子 P:采女 誠
竜華区のEF15とEF58の引退の日です。ヘッドライトが一灯に復元された66号機は美しく、大勢のファンから歓声があがりました。 '86.2.23 紀三井寺-黒江 P:采女 誠
夕方になると参宮線用の客車入換えのため、C50が活躍していた。ヤードや駅構内を動き回るマスコット的な存在だった。 '72.1.7 P:石地康司
就職を控え学生時代最後の思い出にと、電化され新たな職場を得たEF58を求め紀勢線へ出かけた。朝日を浴びて古座の鉄橋を行く通勤通学列車の美しさは、今でも忘れられない。 '81.3.10 古座-紀伊田原 P:佐々木裕治
終焉近いキハ81を姿勢正しく見送る駅員の姿が印象的。十数年後にキハ82を追って再訪した際は貨車を改造した無人駅舎。さて今は? もう二度と訪れることはないだろう。 '78.5.28 伊勢柏崎 P:八木雅弘
参宮線のC57撮影に行く途中、松阪駅で、キハ82「くろしお」とD51貨物の横並びに遭遇、思わずシャッターを切りました。 '72.3.19 松阪 P:大西東太郎