text:RMライブラリー編集部
関東私鉄で最長の営業距離を誇り、歴史も長い東武鉄道には、実に多彩な車両が活躍していました。以前の記事でも紹介したように蒸気機関車の牽引する列車が活躍していた東武鉄道では、車両の形態にしても「洗練された都会の電気鉄道」とはひと味異なり、「ドアにステップが付き台枠が露出した電動車が、客車改造の付随車を挟んで…」というような、地方私鉄的な編成が戦後まで見られたものです。
左上の先頭車両は、1928(昭和3)年より製造され一大勢力を誇ったデハ5形→デハ7形→モハ3210形で、台枠が露出しドアステップ部分が張り出した、いかつい外観が特徴。一方で右上のクリーム色と青色の電車は戦後に製造されたモハ5320形とその相棒の制御車、クハ340形からなるスマートな編成。
出典:『RM LIBRARY 272 生まれ変わった東武旧型電車(中)』(以下同)
そんななか戦後の東武鉄道は、国鉄戦災車両の復旧車や「運輸省規格型」と呼ばれる実用本位の標準設計電車を入線させる傍らで、1951(昭和26)年より洗練された車体の電車を登場させました。それが今回紹介するモハ5320形とその仲間たちです。
左上がモハ5320形、右下がその派生形式モハ5800形。「前パン」で活躍する姿は、クロスシートの並ぶその車内とともに、国鉄モハ43形を彷彿とさせる。
モハ5320形が製造された直接のきっかけは、当時存在していた東武鉄道の浅草工場が1951年に火災に遭い、9両の車両が被災したことによります。うち3両は復旧しましたが他の6両は廃車することになり、代わりに18m級の制御車、クハ550形が6両製造されました。細かい窓がずらりと並ぶ正面貫通型の2扉クロスシート車で、最初から長距離向き車両として製造されたことがうかがえます。
制御車ではあったものの最初から電装を前提とした車両で、実際にこの6両はほとんど使われないまま1952(昭和27)年に電動車化されてモハ5320形となります。ツートンカラーに塗られてパンタグラフをかざして活躍する姿は、国鉄モハ43形などの42系電車にも通じる貫禄がありました。
相棒となる、クハ340形という全長17mの制御車も改造により6両用意された(右上写真)。
電動車化されたモハ5320形の相手として、かつての客車をベースに鋼体化されたクハ500形という車両が6両整備され、クハ340形として固定編成を組むようになりました。全長17mと、モハ5320形よりはやや小振りでしたが車内にはトイレもつき、まさに国鉄42系同様、快速などの長距離列車として活躍するようになりました。
モハ5320形のうち2両は、直角カルダン駆動の試作車となりモハ5800形と改められましたが、あまり調子がよくなく、何度か積み替えたのち吊掛駆動に戻っています。また、クハ340形にならず残存していたクハ500形も後に追加改造され、仲間に加わっています。
しかし長距離運用を後継車両に引き継ぐことでローカル用車両となり、車内もロングシートに改められました。そして1974~75(昭和49~50)年に他の旧型車両と同様、新製車体に生まれ変わり、支線区で1990年代まで活躍しました。
車体を新製したモハ5320形一党は、東武3070系(改造当初の名称は5000系)の一員として生まれ変わった。写真は3070系モハ3570+クハ3570形。
1990.6.3 板荷~下小代 P:稲葉克彦
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■著者:稲葉 克彦(いなば かつひこ)
■B5判/56ページ(うちカラー8ページ)
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