取材日:’21.8.30
text & photo(特記以外):羽山 健(RM)
同行取材:遠藤イヅル 取材協力:JR東日本仙台支社山形支店
隔月刊行時代のレイル・マガジンで連載した「シーナリー散歩」。WEB編は「『駅』を訪ねて…」に再構成してお届けしています。2021年11月号では、特集「山岳路線の情景」の一環として、現役の勾配路線として有数の規模を誇る奥羽本線の板谷峠区間(福島~米沢間)を取り上げ、WEB編では峠の最初の駅となる板谷(いたや)駅からご紹介しています。
■近代的スノーシェッドに覆われた現行ホーム
さて、「その1」(→こちら)では、道路から駅に向かう正式な通路として、旧駅時代のスノーシェッドを通り抜けた…というところまでお話ししました。
▲旧スノーシェッドから、新駅のスノーシェッドが見えてきた時、下り「つばさ」E3系が軽やかに駆け抜けていきました。
▲古典的な木造の旧シェッドに比べると、鉄骨造りで作りも大ぶりな感じの現行ホームのシェッド。手前に可愛らしいログハウス風待合室があります。
▲板谷駅は現在は無人駅のため、駅事務室に相当する建物はなく、強いて言えばこの待合室が「駅舎」に当たります。
▲傾斜の深い三角屋根で開放感のある待合室室内。
▲待合室が設置されているのは上り方ホームで、下り方ホームへは構内踏切で移動します。新幹線が通過する線に、構内踏切がある…そのギャップに萌えます。なお、踏切の向こうに見えている建物はトイレです。
▲下りホームから、山形方を見通したところ。勾配途中にホームが設置されており、写真奥に向かって上り勾配になっています。昔の機関車牽引列車では勾配途中のホームは鬼門であり、だからこそこの区間の駅はすべてスイッチバック構造となっていたのですが、現在ここに停車する列車は電車だけなので、何の問題もありません。
▲薄暗い照明に照らされた駅名板。右手がシールで「庭坂」に修正されていますが、2021年に廃止されるまでは「赤岩」と表示されていたはずです。
▲待合室と意匠を揃えた感じのトイレ。
■濃厚に痕跡が残る旧駅跡
板谷駅は、現在の標準軌化されるまではホームが別の場所にあった…ということは、「その1」の記事でも記しました。むしろ新ホームまで300mほど延々と歩いてきましたが、旧駅跡はまさにその入り口付近にあったのです。
▲イラストの右上に、旧駅跡(今ではホームへの長い通路の入り口)があります。
イラスト:遠藤イヅル
▲最初に通ってきた木造スノーシェッド入り口から振り返ったところ。除雪用モーターカーが留置されている現役の保線車用線路ですが、その右手に見えるのは明らかに旧ホームの端部。
▲今も何らかの用途で使用されているこの建物が旧駅舎です。1980年代製で、近代的な様式です。
▲旧駅舎の背面から、先ほどのモーターカーの逆面、そして木造スノーシェッドの入り口方向を見たところ。足元は旧ホームに他なりません。
▲ホームに立って駅舎の反対方向を見やると、かつては貨物側線も含めて大規模な駅であった痕跡があります。レールも部分的に残っている模様。
▲5線以上跨いでいたであろうスパンの架線柱も残っています。
▲駅前広場からさらに奥側に広がっていた舗装された土地。一番奥に、何やら積み込み口のような構造物も見えます。
▲かなり色あせてしまっていますが、この案内図は今の標準軌化後の状況を描いたものです。
板谷地区では今でも天然のゼオライトが豊富に産出しており、ジークライト株式会社という会社が操業しています。ゼオライトとは、火山灰由来の、結晶中に微細孔を持つアルミノ珪酸塩の岩石で、陽イオンの吸着、水分子の吸着と放出、有害物質の吸着など、工業用として多用途に使われる原料です。同社の旧社名であるジークライト化学礦業の時代は、当駅常備の専用の私有タンク車で各地へと出荷されていました。旧駅の痕跡が妙に広大に見えるのは、この貨物を扱う貨物駅部分も含んでいたからなのです。