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特集・コラム

8月の鉄道のデキゴト「東急・目黒線の誕生(2000年)」

2021.08.23

text:RM

■ああ、目蒲線…多摩川駅を境に、目黒線・東急多摩川線に路線分割

 「○月の鉄道のデキゴト」は、当月にあった過去の鉄道の「デキゴト」(路線の開通や車両の新製・廃車、そのほかの事件など)を振り返るコーナーです! ティーブレイクにでも気軽にお楽しみください!

▲東急線における3000系列旧型車の一般運用最終日。平成の時代を迎えたとは思えないような光景が繰り広げられていた。
 ’89.3.18 東京急行電鉄目蒲線 奥沢 P:水野宏史 

 さて初回となる今回は、21年前となる2000年8月のデキゴトから振り返ってみましょう。鉄道ホビダス編集部のある目黒駅が起点の東急電鉄の目黒線(目黒~田園調布、営業上の区分は目黒~日吉)が「誕生」したのがこの月のことでした。

▲地上時代の目蒲線目黒駅。1番線ホーム(左側)の中央付近には山手線への乗り換え通路が存在していた。 
‘89.3 東京急行電鉄目蒲線 目黒 P:水野宏史

 今や東京メトロ南北線・埼玉高速鉄道・東京都交通局三田線とも相互直通乗り入れを行い、近い将来は相模鉄道がそれに加わる一大ネットワークの一翼を担っている目黒線ですが、80年代には「あってもなくてもどうでもいい」などとパロディソングで歌われてしまう…そんな時期があったのです。

▲多摩川園(現・多摩川)駅に入線する目蒲線デハ3500形3518号。目蒲線はこの駅を境に目黒線と東急多摩川線に分離され、駅の様相も変化した。 
‘89.3 東京急行電鉄目蒲線 多摩川園 P:水野宏史

 当時の目黒線は目蒲線(めかません)の一部でした。その名の通り目黒~蒲田を結ぶ路線で歴史は非常に古く、今の東急電鉄の「祖業」とも言われる由緒ある路線です。しかし東横線や田園都市線に比べると近代化から取り残され、池上線(五反田~蒲田)と並んで「都心のローカル線」の風情を醸し出していたものでした。

▲目黒線のニューフェイス、3020系。上写真とほぼ同位置で撮影されたようだが、高架化によって雰囲気は大きく異なっている。 
‘19.11.22 東急電鉄目黒線 多摩川 P:南 将司(今日の一枚より)

 1990年代に入り、この目蒲線のうちの目黒~田園調布間が飽和状態となっている東横線のバイパスになり得ることに着目し、抜本的な設備改良と目黒から先の地下鉄乗り入れが一気に推進されます。具体的には、目蒲線を多摩川駅を境に路線分割したうえで、目黒からの電車が複々線化された東横線を武蔵小杉(後に日吉)まで乗り入れるというもの。切り離された多摩川~蒲田間は新たに東急多摩川線を名乗るようになり、この日を境に伝統ある目黒~蒲田を直通する電車の運行はなくなってしまいました。この路線分割および新名称制定の日付が、2000年8月6日のことだったのです。

▲目蒲線の時代から活躍をつづけた7700系。東急多摩川線での引退の時には、「惜別」の表示板が掲げられた。 
‘18.11.24 東京急行電鉄東急多摩川線 矢口渡~蒲田 P:森 康平(鉄道投稿情報局より)

 その後、同年9月26日から地下鉄南北線および三田線との相互直通運転を開始、翌2001年3月28日からは同日開業の埼玉高速鉄道へも乗り入れを開始します。その後長く20m級6両編成で統一された運行が行われてきましたが、相鉄との直通運転を前に8連化の準備が粛々と進められており、20年あまりの時を経てまた一層の変貌を遂げる時が近づいていると言えましょう。

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