text:瀧口宜慎(RML)
photo:RM

1987年3月に国鉄の分割民営化が行なわれ、JR旅客6社と、貨物1社の計7社が発足しました。時代はバブル期を迎え、旅客も貨物も輸送量が拡大し続けた時代でしたが、JR各社の車両は当時ほとんどが国鉄時代から引き継がれたもので、登場から20年以上経った車両が多くを占めていました。貨物列車でも、コンテナ車についてはコキ100系列が、電気機関車では国鉄の高速貨物機EF66の増備型である100番代がそれぞれ登場してはいたものの、より高出力で高速性能が高く、かつ省エネルギーな電気機関車の登場が望まれていました。
■平成初期 JR貨物発足後に誕生したマンモス機たち

左からEF200、EF500、ED500。1990年代に将来の貨物輸送を担った試作機たち。EF200以外は量産されることがなかった。
そんななかで1990年に登場したのがEF200とEF500 です。いずれも定格出力は6000kw/hで、国鉄時代最強だったEF66(3900kw/h)と比較しても相当パワフルでした。設計上の最高運転速度は120km/hとされ、EF200は10‰の勾配で1600t(コンテナ車満載状態を32両)、90km/hでの連続運転が可能な性能を持ち合わせていました。このうち量産されたのはEF200だけでしたが、線路設備の有効長の問題から32両のコンテナ車の牽引が先送りされてしまいます。同時に6000kw/hの最高出力も、沿線変電所の容量が対応していないという理由で日の目を見ることがありませんでした。また、EF500は交直流機で、投入想定線区は東北本線及び日本海縦貫線とされていましたが、この線区ではそれだけの輸送量をもつ機関車は時期尚早だと判断され、量産化が見送られたのでした。
■歴史の影に隠れたガンメタリックの機関車
そのような状況下で、東北線の輸送実態によりフィットしたD級の交直流機として1992年に登場し、試運転がくり返されたのが今回メインで取り上げるED500です。
車体はガンメタリック調の落ち着いたトーンで、乗務員扉は交直流機を表すように赤色がワンポイントで塗られ、EF200・500とも異なる前衛的な塗色でした。このED500は日立製作所所有の試作機(日立では『ED-X』という仮称を与えられていた)で、JR貨物への貸出というかたちで各種試験が行なわれており、側面向かって右の裾には「HITACHI」のロゴマークも入っていました。
ここでは雑誌『Rail Magazine』編集部が1992年8月29日に撮影したED500-901号機の姿を見ていきたいと思います。

1エンド側を右手に見る。D級機ながら連結器中心間は17,600mmで、F級のEF65よりも長い。床下機器も鈴なりに並んでいる。

ED500を正面から見る。EF200と同じく日立での製作のため、正面廻りの造形は両形式で設計が似通っている。運転台窓廻りはEF200と同じだが、ヘッドライトの形状は愛嬌のある丸形ライトだった。
さて、ED500は2年間の試運転を経たものの、当初期待された成績が収められず、JR貨物の交直流機の量産型は2000年のEH500(東芝製)と2001年のEF510(三菱電機+川崎重工製)の登場まで待つことになります。もしもED500が量産化されていたら、どのような貨物列車の風景が誕生していたのか…。日立製作所も、このED500の製作を最後に電気機関車の製造からすっかり遠ざかってしまいました。





