鉄道ホビダス

2008年8月アーカイブ

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▲かつての千頭森林鉄道との分岐点でもある沢間駅に到着するDB9牽引の「かわかぜ号」特別便。'08.8.24 沢間 (このシーンは下のリンクより動画がご覧になれます)

5月の連休に千頭~川根両国間で運転されて好評を博している大井川鐵道井川線の「かわかぜ号」が先週日曜日、特別便として千頭~奥泉間(7.5km)で運転され、もと大井川鐵道副社長でRMライブラリー『大井川鐵道井川線』の著者でもある白井 昭さんのご案内で現地を訪れてきました。

080831n13n.jpg井川線自体はこの4月にも訪ねていますが(アーカイブ「新緑の大井川鐵道を訪ねる」参照)、DBの牽く「かわかぜ号」を目にするのは2006年のゴールデンウィーク以来2年ぶりとなります。しかもその時の運転はもちろん定番の千頭~川根両国間(1.1km)のみ。1952(昭和27)年製の“カトーくん”と翌1953(昭和28)年製のオープンデッキ客車の絶妙の組み合わせとはいえ、いかんせん千頭~川根両国間ひと駅区間では見せ場に乏しく、深山幽谷を絵に描いたような井川線ならではのシチュエーションは望むべくもありませんでした。
▲留置されたト100形の脇をすり抜けるように千頭へと戻る。'08.8.24 川根両国-千頭
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▲スハフ6の車内。井川線全通時に新製された客車で、現在までほとんど改造されることなく使用されている。車内の内幅は1660㎜とナローゲージ車輌なみ。'08.8.24 奥泉

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▲DB9の運転台。いまや貴重なA形ブレーキ弁を持つ(左)。右はスハフ6の緩急室を車外から見たところ。'08.8.24 川根両国/奥泉
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080831n17.jpgそれだけに今回の特別便は期待度も格別です。改めてご紹介するまでもないかとは思いますが、井川線に現役として残る2輌のDB(DB8・DB9)は、今や車籍を有する全国唯一の機械式ディーゼル機関車です。通常は両国工場の入換えを任務としていますが、井川線開通40周年を記念して1999(平成11)年より「かわかぜ号」の牽引機に抜擢されました。
▲土本に到着する「かわかぜ号」特別便。この山間の小駅周辺には7戸が暮らし、井川線によって毎日の新聞が届けられているという。'08.8.24 土本

客車の方も今や博物館級です。今回はスハフ4と6の2輌(ともに昭和28年帝国車輌製)が編成されましたが、オープンデッキにアーチバートラックと、そのスタイルは昭和40年代でさえ容易く見ることかなわなかったほどクラシックなものです。

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▲奥泉に到着するDB9牽引の「かわかぜ号」特別便。B型機特有のピッチングを拝めるのもこんな機会ならでは。'08.8.24 川根小山-奥泉 (このシーンは下のリンクより動画がご覧になれます)
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2輌のスハフを従えたDBは朝の千頭を発車、30分ほどかけてゆっくりと奥泉を目指します。機械式+チェーンドライブの走行音が目覚めたばかりの森に響く様は、遥か昔に木曽谷で見た森林鉄道を彷彿させるものでした。

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音声付ですのでクリックする前に周囲の環境にご配慮ください。なお、Macでは再生できない場合があります。

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▲ステンレス鋼板をビード加工して組み立てられた独特のフロントビュー。残念ながら前照灯はシールドビームのままでオリジナルに復されてはいない。'08.8.29 東急車輛製造横浜製作所 P:RM(新井 正)
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今月創立60周年を迎えた東急車輛製造株式会社では「東急車輛産業遺産制度」を設け、その第1号として日本初のステンレス電車である東急電鉄向けデハ5201を指定しました。徹底した整備のうえ同社の横浜製作所内に保存された同車が昨日報道公開されましたので、本誌にさきがけてその美しい姿をお目にかけましょう。

