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特集・コラム

国鉄レールバスは、誰が望んだのか?

2023.02.25

text:RMライブラリー編集部

 昭和20年代後半、国鉄では閑散線区向けにバス車体の技術を流用した車体にバス用エンジンを装着した簡易な鉄道車両即ち「レールバス」を開発しました。これにはお手本があり、西ドイツで1950年より製造されたシーネンオムニブスことVT95形を、当時の国鉄技術陣が視察した上で参考にしたと言われています。

▲西ドイツでは同系車が実に2,000両以上活躍したというVT95形。P:星 晃

 日本でもレールバスが普及する土壌はあったと思われますが、実際には国鉄当局は導入には消極的だったようです。当時キハ17系の量産がようやく軌道に乗ったところで、それをローカル線に普及させるのが優先だという考えがあったこと。そして実際問題として工作局としても多忙を極めていた時期であり、新機軸に振り向ける設計余力がなかったようです。さらに運輸局の方でも、小型すぎる車両はかえって不経済という試算のもと、腰が引けてしまっていたとのこと。

 では、誰がこれを望んだのか…一説によると、4ヶ月にわたる欧州視察を経てこのシーネンオムニブスに大いなる可能性を見出した当時の長崎惣之助・国鉄総裁その人だったそうです。一刻も早くローカル線の経営改善に着手したい…という思いを実現するため、当時新進の車両メーカーであった東急車輛(総合車両製作所の前身のひとつ)の協力で誕生したのが一連のレールバスだったのでした。

 当初キハ10000・10200形として誕生した49両は、形式称号改正では3形式に分類され、全国の閑散線区で活躍しました。

キハ01形

 

 四国地区特有のバンパーが装着されたキハ01 56。寒地仕様として新製されたが後に四国に転属した。’64.3.21 宇和島機関区 P:豊永泰太郎

 元のキハ10000形10000~10011。うち、暖地型が4両、寒地型(キハ01 50番代)が8両。運転台が中央部にあることから前面は変則3枚窓となっており、また片側側面につき2扉となるのが特徴でした。塗り分けは後年の特急塗装によく似た暖色系の塗り分けで、これは後続のレールバスにも踏襲されました。

キハ02形

鉄道模型の入門セットを思わせる、キハ02形2両連結運転。1953年 P:日本国有鉄道(所蔵:久保 敏)

 元のキハ10000形10012~10028。運転台が左手に寄せられたことで、前面窓は2枚に。そして客扉が車体中央の1扉に改められました。

キハ03形

小樽市総合博物館で保存されているキハ03 1。P:羽山 健

 元のキハ10200形10200~10219。3形式の中では最多数派となります。キハ02の形態を元に酷寒地仕様とされたもので、床下機器がカバーされた形状となっている点が最大の特徴。

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 レールバスは元々耐用年数を犠牲にしたような構造であり、本格的な後継車も誕生しないまま、事実上全車15年も経たないうちに全廃された…というのが歴史的事実です。しかし当時の長崎総裁が、毛細血管のように張り巡らされた路線網を活かすために鶴の一声で推進した…そんな熱い思いが込められていたことを知ってから振り返れば、また違った歴史的意義が見えてくるのではないでしょうか。

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