戦前、現在の信貴山口-高安山間のケーブルカーの上部に信貴山門に至る「信貴山急行電鉄」なる電車が走っていた。急勾配、急曲線が続く登山鉄道であったが、戦時中に不要不急路線として撤去。その電車は地平に降りて南大阪線を経て戦後長らく伊賀線で活躍した。もともと信貴山への観光登山鉄道の電車らしく14mという車体ながらRを描いた独特な大きな窓を持つなど、ユニークなデザインの車輌として伊賀線に転属後もファンには知られた存在だった。1977年に名古屋線で活躍した5000系(元6310、6330形)などの入線により引退した。なお、戦前には3輌あったが、うち1輌は戦前に転落事故のため廃車された。かつての信貴参急行電鉄の線路跡はバス道路となっている。 ’75.11.23 上野市 P:永野晴樹