大雪の降る中、手ノ子駅から宇津峠へ向かい、歩けるところまで歩いて撮りました。 '71.2.1 米坂線 手ノ子ー羽前沼沢 P:小野木定一
米坂線の最近の記事
坂町発の米沢行き128レは越後下関を発車すると、間もなく荒川支流を渡り最初の勾配区間を登り始めた。この後、米沢盆地に下るまではずっと豪雪の山中である。 '70.1.3 米坂線 越後下関−越後片貝 P:中島正樹
降り始めた雪は本降りとなり、気が付くと視界も音も奪うほどの吹雪になっていました。突然、客車を従えて音もなくやってきた米沢機関区の79606に夢中でシャッターを切りました。 '71.12 米坂線 手ノ子―羽前沼沢 P:後藤 篤
初めて米坂線を訪れた時に撮影した第二荒川橋梁を渡る下り混合列車。荒川がまだダム湖になる前で水面は今よりもかなり低い。この後、越後下関まで歩いたが列車との出会いはなかった。 1967.8.14 米坂線 越後金丸-越後片貝 P:中島正樹
3月にしては珍しい大寒波となり、急に雪の米坂線に行きたくなった。しかし、下車した手ノ子は猛吹雪に見舞われ、撮影ポイントへ向かうのは大変だった。線路見回りの保線区員の後についてやっと築堤付近までたどり着き、勾配を登って来た125レを撮った。 '71.3.7 手ノ子―羽前沼沢 P:中島正樹
越後金丸駅を発車した上り列車はすぐ勾配区間に入る。雪山の見える駅の外れで待っていると安全弁を吐出し、精一杯のドラフト音を響かせて早くも眼前に現れた。 '71.4.4 越後金丸-玉川口 P:中島正樹
永年親しまれた米坂線の蒸機運転も残すところあと2日、宇津峠周辺には早くも多くのファンが集まっていた。定期列車もこの時ばかりはファンサービスに盛大に煙を上げてくれた。 '72.3.12 手ノ子―羽前沼沢 P:中島正樹
厳しかった雪の季節が終わり、晴れ上がった青空の下に残雪が眩しい宇津峠。長い勾配区間を越え、トンネルを抜けて来た9600牽引の貨物が軽やかに築堤を下って行った。 '71.4.3 手ノ子-羽前沼沢 P:中島正樹
トンネルから飛び出してくる列車を撮影するときは今でも緊張する。特に蒸気機関車が力行してきて急に煙が吹きあがる瞬間は何ともいえない。 '72.3.7 越後金丸-越後片貝 P:高橋洋二
米沢駅構内で見かけた雪に埋もれたC11。春先の豪雪で積雪はすでに隣の屋根との境も分からないほどになり、最近まで活発に走り回っていた蒸機も火を落とすと哀れである。 '71.3.8 米沢 P:中島正樹
北海道に行く途中に寄った米坂線。雪晴れとなり、69633は旅客列車を牽引して気持ちよく緩勾配を登ってきた。逆光だったが、雪のために車体が明るく写った。 '72.3.7 越後金丸-玉川口 P:高橋洋二
坂町からの上り貨物列車は越後下関を過ぎると、まもなく荒川の支流を渡り急勾配にさしかかる。この先、手ノ子まではずっと山間部が続き、荷は少ないが9600の見せ所である。 '70.1.3 越後下関-越後片貝 P:中島正樹
米坂線の9600が終焉を迎えようとしている時期。気動車の乗客は窓を開けて対向の蒸気機関車を熱心に撮影している様子です。機関士は点検整備中でしょうか。 '72.3 小国 P:中川弘一
小国駅で9600が停車して給水作業中。その光景を後ろからファンが見つめています。その向いのホームでは列車を待つ地元乗客の姿がローカル的な雰囲気を醸し出している。 '72.3.14 小国 P: 中川弘一
米坂線で活躍している9600が間もなく引退して無煙化を控えて多くのファンが訪れました。小国駅での9600とファンのふれあいのひととき。 '72.3.14 小国 P:中川弘一
米坂線の無煙化前のころ、残雪の小国駅では、9600牽引客車にバック運転運転で前補機の連結作業を行っているところです。周辺ではファンがカメラを向けていました。 '72.3.14 小国 P: 中川弘一
