185系

特集・コラム

鉄道148年の歴史を巡る時空旅~新橋・汐留界隈~

2020.10.15

取材日:’20.10.14
text&photo(特記以外):廣瀬 匠(RM)

 10月14日。その日は我々レイル・ファンにとっては特別な日づけであり、原点でもあるいえよう。そう、今から148年前の1872年10月14日、日本で初めての鉄道が新橋~横浜間で開通したこの日は「鉄道の日」と定められた。一年の中で最も鉄道が注目される日だろう。

 

 例年であればイベントも多く開催されているが、今年は新型コロナウイルスの影響で中止が相次いでいる。
 そこで今回は、この鉄道の日にちなんで日本の鉄道発祥の地ともいえる新橋・汐留界隈をあえて歩いてみたいと思う。

■始発駅は「しんばし」
 スタートはJR新橋駅から徒歩数分の所にある旧新橋停車場から。
 新橋停車場は1872年10月14日に開業し、東京の旅客・貨物のターミナル駅として機能していたが、1914年に東京駅が開業すると、貨物専用駅「汐留駅」となり、日本の貨物輸送を支えてきた。
 なお、国鉄末期には駅としての営業を終了し、現在は再開発されてビル街となっている。

▲再現駅舎は発掘された新橋停車場の遺跡の上に作られた。外観も当時の写真などを参考にできるだけ近づけて作られている。

▲駅舎の裏側にはホームが一部再現されている。

▲旧新橋停車場内にある鉄道記念物「0哩ポスト」。ここから日本の鉄道の歴史が始まった。

▲さらに、レールは創業当時のものと同じ双頭レールとなっている。製造は1873年のもの

▲現在、鉄道歴史展示室では「走るレストラン~食堂車の物語~」を開催中。
詳しい開催内容などはこちら→鉄道歴史展示室「走るレストラン~食堂車の物語~」

■ビル群の中に突如現れる!「銀座唯一の踏切警報機」
 先ほどの新橋停車場から首都高速道路をくぐり、それに沿って築地の方に歩いていくと銀座郵便局の角にそれは突然現れる。
 そう、踏切警報機だ。JRの高架からは遠く離れており、周囲に線路は見当たらない。なぜこんなビル街に踏切警報機が?と思われる方も多いだろう。
 実は、ここに線路があったのだ…

▲ビル群を歩いていると突如出現する、踏切警報機

 実はこの警報機の横、上の写真奥へ向かう道路が線路跡そのものだったのだ。
 その線路というのも、旧汐留駅から東京中央卸売市場、通称築地市場へ向かっていた引き込み線であり、1987年まで使われており、各地からの特産品を載せた貨物列車が乗り入れ、東京の台所を長きにわたって支えた名路線だったのだ。

▲旧汐留駅跡地に建設されたビル群を仰ぐ。

▲東京市場~下関間を走った高速鮮魚列車「とびうお」にも使用された高速運転用冷蔵車レムフ10000形

‘82.6.7 山陽本線 鷹取操車場
P:上田隆浩(消えた車両写真館より

■丸く組まれた石に込められた意味とは…?
 先ほどの警報機とは首都高とJRの高架を越えて反対側におしゃれな街並みが並ぶ通称「イタリア街」がある。輸入車が似合いそうなこの街の中にも鉄道148年の歴史を感じることができる遺構が実はひっそりと残されている。

▲普通のおしゃれな公園に見えるが、実は…

 実はこの公園の地面に円形に組まれた石こそ、148年前の鉄道開業時に新橋停車場構内に作られた転車台ピットの基礎石だったのだ。
 この基礎石は汐留駅跡地再開発の際に発掘されたもので、発掘された位置から移設保存されている。元々の場所は、説明板によるとゆりかもめが直角に曲がる場所の右手あたり、汐留シティセンターの南側に位置していたと思われる。

▲円形に組まれた基礎石の中心に埋め込まれた説明板

▲148年前の転車台の基礎石を身近にみられる場所は滅多にないかも?

 さらに、もう一つの鉄道発祥の地「桜木町」に保存されている鉄道開業当時の蒸気機関車「110号」の展示レポート記事をRM443号にて掲載中!
 新橋と横浜、二つの鉄道発祥の地を巡ってみてはいかがでしょう?

🔶詳しくはこちら

 

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