text:上石知足(鉄道ホビダス編集部)
▲205系6ドア車試作車のサハ204-901。晩年は埼京線へ転属し、ハエ18編成に組み込まれていた。
‘12.10.28 埼京線 武蔵浦和 P:芦原やちよ
1990年、ラッシュ時間帯の混雑に対応すべく、長らく通勤型のスタンダードとして定着していた片側4ドアから、2つ扉を増やした6ドアとした車両が山手線で登場しました。その後京浜東北線、横浜線、埼京線、中央・総武線といったJR東日本管内でも特に混雑が激しい路線に導入されたほか、会社の垣根を超えて東急田園都市線で活躍していた車両にも投入されました。ですがそんな6ドア車は2010年代頃から徐々に置き換えられ、2020年3月13日で全ての車両が営業運転を終えました。切り札だったはずの6ドア車はなぜ消えたのか、その背景を振り返ります。
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■山手線で産声を上げた初の6ドア車
▲山手線で活躍していた当時のサハ204形0番代。後年はほとんど埼京線へと転属した。
‘91.11.1 蒲田電車区 P:RM
(台車近影より)
そもそもの多扉車の歴史は5ドアで登場した京阪5000系から始まっており、こちらはラッシュ時以外は天井部に格納した座席を下ろして3ドア車として運行するというなんともユニークな形態でした。その後京王6000系や、東武20050型・営団03系に5ドア車が登場したりと、JR・東急の6ドア車以外にもこうしたドア数を増やす対策は行なわれていました。
そんな中1990年当時、首都圏各線区の輸送人員は増加の一途を辿っており、その混雑対策は急務となる中、増発や編成のさらなる長大化には限界を迎えていました。そんな中で、JR東日本が打ち出したのがこの6ドア車でした。サハ204形とされたこの車両は格納式腰掛を備えており、ラッシュ時は座席を折りたたみ乗車人員を増やすといった効果を狙っていました。900番代と区分され、2両製造したこの6ドア車は、山手電車区(当時)205系第42編成の2号車と9号車に組み込まれた上で1990年3月10日から営業運転へと投入、データ収集が行なわれました。
ドアが増えただけでなく、格納式の座席、中央には混雑時に掴まれる場所としてスタンションポールが備え付けられたほか吊り手も増設、従来の通勤電車とは雰囲気が少々異なる内装をしていました。特にシートが格納式となったため、暖房装置についてはパネル式のフロアヒーター(床暖房)とした所や、現在では標準装備となっている車内の液晶モニターをいち早く装備していたのは特筆すべき点でしょう。
この試験結果を踏まえた上で、1991年には量産車となる0番代が誕生。山手線の全編成に1両ずつ組み込まれ、同時に山手線は11両化されました。
■その後も波及していった6ドア車
▲JR東日本の6ドア車と同様のデザインをした6ドアステッカーを貼り付けた東急5000系。編成中間に2両連続で6ドア車が連結されているのが見て取れる。
‘15.4.21 東急電鉄 田園都市線 たまプラーザ P:芦原やちよ
「ラッシュ時はシートを全て折りたたみ人を詰め込む」といった点で乗客からは不満の声があったものの、山手線での6ドア車は実際に混雑への効果を発揮し、他線区へも普及していきました。1994年には横浜線の205系にも6ドア車であるサハ204形100番代が連結。この100番代は0番代とは異なる点が多く、台車やドアに当時量産を行なっていた209系の設計が多分に取り入れられているのが特徴です。1両増結する形で組み込まれ、それまで7両編成だった横浜線はこれにより8両編成化。位置としては2号車に連結されていました。
さらに京浜東北線で増備途中であった209系においても、1995年から順次6ドア車の組み込みを開始。こちらは山手線や横浜線とは異なり、10両の長さは維持したまま編成組み換えにより全編成に6ドア車を連結しました。さらに中央・総武線のE231系900・0番代、山手線に導入された同系の500番代にも6ドア車が連結。特に山手線のE231系500番代は11両編成のうち2両を6ドア車とし(7号車と10号車に連結)、その存在感を強めていきました。
また、この頃に東急田園都市線へ導入が進められていた5000系の一部編成にも6ドア車の連結が決定。JR以外の事業者で6ドア車を導入する例はこれが初めてとなり、6ドア車連結を示すステッカーもJRと同様のものが用意され貼り付けられていました。この東急5000系には当初10両編成のうち2両の6ドア車が組み込まれましたが、その後もう1両組み込むこととなり最終的には10両編成中3両もの6ドア車が連結されることとなりました。
■とある設備の導入が6ドア車に終止符を打った
‘20.2.1 総武本線 御茶ノ水〜秋葉原 P:芦原やちよ
ラッシュ時の混雑が激しい路線での対策として、首都圏ではお馴染みとなっていた6ドア車ですが、2010年頃からその流れは変わりました。それがホームドアの導入です。
鉄道駅のバリアフリー化を目指し、2010年代頃から活発になったホームドアの導入ですが、開口部の構造上の問題や、4ドアと6ドアが混在する路線では扉数が異なる車両へホームドアが対応することができないため、各路線では撤退を余儀なくされました。さらに収容力の高い拡幅車の導入や、新線の開業、直通運転などにより年々混雑率が低くなっていたことも要因として挙げられます。
京浜東北線209系、埼京線205系、横浜線205系については、後継車で6ドア車の設定がないE233系に置き換えられ消滅。山手線と東急田園都市線は置き換え用4ドア車を製造し6ドア車を全廃。中央・総武線に関しては、山手線時代既にオール4ドアとなったE231系500番代の転入により既存の6ドア組み込みE231系0番代の大部分を置き換え、一部中央・総武線に残留した0番代についても編成組み換えにより6ドア車を置き換えました(同時に4M6T編成から500番代と同等の6M4T編成に変更)。特に山手線・田園都市線の6ドア車の多くは新造から数年での廃車となっており、非常に短命な車両となってしまいました。
ラッシュ時の対策として一時は一大勢力を築き上げていた多扉車。2020年3月13日を以ってに最後の運用線区となっていた中央・総武線の6ドア車が運用を終了。1990年3月10日に山手線でサハ204形が運行開始してから丁度30年で6ドア車はその歴史に幕を下ろしました。多扉車の栄華と衰退の歴史は通勤電車を語る上では外せない、そんな存在の車両ではないでしょうか。
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