185系

特集・コラム

数多くの名車が消えた15年前。まとめると見えた2008年鉄道の「節目」

2023.01.27

text:鉄道ホビダス編集部

‘09.8.30 名古屋鉄道名古屋本線 国府―小田渕 P:馬渕英輔
(鉄道投稿情報局より)

 2023年の現在から15年前の2008年、この年は名車や名列車と言われたものが特に多く引退した年でもありました。中でも12月には新幹線0系の引退と、名鉄7000系「パノラマカー」の定期運用終了が特筆すべきできごとと言えるのではないでしょうか。今回はそんな2008年にタイムスリップして、どんなことが起きていたか振り返ってみます。

↓2008年に引退・廃止となった主な車両や列車を見る!↓

■東急8000系引退

’08.1.13 東急東横線 渋谷 P:福田智志
(消えた車両写真館より)

 東急8000系は1969年に界磁チョッパ制御やワンハンドルマスコンといった当時最新の技術を盛り込んだ電車として登場。車体はオールステンレスで、東急線ではその後スタンダードとなる20m級・両開きの4ドアという規格で最初に製造された車両です。東急8000系はその後8500系、8090系、8590系と派生系式が次々と誕生し、8500系については2023年1月まで活躍を続けていました。
 8000系は東横線を中心に大井町線でも運用されましたが、東横線・大井町線共に2008年で営業運転を終了し、東急線内から姿を消しました。なお、現在国内では伊豆急に譲渡された編成が今もなお活躍を続けており、一部編成は東急時代を彷彿とさせる無塗装の状態で運行されています。

■ゆとり(元・サロンエクスプレス東京)引退

‘08.3.8 東海道本線 早川―根府川 P:外川 拓
(鉄道投稿情報局より)

 お座敷客車だった「ゆとり」は、14系座席車を改造した欧風客車「サロンエクスプレス東京」をルーツに持つジョイフルトレインです。サロンエクスプレス東京として誕生したのは1983年で、この車両の誕生を機に、主に団体列車での運行を想定し、特殊な内装・外観とした車両のことを「ジョイフルトレイン」と呼ぶようになりました。
 1997年には「ゆとり」として、それまでの欧風からお座敷の和風客車に改装されました。ですが内装の改造が中心になっており、外観は塗装を含めサロンエクスプレス東京時代と変わりはありませんでした。そして2008年3月、老朽化により25年の活躍に終止符を打ちました。なお、このうち展望車の2両(スロフ14 701・スロフ14 702)は長らく尾久車両センターに留置されていましたが、2015年7月に廃車となり姿を消しました。

■寝台特急「なは・あかつき」廃止

‘06.5.22 山陽本線 塩屋―須磨 P:熊 博毅
(お立ち台通信より)

 寝台特急「なは」は、大阪〜西鹿児島(現・鹿児島中央)間の気動車昼行特急をルーツとする列車名で、1975年の山陽新幹線全通を機に昼行から夜行の寝台特急として生まれ変わりました。対する「あかつき」は新大阪〜西鹿児島・長崎を結ぶブルートレインとして1965年に運行を開始。その後西鹿児島・熊本発着を「明星」として分離、併結運行などを経てJR化後は南宮崎発着の寝台特急「彗星」と併結し、その後「彗星」は2005年に廃止。以降は「なは」と併結するようになりました。ちなみに「あかつき」には1990年より、夜行バスなどに対抗するため3列座席車となる「レガートシート」を連結。編成のアクセントとなっていました。
 晩年「なは」は京都〜熊本間、「あかつき」は京都〜長崎間で運行されており、それぞれ鳥栖まで併結していました。この「なは・あかつき」の廃止により京阪神発九州行きの寝台特急が消滅し、その歴史にピリオドを打ちました。

■寝台急行「銀河」廃止

‘08.3.15 東海道本線 横浜 P:長田悠樹
(鉄道投稿情報局より)

