撮影日(特記以外):’12.9.1
text & photo:上石知足(鉄道ホビダス)
今年は「新幹線イヤー2022」。5年に一度のJR東日本の各新幹線がそれぞれの節目を迎える年でありますが…。今から10年前の「新幹線イヤー」の頃の東京駅は今と比べてどうだったのでしょうか?振り返ると変わったこともあれば、変わらないものもあります。今回はそんな10年前にタイムスリップ!当時の東京駅JR東日本新幹線ホームを散歩してみましょう。
■10年前、それぞれの新幹線車両装飾
▲E1系引退を前に、「祝 朱鷺のひな誕生」のステッカーが貼られていた。
▲北陸新幹線が金沢まで繋がった今、「長野新幹線」の名称もすっかり聞かなくなってしまった(‘13.1.3 東北新幹線 東京)。
「新幹線イヤー2012」としての記念装飾はそれぞれ一部の編成に施されていましたが、それ以外にもE1系には引退を前に「祝 朱鷺のひな誕生」のステッカーが貼られていました。なおE1系はこの撮影の約1ヶ月後、全ての定期運行を終えました。
また、2012年はまだ北陸新幹線の長野以北開業前。すなわち案内上ではまだ北陸新幹線という名称より「長野新幹線」という名称の方が多く使われていた時代です。もちろん新幹線イヤーの装飾も「長野新幹線 15th ANNIVERSARY」とE2系を添えて記されています。2015年3月の金沢開業以降、長野新幹線の名称はすっかり聞かなくなってしまいました。
■気がつくと多い「消えた車両」
▲ライトと連結器廻りが量産車と大きく違うE3系の量産先行車「R1編成」も現役だった頃だ。
2022年現在は東北方面のE5系、上越・北陸方面のE7系という二大主力車両を筆頭に、様々な車両が活躍していますが、10年前の東京駅では現在とは少し違う顔ぶれが多く見られました。当時、まだE5系のデビューからは日が浅く、E7系はそもそも落成前!まだまだ主力はE2系といった頃になります。
また、E6系は量産先行車が試運転をしていた時代で、秋田新幹線はE3系0番代のみで運用されていました。E1系は先程の通りギリギリ引退前、200系は翌年3月の引退を控えていた頃と、ちょうど新幹線車両の入れ替わりの過渡期とあり、ファン目線では様々なバリエーションの車両が多く見られた時代でした。
■200系によるリバイバルカラー
そんな中、到着すると人が集まってきたのがこのリバイバルカラーを纏った「K47編成」でした。これは、2007(平成19)年にリニューアル車の塗装を、アイボリー地にグリーンの帯と登場時のカラーリングに復刻された編成で、引退まで残った最終編成でもありました。「最後の200系オリジナルカラーの車両」として人気を博し、各種記念列車などにも多く起用されました。
ちなみに、K47編成の東京方先頭車である「221-1510」は現在、新津鉄道資料館に保存されており、今でもその勇姿を見学することができます。
■停止位置に見た未来の新幹線
▲「S12」はE6系の量産先行車が名乗っていた編成番号。現在は「Z1編成」を名乗っている。
さて、最後に何やら気になる停止位置目標をご紹介。何やら「試」という札と、カバーがかけられた停止位置目標、そしてその間には「S12」の文字が書かれた札がホーム屋根から掲出されていました。「S12」とは当時試運転を行なっていたE6系量産先行車の編成番号。おそらく、E6系が試運転する時だけカバーを外して使っていたのでしょうか?
10年前、このような停止位置目標に感じた未来の新幹線の姿ですが、今まさにその未来の新幹線を私たちは目撃しています。320km/h運転を行ない、北海道や北陸まで新幹線で繋がった今、こうして改めて試験時の様子を記録した写真を見ると、数々の努力によって実現したものだということがわかる気がします。
10年前の少し懐かしい新幹線、みなさんもぜひ少し前に記録した写真を見返して、節目である年に当時を振り返ってみてはいかがでしょうか。