185系

特集・コラム

9月の鉄道のデキゴト「信越本線・横川~軽井沢間廃止(1997年)」

2021.09.01

text:RM

日本有数の鉄道ドラマチックシーン、「碓氷峠」の最後

 「○月の鉄道のデキゴト」は、当月にあった過去の鉄道の「デキゴト」(路線の開通や車両の新製・廃車、そのほかの事件など)を振り返るコーナーです! ティーブレイクにでも気軽にお楽しみください。本日9月1日からは「9月の鉄道のデキゴト」として記事をアップして参ります!

▲旧型国電80系も、EF63と手をつないで碓氷峠を上下した。
‘77.7.28 信越本線 軽井沢 P:中村和久(今日の一枚Memoriesより)

 今回は、24年前となる1997年9月30日のデキゴトから振り返ってみましょう。国鉄線最急勾配区間として知られた信越本線・横川~軽井沢間(碓氷峠、通称「横軽(よこかる)」)が廃止され、翌10月1日に北陸新幹線(当時は長野までで、「長野行き新幹線」と案内された)が開業したのです。

▲EF63 15が先頭に立つ上り「あさま」だろうか。189系はEF63と協調運転することで最大12連運行が可能だった。
‘89.12 信越本線 軽井沢~横川 P:長岡行夫(消えた車両写真館より)

 この区間の開業は1893(明治26)年。当初は非電化かつラックレールを用いたアプト式で、66.7‰の勾配を克服していました。結局我が国の国鉄線でアプト式などのラックレールシステムが実用されたのはこの碓氷峠区間だけだった…ということを振り返っても、いかにこの区間が特殊すぎる条件であったかが分かります。

▲千葉鉄道管理局→JR東日本千葉支社所属だった165系お座敷電車「なのはな」が碓氷峠に入線。
‘96.11.15 信越本線 軽井沢~横川 P:長岡行夫(消えた車両写真館より)

 その後、1912年に電化が行われ、名物電機ED42形などが旅客・貨物列車を最大4重連でエスコートしました。戦後、この区間の輸送容量拡大およびスピードアップのため、アプト式から通常の粘着走行への移行が1963年に行われます。この時に登場したこの区間専用の補機がEF63形電気機関車。必ず勾配の下側に2両連結され(つまり下り列車は推進運転、上り列車は牽引運転)、一部の電車系列では協調運転も行うことで輸送力アップが実現しました。優等列車だろうが貨物列車だろうが、すべての列車が横川・軽井沢の両駅にて機関車の連結・切り離しを行いましたが、アプト式時代に比べれば大幅なスピードアップが図られたのです。

▲「あさま色」に塗色変更となった189系「あさま」とEF63が、色鮮やかな花を横目に進む。
‘97.9.6 信越本線 横川~軽井沢 P:吉原勇樹(今日の一枚Memoriesより)

 1998年の長野冬季オリンピックをひとつの契機として整備新幹線としての北陸新幹線(高崎~長野)の開業が急がれ、前述の通り1997年にこの区間は廃止となってしまいます。新幹線開業によって既存の並行在来線が第三セクターに移行…というのはこの後よく見られるようになりますが、廃止となってしまったのは今のところこの区間だけ…。ローカル輸送のウェイトが小さく、またその割に特殊すぎて維持費が掛かる…というのがその理由とされています。

▲碓氷峠鉄道文化むらで、4両が動態保存されているEF63形。写真は開園10周年を記念して、お召列車運転時を思わせる装飾と日章旗を取り付けたところ。
‘09.5.3 群馬県安中市 碓氷峠鉄道文化むら P:川崎淳平(鉄道投稿情報局より)

 廃止から2年が経った1999年、かつての横川運転区の敷地に鉄道をテーマとした体験型テーマパーク「碓氷峠鉄道文化むら」が開業しました。ここではEF63形が体験運転用として動態保存されている他、国鉄時代の貴重な保存車が多数展示されています。既に横軽の現役当時を知らないファンも多くなりましたが、ぜひこうした施設でかつてのドラマチックシーンへ思いを馳せていただければと思います。

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