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特集・コラム

EF55にくっついて走ってたナゾの客車「スエ78」その知られざる秘密とは?

2023.10.11

 このたびKATOから登場したEF55と時を同じくして登場した「高崎運転所 旧型客車7両セット」ですが、これに含まれる「スエ78 15」という、一風変わった旧型客車があります。このスエ78とは、国鉄末期のEF55の復活から1990年代初頭まで、高崎周辺の旧型客車によるイベント列車でよくつながっていた車両です。その外見は同じ旧型の43系客車と比べても特異で、折妻や丸屋根、大きな荷物扉を持ち、中間の側窓は旧型客車では珍しい二段窓、そして極めつけは3軸ボギー台車を履いた点が特筆されます。

 注目の3軸ボギー台車なのですが、こうした台車が使われる車両は、余程の重量物を運ぶ貨車か、そうでなければ、戦前の展望車、お召用の御料車、特急用の食堂車といった乗り心地を重視した車両のみに使われていたものです。ではなぜ、「乗り心地」といった言葉からは程遠い救援車が3軸台車を履いているのでしょうか。

 それはこの車両の種車に関係しています。このスエ78は最初から救援車として製造されたわけではなく、元々は1935年にスロシ38010という半室食堂車として誕生したためです。ちょうど同時期に作られた食堂車スシ28 301が、現在も京都鉄道博物館に保存されており、同様に3軸台車を履いています。
 用途として3軸台車を必要としない救援車が、わざわざ重量も増えてしまう3軸台車を後から履き替えることは考えにくい上、そもそも3軸台車というものは、その軸距や台車中心の関係から、他の2軸ボギー台車に簡単に履き替えられるものではないことから、この台車こそが元々の育ちの良さを象徴していました。

さて、スエ78の車両形式をひも解くと

  • 「ス」は37.5t以上42.5t未満の重量
  • 「エ」は救援車
  • 「78」70番代の形式は戦災復旧客車にあてがわれた番号

となります。

 70番代の形式からもわかる通り、このスエ78は、戦前太平洋戦争時に戦災に遭い、応急処置的に走れるよう、一般客車として戦後に修理された車両なのです。さらに、最近刊行された『RM LIBRALY 70系戦災復旧車(上・中・下)』によれば、のちのスエ78は戦争を境に、2等車から3等車であるマハシ49 21という半室食堂車になり、その後被災。その修理に合わせ、一般客車に修繕し、戦後間もなくの輸送力不足を補ったとのことです。更には郵便荷物車マユニ78となり、晩年は救援車スエ78となったのです。

 このスエ78 15は既に解体されてしまいましたが、残っていれば88年前の車両となります。スエ78は激動の時代に翻弄されたため、その経歴や車両のカタチは不思議な車両ですが、元を正すと、本線優等列車に使われていた由緒正しい車両だったのです。

▲スエ78 15のイベント列車での車内の様子。

 こちらの写真は国鉄時代の1986年7月25日の高崎~水上間で運転さ入れたEF55復活記念列車「GOGO TRAIN」でのスエ78 15の車内の様子です。デッキ扉のない1・2位側の車端部の車内に写真展示コーナーを設け、EF55と流線形車両の成り立ちについて写真で解説しています。パネルに並行して、柵が用意されていますが、揺れる車内という場所柄、荷物扉の戸袋に、しっかりとネジで固定されているようです。
 この時の展示スペースへの改造で、スエ78の車内に本来用意されていた、救援用の器具類はほとんど撤去されていたのではないかと推測されます。この写真からも判るような写真パネル展示のほか、高崎支社謹製のキーホルダーやハンカチなどのグッズなどの物販なども行なわれており、これらがスエ78の主だった編成内での役割だったのでしょう。天井には事業用車ならではの保護棒付き白熱灯に丸屋根の内張りも見どころです。

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 戦前のある時期、乗り物の世界に流線形ブームというものが世界的に起こりました。日本の国鉄の前身である鉄道省も例外ではなく、各種車両に流線形の設計を取り入れました。その一つとして特急用電気機関車として1936年に登場したのがEF55です。
 本書では、EF55の登場の経緯から末期までの姿を追うとともに。1986年の復活時に撮影された各部のディテール写真や、図面でEF55の全てに迫ります。

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