■上越新幹線の開業と「新幹線リレー号」の増発
東北新幹線は暫定開業時「やまびこ」「あおば」合わせて14往復の体制で開業した。これに接続して一部を除き185系電車7両×2の14両編成で13往復の「新幹線リレー号」により上野〜大宮間の輸送にあたった。
1982年11月には遅れていた上越新幹線の大宮開業を迎え、「あさひ」「とき」合わせて21往復の運転が開始された。またこれを機に国鉄では大型の時刻改正を実施し、東北新幹線についても大増発がなされた。
▲185系200番代14両で運転された「新幹線リレー号」。
’82.11.14 東北本線 鶯谷 P:松尾よしたか
これに対応するための「新幹線リレー号」も当然大幅に増発され定期28往復が運転された。「新幹線リレー号」は上野〜大宮間を快速列車扱いで26分で走りぬけ、大宮乗換という煩雑さはあっても東北・新潟方面への大幅な時間短縮に寄与し、新幹線利用客の順調な増加を招いていた。この時点での新前橋区配置の185系電車の運用図表は表1のとおりで、高崎線特急運用と「新幹線リレー号」運用が尾久基地で編成を入れ替える循環運用となっていることがわかる。
表1:1982年当時の新前橋電車区の185系の運用図表
資料提供:大熊孝夫
この運用表を見て思い出すことがある。国鉄末期の全てにおける効率化施策のなかで信越線高崎以遠のローカル列車充当115系車両の縮減を行うことになった。これにより一部列車で運用出来る車両が不足し、苦肉の策で185系の交番検査間合いを使用することとした。
碓氷峠通過の同形式による普通列車がEF63に押されて早朝・夜間にひっそりと走っていたことは、もう覚えている人も少ないのではないだろうか。この運用図表にしっかりと姿をとどめている。
それでも今振り返ってみれば、この頃が東海道線も含め185系の最も輝いていた時期なのかもしれない。
▲横軽通過設備を装備した200番代は碓氷峠越え運用にも充当された。写真は1982年11月改正まで運転された中軽井沢行き季節急行「軽井沢」。
’82.4 信越本線 横川~軽井沢 P:松尾よしたか
■「新幹線リレー号」の終焉と「新特急」の誕生
1985年3月14日、待望の新幹線大宮〜上野間が開業することとなった。華やかな新幹線の開業は2年半近くにわたった「新幹線リレー号」の終焉を告げるものであった。また、同時に在来線の急行群(「草津」「ゆけむり」など)が廃止され、185系は新たに近距離特急として「新特急」の冠をつけ「谷川」「草津」「あかぎ」「なすの」などに転用された。さらに7両4本(28両)は田町電車区に転出し、0番代車と合流した。これにより「踊り子」のうち一部に運用されていた183系を置換え185系に車種統一した。185系はこの形を維持したままJRへ移行の日を迎えることになる。
▲宇都宮・黒磯方面で設定された新特急「なすの」。
’86.8.13 東北本線 上野 P:田中博憲
(185系思い出ギャラリーより)
本文:大熊孝夫 要約・再構成:RM レイル・マガジン334号より
🔶第8回 200番代の増備と「新幹線リレー号」
🔶第10回(最終回) JR化後の185系