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今日からジャスト40年前! 東北新幹線開業時を振り返る6つの「うんちく」

2022.06.23NEW

text:RM

 今から遡ること40年、1982年6月23日に東北新幹線が大宮~盛岡間で開業しました(当時は「暫定開業」とされ、本開業は上越新幹線開業と同時の11月15日)。JR東日本では各種記念企画も展開中で、地元を中心に盛り上がりを見せていますが、ここではその開業時を振り返って当時ならではのうんちく話を6題、披露させていただきしょう。

▲200系未更新車として最後まで活躍していたF19編成。

‘07.5.9 東北新幹線 大宮 P:福田智志
(消えた車両写真館より)

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1 消えた列車「あおば」
 東北新幹線開業時の列車愛称は、「やまびこ」と「あおば」の2種類でした。東海道・山陽新幹線での「ひかり」「こだま」に相当する、「速達型」「各駅停車型」の違いです。とはいえ、「こだま」と違って「あおば」は全時間帯・全区間で運転されたわけではなく、事実上、大宮~仙台間の各駅停車型列車で、仙台~盛岡間は「やまびこ」を各駅停車とすることで代替されていました。「あおば」の列車名は、仙台城の雅称「青葉城」から取られているのは言うまでもありません。

 その後、東京口の近距離列車(那須塩原行きなど)が「なすの」(「Maxなすの」含む)に分離(なにしろ列車名が示す仙台まで行きませんので…)、本数の少なくなった仙台行き「あおば」は、「やまびこ」に統合される形で1997年に消滅しました。結果的に、東海道・山陽系統と違って、東北新幹線では単純に速達←→各駅停車という分類が不向きだったのでしょうね。

▲仙台行き「やまびこ209号」に、リバイバルカラーの200系K47編成が充当されたシーン。

‘09.11.27 東北新幹線 仙台 P:片平宏之
(鉄道投稿情報局より)

2 200系と0系、何が違う?
 東北新幹線開業時に投入された系列は200系。団子っ鼻の先頭部などは0系にもよく似ており、アクセントカラーが0系のブルーに対して200系はグリーンとされたのが、誰にでも分かる識別点と言えました。

▲見慣れた0系のフォルムは、基本的に200系にも受け継がれた。

‘16.6.24 京都鉄道博物館 P:鉄道ホビダス

 機能・性能面で大きな違いとして、東北・上越新幹線用ならではの耐寒耐雪構造とされていることが挙げられます。外観的に極めて特徴的なのが、床下機器をボディマウント方式としたこと。通常床下に吊り下げられる床下機器を、車体下部の空間に収めて床下がすっぽりカバーで覆われた形状になっています。雪の付着と、それの脱落による石跳ねの危険を根本的に防止するという発想で、以後のJR東日本の新幹線車両も、基本的には同じ考え方が受け継がれています。

▲200系の東北新幹線定期最終運用に充当されたリニューアル車のK47編成。

‘11.11.18 東北新幹線 宇都宮 P:河澄拓哉
(鉄道投稿情報局より)

 ただしこの構造では車体重量増加が避けられません。そのため、車体の素材を軽量なアルミ合金製としたことも0系との大きな違いです。現在では新幹線車両の素材はアルミ合金製が常識ですが、その嚆矢は200系であったことは覚えておきたいですね。

▲「東北新幹線大宮開業30周年記念基地まつり」で並んだJR東日本の歴代新幹線車両。

‘12.5.19 小山新幹線車両センター P:河澄拓哉
(鉄道投稿情報局より)

3 大宮~盛岡間、開業時にはまだなかった駅は?
 くりこま高原駅(1990年開業)、水沢江刺駅(1985年開業)、新花巻駅(1985年開業)の3駅が、盛岡開業時にはまだなかった駅です。いずれも地元自治体からの強い要望がベースとなり、建設費用や土地の無償譲渡など、すべての費用を地元側が負担する「請願駅」として誕生した経緯があります。

▲10年前の、「東北新幹線30周年記念号」として200系K47編成が運転された。

‘12.6.23 東北新幹線 北上~新花巻 P:齋藤大暉
(鉄道投稿情報局より)

4 なぜ大宮暫定開業だったのか
 東海道新幹線が当たり前のように東京駅発で開業したのに比べると、東北新幹線(上越新幹線も)は開業時には都内に乗り入れることが出来ず大宮始発となり、利便性がかなり損なわれていました。上野~大宮間は既に市街地化が進んでおり、新幹線の騒音に対する住民からの反対運動があったことが大きな要因です。

 結果的に、この区間で新幹線に並走する通勤新線(今の埼京線)を同時に建設し、地域輸送を大幅に改善すること、十分な騒音対策を取ること…といった施策の上で、1985年に上野まで延伸され、悲願の都心乗り入れとなりました。ただし、この区間は曲線が多いこともあって、最高速度は110km/h(後年に130km/hに向上)に留められています。

▲東北新幹線での、新旧系列の並びが見られた瞬間。

‘11.3.5 東北新幹線 東京 P:増永祐一
(鉄道投稿情報局より)

5 「新幹線リレー号」とは
 前述の通り、東北新幹線開業時の始発駅は異例にも大宮駅となってしまったため、都心から大宮駅を結ぶアクセス列車が必要となりました。その名も「新幹線リレー号」と称し、基本的には新製されたばかりの185系200番代7連×2の14連で、上野~大宮間ノンストップで運行されました。大宮から先の新幹線特急券を所持していることが乗車の条件で、その代わり、リレー号分には特急料金などは不要でした。

 185系200番代は、「踊り子」用0番代の個性的な斜めストライブではなく、シンプルな水平ストライプが入る塗色とされました(アイボリーとグリーンの色合いは同じ)。これは200系新幹線との親和性を高くするためだったと言えましょう。「新幹線リレー号」は、1985年の上野開業で役目を終え、運行終了となりました。

▲リバイバル運行された「新幹線リレー号」。200番代は後年、田町へ転出した際に0番代と同様の斜めストライプに塗色変更された。

‘17.6.24 東北本線 赤羽~尾久 P:石川義貴
(鉄道投稿情報局より)

6 埼京線と新幹線との意外な関係
 前述の通り、大宮以南で建設反対運動に遭った東北新幹線。地元への見返りのひとつとして、新幹線に並走する通勤新線を建設することとなりました。これが今の埼京線で、赤羽~大宮間では高架橋も一体的に建設され、各駅から新幹線の列車がよく見えるようになっていますが、この区間では新幹線がたいしたスピードを出していない…というのも一目瞭然となっています。それにしても、地元対策で「仕方なく(?)」建設された路線が今や首都圏でも有数の混雑路線(≒重要路線)となっているのですから、歴史というのは面白いものですね。

▲埼京線の電車は103系→205系→E233系と変遷した。

‘13.7.10 東北本線(埼京線) 武蔵浦和 P:寺尾武士

 さて、実は「埼京線」という路線は存在せず、池袋~赤羽間が赤羽線、赤羽~大宮間は東北本線の別線…というのが正式な区分です(「埼京線」は営業上の愛称)。赤羽線を大宮まで延伸して池袋~大宮間一体で赤羽線、とした方が運転の実態に即して自然なような気もしますが、赤羽~大宮間のメインは東北新幹線で、それはあくまで在来線の東北本線の別線…というのが新幹線の基本的な考え方。じゃあ、それにぴったり沿っている通勤新線も東北本線の別線に他ならない…ということなんでしょうね。

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