米沢からいくつもの山間を越えてやっと坂町側へ下ってきた123レ。背後にはトンネルで抜けてきた山々や荒川峡温泉郷の集落が見え、間もなく越後下関に到着する。 '70.1.3 越後下関-越後片貝 P:中島正樹
季節外れの豪雪に遭遇、雪まみれになって山間部を抜け来た128レの59663。やっと米沢駅に辿り着いたが、抱き込んだ雪でホームとの境も分からない。 '71.3.8 米沢 P:中島正樹
今も、蒸気機関車のことは覚えているでしょうね。 '71.9.26 羽前小松 P: 島貫隆夫
冬晴れの一日、新雪の降り積もった手ノ子駅では懸命に除雪作業が行われていた。折しも79607牽引の旅客列車が進入する。同機は郡山式集煙装置を撤去したので煙突が低く、取り付けステーにその名残がある。 手ノ子 '71.2 P:島貫隆夫
冬の夕方、9600が煙の尾を引いて走っていきます。 '71.12.18 羽前小松-中郡 P:島貫隆夫
41年以上前の投稿者の後姿です。同行撮影者の武男君が撮影。これから宇津峠越えの9600乗車体験。私は29689の駅到着を夢中で撮影。友人がこんな写真を撮っていたのが最近わかりました。 '71.3.30 P:武者秀男
関西から新幹線経由で上野から夜行を乗り継いで米坂線の越後金丸駅にやってきました。無煙化を控えた9600の最後の勇姿をトラス橋を渡る貨物列車に出会うことが出来ました。 '72.3 越後金丸 P:中川弘一
米坂線と言えば手ノ子-羽前沼沢間の宇津峠が有名だったが、羽前沼沢-伊佐領間にも撮影ポイントが点在していた。手ノ子側に比べると山が迫り広がりはないがではないが所々に橋梁があったりして撮影には事欠くことはなかった。 '71.12.26 P:武者秀男
越後金丸駅に96600牽引の下り貨物列車が到着、豪勢に4人の駅員の出迎えを受けた。間もなく上り旅客列車と交換する。 '65.1.31 越後金丸 P:中島正樹
米坂線撮影後、坂町に移動し羽越本線のD51や米坂線の9600の発車光景を撮影の合間に機関区を訪問したらロータリー車が置かれていた。冬場に米坂線で活動したとのこと。 '71.3.30 坂町機関区 P:千葉武男
米坂線のキューロクがなくなる日、坂町駅では惜別の催しが行われテープカットと地元の音楽隊による演奏も行われました。小生は、この蒸機列車に乗って坂町駅で下車して撮影したものです。 '72.3 坂町 P:中川弘一
越後金丸で下車、玉川口寄りに撮影場所を探していた時、雪中を静かに忍び寄って来た下りラッセル車に遭遇。後追いであわててシャッターを切ったが、幸い背景には荒川のダム湖や雪山がうまく取り込めていた。 '64.2.19 越後金丸-玉川口 P:中島正樹
118レで越後金丸から米沢へ乗車中、小国駅で先行していた貨物列車の隣に停車。貨物列車の陰には9600が待機していて3輌並びが実現した。このカマはやがて118レの前補機となり、宇津峠の勾配に挑んだ。 '65.1.31 小国 P:中島正樹
さまざまな貨車を牽いて峠に向かうキューロクを後追いで狙ってみました。161レ '71.12.9 手ノ子-羽前沼沢 P:柿浦和敏
米坂線の名所、眼鏡橋を雪景色の中を9600が渡ります。まもなくDL化が進み老兵9600も引退します! '72.3 伊佐領-羽前沼沢 P:中川弘一
DL化前日。最後のお別れ列車。米坂線には3日前から入り、宇津峠などで最後の活躍をする9600を撮影しました。最後は小国駅を発車する9634を先頭にした重連を撮影し締めくくりました。 '72.3.14 小国 P:武者秀男
羽越水害で沿線の荒川水系が氾濫した1年後に訪れた米坂線。羽越本線から分岐するこの辺りにはそれらしい痕跡は見られず、いつも通り9600が元気に走ってきて一安心した。 '68.8.3 坂町-花立 P:中島正樹