185系

特集・コラム

9月の鉄道のデキゴト「特急『いなほ』にE653系1000番代投入(2013年)」

2021.09.30

text:RM

「いなほ」と「ひたち」の奇異なご縁

 「○月の鉄道のデキゴト」は、当月にあった過去の鉄道の「デキゴト」(路線の開通や車両の新製・廃車、そのほかの事件など)を振り返るコーナーです! ティーブレイクにでも気軽にお楽しみください。

▲「いなほ」50周年でさまざまなマークが掲出されていた時期のE653系。
‘19.10.19 羽越本線 酒田 P:渡辺恭平(今日の一枚より)

 今回は8年前となる2013年9月28日のデキゴトから振り返ってみましょう。この時、485系で長年運転されてきた羽越本線の特急「いなほ」に、初めてE653系1000番代が投入されたのです。

▲特急色を維持し、しかも片側先頭車が1500番代ということで人気だったT18編成。
‘15.5.30 羽越本線 余目~北余目 P:山中英一鉄道投稿情報局より

 「いなほ」は52年前の1969年に誕生した特急列車で、当時は上野~秋田を上越線・羽越本線経由で結ぶ気動車(キハ80系)列車でした。先頭車はブルドッグ型のキハ81形。「いなほ」という列車名は日本有数の穀倉地帯を行くことからの命名です。この時、同時に誕生した常磐線の特急「ひたち」とは編成を間合い運用で共用する間柄、ただし主は「いなほ」で、「ひたち」は従的位置づけでした。

▲いわゆる「上沼垂色」の編成が485系末期の「いなほ」では多数派だった。写真は秋田車両センターへの入場時のもの。
‘09.2.20 奥羽本線 土崎 P:鎌田 潔(鉄道投稿情報局より)

 その後「いなほ」は1972年に日本海縦貫線の電化完成によって電車化、この時に初めて485系が投入され、その後長い付き合いとなります。「ひたち」もこの時にやはり485系化。「いなほ」の間合い運用は解消され、専用車両が投入されました。「ひたち」の運転区間は元々すべて電化済だったので、この時にようやく独り立ちできた…と言うのが正しいのかもしれません。

▲「いなほ」用E653系1000番代の基本塗装は、クリーム色+オレンジ色の塗り分けに夕陽や波の図案を加えたものとなっている。
‘21.5.26 羽越本線 勝木~越後寒川 P:高嶋 昇(今日の一枚より)

 「いなほ」の運行区間に大変化が訪れたのは1982年の上越新幹線開業時で、運行区間は新潟~秋田・青森に短縮。しかし本数自体はL特急にふさわしい5往復に増えました。その後、車両受け持ちは青森または秋田から上沼垂運転区→新潟車両センターに移管。運行区間は新潟~酒田・秋田と短縮傾向となり、485系1000番代(一部除く)・3000番代の6両編成という体制がしばらくつづきます。

▲1編成のみ、「瑠璃色」単色とされたU106編成。
‘21.3.24 羽越本線 今川~桑川 P:高嶋 昇(今日の一枚より)

 そしてようやく車両更新の機運が高まったのが2013年。常磐線の「フレッシュひたち」で使われてきたE653系を耐寒改造した1000番代が投入されました。列車誕生時の主従が逆転と言ったら「いなほ」には酷かもしれませんが、E653系も決して陳腐化はしておらず、加えて室内も外観も専用仕様にリニューアル。2013年9月28日にまずは1往復(7・8号)に投入され、最終的に翌年7月に置き換えを完了しました。

▲「ハマナス色」単色とされたU107編成。「いなほ」50周年の記念ヘッドマークが光る。
‘19.10.5 羽越本線 今川〜越後寒川 P:藤巻佳一(今日の一枚より)

 当初は全編成クリーム+オレンジで波模様に塗り分けた塗装でしたが、後に赤色系単色の「ハマナス色」と青色系単色の「瑠璃色」の編成が1本ずつ登場。変化のついたラインナップとなり、現在に至ります。

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