▲箕輪町郷土博物館にて保存されているED19 1。
P:水野宏史
飯田線の北部の貨物列車を担当していたED18・ED19は、晩年の現役時代でもすでに貴重な存在だった、日本の鉄道電化黎明期に輸入された電気機関車のうちの2形式でした。
■日本の電気機関車黎明期を支えた舶来電気機関車
飯田線に大型の機関車が入線できない理由として、元々は私鉄だったものを国が買収した線区な上、一部区間は軌道線としての開業で路面電車程度の規格でした。そのため重量の重い大型電気機関車が入線できず、中型機でも先輪や中間従輪を設け、軸重軽量化を計った機関車が導入されていました。そんな飯田線の輸送を担っていたのがED18・ED19の二形式です。
さて、ここで国有鉄道の本格的な電化初年となった1925(大正14)年には、どのような機関車が採用されたのでしょう?それは、当時工業先進国だったアメリカ、イギリス、ドイツ、スイスから全14形式に及ぶ電気機関車が輸入され、実用とともに各種試験を行ない、それらの機関車が残した実績を基に国産電気機関車が作られていったのです。
これらはメカの機構部分はもちろんのこと、外観のデザインも参考にされました。イギリス・イングリッシュエレクトリック社製のED13・ED50・ED51・ED52(後のED17・ED18グループ)は切り妻スタイル。
アメリカはボールドウィン・ウエスティングハウス製のED10・ED53(後にED19)は曲線処理が多くデザイン的にも凝った姿。同じくアメリカのゼネラルエレクトリック製は切り妻+デッキスタイルのED11、ED14。
スイスのブラウンボベリー・シュリーレン製のED12などは、運転台がすぼまるような姿で、上から見ると車体が八角形をし、屋根と一体の大きな庇がデッキ部分まで突出しているスタイル。
このように、いろいろな性能と姿の機関車は、晩年まで国鉄に残った例と、私鉄払い下げられた例があります。国鉄に残った中でも飯田線のED18・ED19は最後まで活躍した輸入電機たちでした。
■大正生まれの彼らは今どうしてる?
さて、前置きが長くなりましたが、それぞれの機関車は現在も見ることができるのでしょうか。ED18は「佐久間レールパーク」を経て、現在は名古屋市の「リニア・鉄道館」に保存されています。一方ED19はというと、長野県箕輪町の郷土博物館の前庭に1975年から1号機が保存されています。
このED19 1号機は、ED18と異なり屋根の無い屋外展示ながら、機関車が色あせていることがほとんどありません。これには地元の国鉄OBの方が保存会を結成し、日ごろから清掃・整備にあたっているほか、箕輪町でも定期的な塗装・整備を行なっているとのことで、現役時の姿を現在に伝えているとのことです。
ただし、残念ながら箕輪町郷土博物館は来年(2024年)秋ごろまで、本館の耐震強化を含むリニューアル工事のためED19は柵に覆われており、一時的ながら現在は見ることができません。ただしもう見れないというわけではないので、工事終了後には是非、往時の姿を見に行きたいものですね。
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旧型国電の動く博物館と呼ばれた飯田線では、国電の陰に隠れながらも、もう一つの古豪たちの最後の活躍の場でした。それは貨物列車の輸送を担った電気機関車で、特に天竜峡から辰野までの飯田線北部区間では軸重の重い大型の電気機関車が入線することは長い間できなかったのです。
本書は『鉄道車輌ディテール・ファイル』の「006 飯田線のED18」(2010年1月発売)と「008 飯田線のED19」(2010年4月発売)を一つの本として、新規カラーページも加え再編集したものです。イギリス製とアメリカ製の2形式全機の在りし日の姿を振り返るとともに、模型化心をくすぐられる2形式の製作向け資料として機能するように編集した内容です。
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