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■アーバンネットワークが北陸エリアまで到達
「○月の鉄道のデキゴト」は、当月にあった過去の鉄道の「デキゴト」(路線の開通や車両の新製・廃車、そのほかの事件など)を振り返るコーナーです! ティーブレイクにでも気軽にお楽しみください。
▲敦賀まで到達したアーバンネットワークの主役は、223系・225系だ。写真は223系近江塩津行き快速。
‘19.9.25 山陽本線 曽根〜宝殿 P:長谷川 僚(鉄道投稿情報局より)
今回は、15年前となる2006年9月24日のデキゴトから振り返ってみましょう。この時に、北陸本線・長浜~敦賀間および湖西線・永原~近江塩津間が交流から直流に転換され、琵琶湖を周回する線路のすべて、また北陸の敦賀までが直流エリアになったのでした。
1962年に北陸本線に投入されたEF70形交流電気機関車。写真は一次型の11号機。
‘65.3.29 北陸本線 田村 P:柿浦和敏(消えた車両写真館より)
特に北陸本線のこの区間は、国鉄の交流電化事例としても極めて初期のものです。1957年、田村~敦賀間が同線として初めて交流電化されました。この時点では米原~田村間は非電化で、当初は蒸機によってデッドセクションの接続を行っていましたが、後に直流電化され、車上切り替え可能となりました(デッドセクションは坂田~田村間に設置)。
▲北陸方面の交流電化によって恩恵を受けたのは主に急行や特急。写真はその頃の急行列車の姿を彷彿とさせた475系リバイバルカラー編成。
‘08.1.5 北陸本線 動橋~粟津 P:村松且富(お立ち台通信より)
湖西線の開業は1974年で、当初から電化されていましたが、北陸本線との接続となる近江塩津駅が既に交流電化されていたため、その直前となる永原までを直流電化とし、デッドセクションを永原~近江塩津間に設置としました。
▲交流と直流にまたがる区間の普通列車では、この419系や413系、急行型から格下げの475系などが活躍していた。
‘08.3.8 北陸本線 敦賀 P:楢井勝行(消えた車両写真館より)
この区間が当初交流電化であったのにはそれなりの理由があるのですが、時が経つにつれ、関西圏からの普通列車が直通できないというデメリットに着目されるようになります。高価で複雑な交直流近郊型電車を量産するのは現実的でなく、むしろ直流電車がそのまま走れるエリアを拡大すればよい…という考えから、まず1991年に北陸本線・田村~長浜間が直流化。この効果は絶大で、さらに直流エリアを北に延ばすこととなり、前述の通り、2006年9月に北陸本線回り・湖西線回り共に敦賀まで直流電化でつながることになりました(デッドセクションは敦賀~南今庄間に設置)。
▲琵琶湖を周回するルートがすべて直流になったことでこんな臨時列車も運転可能になった。117系T2編成による「琵琶湖一周 もみじ号」。
‘18.11.25 北陸本線 坂田~米原 P:橋本 淳(鉄道投稿情報局より)
これによって敦賀発着の新快速が設定され、完全にアーバンネットワークに組み入れられることになりました。敦賀~姫路間を結ぶ長距離の新快速も設定されています(北陸本線回りと湖西線回りの両方あり)。来る北陸新幹線敦賀開業をにらんでも、アクセス列車をより多く設定可能になりますから、その威力が遺憾なく発揮されることでしょう。