text:RM
現在のJR線上で、事実上唯一勾配区間での補機運用が見られるのが山陽本線瀬野~八本松間、通称「セノハチ」です。上り列車にとって最大22.6‰の連続急勾配となり、古くから後押しの補機が必要とされてきた区間で、古くは蒸機のD52形、電化後は一時的にEF61形(0番代)や、後に補機専用機のEF59形、EF61形200番代が運用されてきました。
▲EF67の写真は「後追い」が基本。100番代トップナンバーの101号機は2020年度中に廃車された。
‘19.3.8 山陽本線 瀬野~八本松 P:綿崎真澄
(今日の一枚より)
▲セノハチの補機専用機として初代となるEF59形。この1号機はEF53形からの改造。
’78.3.8 山陽本線 瀬野 P:山下修司
(消えた車両写真館より)
▲この22号機はEF56形からの改造。丸いボディが特徴だった。
‘78.3.24 山陽本線 瀬野 P:山下修司
(消えた車両写真館より)
▲EF59形置き換えを目論んで、EF60形から改造されたEF61形200番代。重連運転時に不具合があることとが判明したため、不遇の生涯を送ることになった。
‘78.3.24 山陽本線 瀬野 P:山下修司
(消えた車両写真館より)
1980年代以降は旅客列車での補機連結は必要がなくなり、貨物列車のみが対象となりましたが、その主役は「赤い直流機」EF67形でした。
▲0番代1号機と100番代105号機での重連回送。種車はそれぞれEF60形とEF65形で異なるが、側面の形態などはほぼ共通であった。
‘13.2.26 山陽本線 天神川 P:酒井将孝
(鉄道投稿情報局より)
EF67形は1982年に最初の3両(1~3)が登場。EF60形0番代を種車に、電機子チョッパ制御に改造。貨車と連結される側となる1エンド側に貫通扉とデッキが取り付けられ、前後非対称の形態となったのが最大の特徴でした。赤い塗色は広島のモミジをイメージしたものと言われています。
▲車両所の公開イベントで並んだ1号機と102号機。100番代の尾灯が角型となったのは更新後のことで、当初は両車でここまで異なる印象のものではなかった。
‘15.10.24 広島車両所 P:山田 尚
(鉄道投稿情報局より)
そしてJR化後の1990年に増備車として100番代の5両(101~105)が登場。種車をEF65形0番代に変更し、また1エンド側のデッキ及び貫通扉を廃したことが特徴でした。ただしこの1エンド側は連結器の緩衝装置が装備されて箱状に突き出しており、前後非対称という点では0番代と同様です。2003年以降、100番代車のみが更新工事を受け、尾灯が角型になってさらに塗色も車体裾にグレーと白の帯を巻くなどの変化が生じました。
▲推進する補機の機関士は、本務機の機関士と無線で連絡を取り合いながら運転する。
‘21.7.24 山陽本線 瀬野~八本松 P:加藤光一郎
(今日の一枚より)
▲紅葉の中を行く、モミジ色のEF67(写真左上の方、編成の後端)。
‘20.11.22 山陽本線 瀬野~八本松 P:中井祐希
(今日の一枚より)
▲補機運用は上り列車だけのため、下り方向は単機回送される。
‘20.10.17 山陽本線 八本松~瀬野 P:木村みずほ
(今日の一枚より)
1991年にEF61形200番代が全廃された後は、EF67形7両が長年セノハチの補機運用を一手に担ってきましたが、2012年に登場したEF210形300番代は補機専用という運用を見直し、通常の本務機としての運用を担いつつ、補機の仕業にも就くという新しい運用方法を実現。EF67形は櫛の歯が抜けるように運用を離脱していきました。一足早く0番代が番代消滅後、近年は101・102・105号機の3両体制となっていましたが、2021年度初頭の段階では105号機1両のみの在籍ということに。目立たないながらもEF66 27などと同じ「ザ・ラストワン」の存在でしたが、地元新聞の報道によれば2022年2月中旬に定期運用を終了。3月中にさよなら運転を行う意向があるとのことですので、実現を心から願いたいものです。
▲広島車両所公開をPRするヘッドマークが取り付けれられた105号機。
‘17.9.23 山陽本線 西条 P:大森晴斗
(鉄道投稿情報局より)