text:RMライブラリー編集部
現在、国内で最も北にある路面電車は札幌市の札幌市電ですが、かつてはさらに北に位置する旭川市にも路面電車が走っていました。それも2つの鉄道事業者によって…(!)ここでは1954(昭和29)年夏に渡道して貴重なタイミングで両方の鉄道を調査した青木栄一さんの記述を元にご紹介しましょう。
▲旭川電気軌道の昭和30年代の貴重なカラー写真。未舗装の塀用軌道を、貨車を牽いた電車がゴロゴロ走っています。RM Re-Library 17「昭和29年夏 北海道私鉄めぐり」より(カラー写真は1957年撮影のもの)。
■旭川電気軌道
まず一つ目に紹介するのが旭川電気軌道。この会社は今もバス会社として健在ですが、鉄道会社時代の社名を今なお残しています。市内中心部の旭川四条から東川へ延びる東川線、旭川追分で分岐して旭山公園へ延びる東旭川線の2系統の路線があり、軌間は1,067mm、架線電圧600Vで当初より電化されていました。塀用軌道が多くの部分を占めていたとはいえ、市内から郊外へ延びる郊外電車という性格が強かったと言われます。また農産物を中心とした貨物輸送が電車牽引によって行われていたことも特筆できるでしょう。鉄道の廃止は1973年1月1日、実際の最終営業日は1972年の12月31日限りでした。
▲旭川電気軌道では、電車が古典的な木造客車を牽くシーンも見られました。RM Re-Library 17「昭和29年夏 北海道私鉄めぐり」より。
旭川電気軌道の車両は、モハ101とモハ1001の2両が現在も大切に保存されており、前述の通り社名が今も残っていることからも比較的有名な存在と言えるでしょう。
■旭川市街軌道
ではもうひとつの路面電車とは…? それが旭川市街軌道という事業者で、昭和初頭の時代に当時の陸軍第七師団を巡る3つの路線で開業したと言われています。1954(昭和29)年夏の時点では既に路線の整理が進んで往時の半分ほどの規模になっていたと言われますが、市内名所の旭橋を渡る区間もありました。電車は2軸の単車で乗降扉付近が低い路面電車タイプの車体を持ちます。軌間は1,067mm、架線電圧600Vでやはり当初より電化されていました。
▲左頁は広告タワーの下をくぐる旭川市街軌道の電車の情景。RM Re-Library 17「昭和29年夏 北海道私鉄めぐり」より。
残された路線も、取材のわずか2年後の1951年に全線廃止となりバスに転換。会社は旭川バスと名称を変更しましたが、この会社は後年に前述の旭川電気軌道に吸収されてしまいました。廃止時期が早かったこと、保存車が存在しないこともあってこちらのほうが知名度は低いと言えるでしょう。
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さて、その青木栄一さんの旅行記ですが、RM Re-Libraryにて待望の復刊となりました! 旭川の2つの路面電車だけでなく、今はもう見られない数々の鉄道会社が目白押しで大変楽しい本となっています。ネコパブショップではノベルティのポストカード2枚セットの特典付きで販売中です。
■RM Re-Library 17「昭和29年夏 北海道私鉄めぐり」