 寝台急行「銀河」は東京〜大阪間で運行されていた夜行急行列車で、戦後間もない時期に運行開始した東京〜大阪間の夜行急行列車群のうち1往復に「銀河」と名付けられたのが始まりです。当時は1等車と2等車のみの豪華な編成でしたが、戦後混乱期ということもあり間も無く3等車が連結されるといった経緯があります。
 その後運行区間を神戸、そして姫路に伸ばし、最盛期には2往復存在していましたが、新幹線の開業や夜行バスの勢力拡大などにより徐々に縮小。運行区間も東京〜大阪間に落ち着きました。そして2008年3月に、東海道本線最後の夜行急行だった「銀河」は廃止となりました。

■EF58 61最後となる自走

‘08.6.20 山手貨物線 新宿―渋谷(山手線 原宿) P:宮本和雄
(鉄道投稿情報局より)

 EF58のお召し牽引指定機である61号機ですが、この2008年6月20日に行なわれた東京総合車両センターの単機回送が事実上最後の自走となりました。この61号機は1953年に日立製作所で新造、東京機関区に配置されました。なお60号機もお召し指定機として登場しており、こちらは東芝が製造を担当。配置は浜松機関区でした。
 60号機が国鉄時代の1983年に廃車となる中、61号機はお召し指定機としてJR化後も残り続け、お召し本務機としてだけでなく、一般の営業列車などの牽引にも従事しました。ですが、後継の登場や経年により、2008年の走行を最後に長らく東京総合車両センター内で保管されていました。ですが、昨年晴れて鉄道博物館での常設展示が開始され、その勇姿をいつでも見に行けるようになりました。ちなみに鉄道博物館へは「寄託」という形で、車籍自体は現在も有したまま休車扱い(所属は尾久車両センター)となっています。

■名鉄7000系「パノラマカー」定期運行終了

‘08.8.28 名古屋鉄道常滑線 大同町―大江 P:小川貴浩
(鉄道投稿情報局より)

 日本で初めてとなる前面展望を備えた電車、そしてその後の名鉄車両の標準塗装となる「名鉄スカーレット」を初めて採用した電車として、1961年に登場したパノラマカーこと名鉄7000系。登場後、派生系式や改良などを加えながら長らく活躍を続けていましたが、7000系も2008年12月に定期運行を終えました。
 この7000系で特筆すべきカラーバリエーションが通称「白帯車」でしょう。白帯車は、1982年に国鉄東海道本線の117系快速「東海ライナー」に対抗する特急専用車両として登場した形態で、内装を中心に改装されていました。後継の特急車「パノラマSuper」などの登場により、白帯車は1999年に一旦消滅しましたが、引退目前の2008年10月に7011Fが白帯車に復刻、2009年8月のラストランまで活躍しました。

■0系新幹線引退

‘08.12.6 山陽新幹線 西明石 P:大村聡志
(鉄道投稿情報局より)

 言わずと知れた世界初の高速鉄道として開業した東海道新幹線の初代車両、0系。この0系が営業線から完全引退したのも2008年になります。登場は1964年の東海道新幹線開業時。そこから1986年までという長い期間に亘って、さまざまなマイナーチェンジを繰り返しながら製造が続けられていました。1999年に東海道新幹線からは引退しましたが、その後山陽新幹線では残り続け、晩年は6両編成の「こだま」で活躍を続けていました。
 引退目前の2008年には、残留していた3本の0系に、往年のクリーム10号と青20号の車体色に復刻され、レイル・ファンのみならず利用する多くの人から注目を浴びました。ラストランは「ひかり」として運行され、「こだま」運用時には走ることがない通過線を疾走。途中「こだま」に転用された500系V編成を追い抜くシーンなどが繰り広げられたりと、今でもこのラストランの様子は語り草となっています。

 日常の足となる通勤電車から、豪華なジョイフルトレイン、お召し指定機にブルートレイン、また長年名車として語り継がれた車両まで、さまざまな鉄道の風景が消えたこの2008年から今年で15年。節目の年、当時を駆け抜けた車両たちに思いを馳せてみてはいかがでしょうか。

↓2008年に引退・廃止となった主な車両や列車を見る!↓

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