185系

特集・コラム

9月の鉄道のデキゴト「埼京線開業、川越線電化(1985年)」

2021.09.07

text:RM

かつての「通勤新線」、今や広エリアまで運用拡大!

 「○月の鉄道のデキゴト」は、当月にあった過去の鉄道の「デキゴト」(路線の開通や車両の新製・廃車、そのほかの事件など)を振り返るコーナーです! ティーブレイクにでも気軽にお楽しみください。

▲現在の埼京・川越線の主力はE233系7000番代10両編成。
‘20.8.25 川越線 日進~大宮 P:石井宏武(今日の一枚より)

 今回は、36年前となる1985年9月のデキゴトから振り返ってみましょう。同年9月30日に埼京線が開業、当時の運転区間は池袋~川越で、このうちの池袋~大宮間に通称として「埼京線」(言うまでもありませんが、「埼玉」と「東京」を結ぶ、という意を込めた名称)と名付けたのです。正式路線名としては池袋~赤羽間が以前から存在していた赤羽線、この時に開業した赤羽~大宮間は東北本線の別線、大宮~川越~高麗川は従来通り川越線ということになります。

▲埼京線の電車は103系→205系→E233系と変遷。205系の時代からグリーンのラインカラーが定着した。
‘13.7.10 東北本線(埼京線) 武蔵浦和 P:寺尾武士

 赤羽~大宮間は、東北新幹線(大宮以北が1982年開業、当該の区間を含む上野開業は1985年3月)の高架と一体化された、他では見られない構造。建設当時、新幹線の高架線からの騒音が各地で問題になっており、当地でも反対運動が見られたため、一種の交換条件として埼京線が併設された…と言われております。とはいえ、もともと東北・高崎線および京浜東北線の輸送力はひっ迫しており、バイパスとしての「通勤新線」が必要とされていたことは事実。当時バスの便しかなく陸の孤島的であった沿線地域の発展には、この埼京線の誕生は必須であったと言えましょう。

▲川越線川越以西に当初投入された103系3000番代。元仙石線用72系970番代(アコモ改良車)を新性能化した成り立ちで、当初は3連、後に4連化された。埼京線用103系もそうだったが、車体色はウグイス色が適用された。
‘85.10.3 川越線 西川越~的場 P:梶村昭仁(消えた車両写真館より)

 川越線の方は大宮~高麗川を結ぶ非電化路線として当時はキハ35系が活躍していましたが、埼京線の車両基地(現・川越車両センター)が南古谷駅付近に建設されることになったことから合わせて電化されたもの。川越を境として運転系統が分離され、大宮寄りは埼京線の10両編成がそのまま乗り入れ、高麗川寄りは3~4両編成によるローカル輸送区間となりました。また、大宮駅の同線ホームはこの時に現在の地下ホームに移されています。

▲現在、川越線の高麗川寄りの電車は、八高線を経由して八王子まで乗り入れている。写真は元りんかい線用70-000形を譲受した209系3100番代。
‘19.9.20 川越線 西川越〜的場 P:矢島敦史(今日の一枚より)

 その後の埼京線の発展ぶりはご存じの通り。山手貨物線を利用する形で新宿、恵比寿、大崎へと区間が延伸され、大崎からはりんかい線に乗り入れて新木場まで直通します。また、2019年には相鉄・JR直通線の開業によって海老名までの直通が実現。開業時には想像もできなかったような、極めて広エリアでの一体的運用となりました。埼京線内での混雑ぶりは今や国内有数で、これ自体はあまり褒められたことではないにしても、重要度の高い路線である一つの証拠…とは言えましょう。

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