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■ショートカット効果絶大! 第三セクター鉄道の優等生
「○月の鉄道のデキゴト」は、当月にあった過去の鉄道の「デキゴト」(路線の開通や車両の新製・廃車、そのほかの事件など)を振り返るコーナーです! ティーブレイクにでも気軽にお楽しみください。
▲伊勢鉄道の南端区間は今も単線だが、複線分の用地が確保されている。
‘19.10.13 伊勢鉄道 伊勢上野〜河芸 P:猪木健一(今日の一枚より)
今回は、48年前となる1973年9月のデキゴトから振り返ってみましょう。同年9月1日、国鉄伊勢線(南四日市~津)が開業し、名古屋~南紀方面へのアクセスが大幅にスピードアップしたのです。
▲特急「南紀」はキハ82系でかつて運転されていた。今なお「南紀」は伊勢鉄道を通る列車では最優等の存在である。
‘81.3 紀勢本線 佐奈~栃原 P:楢井勝行(消えた車両写真館より)
伊勢線って聞いたことない…という若い方もいらっしゃると思いますが、これは今の伊勢鉄道のこと。実は開業からわずか14年後の1987年に第三セクターに移管されるという、目まぐるしい歴史がありました。
▲伊勢鉄道の初代車両であるイセⅠ形。2004年限りで運用を終了している。
‘89.8.12 関西本線 四日市 P:長岡行夫(消えた車両写真館より)
伊勢線が開業する以前の名古屋~南紀方面への経路は、関西本線で亀山まで行き、そこでスイッチバックして紀勢本線へ乗り入れるというもの。遠回りなだけでなくスイッチバックまでというハンデを解消すべく、1965年に着工され、前述の通り1973年9月に伊勢線として開業。大幅な距離の短縮およびスピードアップが図られたのです。
▲快速「みえ」のスピードおよびサービス向上のため、1991年に登場したキハ65形5000番代。
‘91.4.29 関西本線 四日市 P:長岡行夫(消えた車両写真館より)
しかし非電化単線ということもあり、近鉄との競争でははっきり言ってこの時代勝負にはならず、国鉄としても真正面からの競争は避けていたフシがあります。また、国鉄末期のローカル線廃止問題では、都市間輸送の短絡効果といった側面はほとんど考慮されず、路線内単体での収支で一律に廃止基準が定められたため、伊勢線は1987年3月27日に第三セクターの伊勢鉄道へ移行。これは5日後に控えた国鉄分割民営化とほぼ同時のことでした(ちなみに、この際に起点が南四日市から河原田に変更)。
▲1993年、完全な新車として快速「みえ」に投入されたキハ75形。
‘93.6.22 名古屋車両区 P:RM(台車近影より)
JR東海では特急「南紀」へのキハ85系の投入や快速「みえ」の設定などで、南紀方面への強化を図ります。これらの列車は当然伊勢鉄道経由(線内では鈴鹿のみに停車)です。また、伊勢鉄道自身も河原田~中瀬古間を複線化するなどの設備強化をしたこともあり、同鉄道は第三セクター鉄道としては比較的優良な経営実績を残しています。
▲2018年に運転された「鈴鹿グランプリ2号」。堂々のキハ85系6両編成だった。
‘18.10.6 伊勢鉄道 鈴鹿サーキット稲生~鈴鹿 P:松田信彦(鉄道投稿情報局より)
伊勢鉄道の年に一度の晴れ舞台と言えるのが、鈴鹿サーキットで開催されるF1日本グランプリ。最寄りとなる鈴鹿サーキット稲生駅は近鉄のどの駅よりも現地に近く、名古屋発の臨時列車、通称「F1臨」が設定されることで知られています(本年はコロナ禍のためF1は開催中止)。