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▲素晴らしいコンディションで保存されたデハ5201。足回りもデビュー時の明るいグレーに塗られている。なお、側引戸は後年の改造後のスタイルとなっている。'08.8.29 東急車輛製造横浜製作所 P:RM(新井 正)
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この「東急車輛産業遺産制度」は市場を開拓し、同社の事業基盤を築いた製品を指定のうえ、その製品に係る事業所に永久保存しようとする制度です。エポックメークとなった製品を保存することによって、同社のこれまでの業績を「見える化」し、それにより、商品力・ブランド力の向上、技術伝承資料としての活用、社員のモチベーション向上などの効果を期待しているそうです。

08082952n3.jpg同社が発表している「東急車輛産業遺産」に指定する条件は、以下のとおりです。
1:製品現存
市場に初めて投入した製品が現存していること。
2:市場開拓
市場において、世界初・日本初の製品・技術として評価されていること。
3:事業基盤構築
その製品の開拓した市場や技術が、当社の事業基盤となっていること。
▲正面に誂えられた前サボと急行板。急行の種別表示板は側面幕板部にも掲げられている。'08.8.29 東急車輛製造横浜製作所 P:RM(新井 正)
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▲懐かしい「T.K.K.」の社名標記も復活。番号標記も切り抜き文字の極めてシンプルなもの。'08.8.29 東急車輛製造横浜製作所 P:RM(新井 正)
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このたび東急車輛産業遺産第1号に指定された東急電鉄向けデハ5201は、1958(昭和33)年11月に同社工場を出場、同年12月1日から東急東横線に投入され、その後も東急電鉄各線・上田交通で活躍し、廃車後は、同社横浜製作所構内で保管されていたものです。

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▲床まで剥がして徹底的な修復を施された客室内。縦2列に並んでいた特徴的な蛍光灯のアクリルカバーは復元を見送られたようだ。'08.8.29 東急車輛製造横浜製作所 P:RM(新井 正)
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▲今日的感覚からすると極めてシンプルな運転台。メーターパネル横にある懐中時計置き場が時代を感じさせる。'08.8.29 東急車輛製造横浜製作所 P:RM(新井 正)
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08082952n8.jpg東急車輛製造株式会社は、このデハ5201の開発をきっかけとして、1962(昭和37)年には米国BUDD(バッド)社技術提携によるオールステンレス車輌投入、1978年には同社独自技術による軽量ステンレス車輌の開発・投入と、市場・技術をリードし続け、現在では自他ともに認めるステンレス車輌のトップメーカとなっています。今年で日本にステンレス車輌が誕生して50周年になりますが、1958(昭和33)年に5200系3輌で始まった同社のステンレス車輌年間生産輌数は、2007年度には過去最高の463輌に達したそうです(東急車輛プレスリリースより)。
▲栄えある東急車輛産業遺産第1号であることを示すプレート。'08.8.29 東急車輛製造横浜製作所 P:RM(新井 正)
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お披露目された保存車デハ5201は生まれ故郷の横浜製作所で徹底したレストレーションを施され、新車と見紛うばかりの状態に復元されています。説明看板とともに車体には製造銘板を模した「東急車輛産業遺産 1 平成20年指定」のプレートも付けられ、今後、末永く顕彰されてゆくに違いありません。ちなみに、東急興産横浜製作所に端を発する東急車輛製造㈱の生い立ちと、この5200形誕生の経緯については、宮田道一さんと守谷之男さんによるRMライブラリー『東京急行電鉄5000形』に詳述されていますのでぜひご覧ください。

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▲「小・中・高校生の部」の最終審査に臨む矢野直美さん。女性ならではの視点で子どもたちの写真を丁寧に論評しつつ入賞作品をセレクト。'08.8.28
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かねてより本誌誌上および鉄道ホビダス上で募集していた「タムロン鉄道風景コンテスト 私の好きな鉄道風景ベストショット」の審査が、昨日さいたま市のタムロン本社で行なわれました。審査員は改めてご紹介するまでもない広田尚敬さんと、女性フォトライターとして活躍中の矢野直美さん。このコンテストは鉄道の風景写真を通して、レイル・ファンのみならず、一般の方々にも写真の楽しさを広く知っていただこうという趣旨で開催されたもので、鉄道とその周辺を入れ込んだ写真であればどんなものでも応募可能、なおかつ撮影年次も不問とあって、予想を遥かに上回る応募点数が集まり、ほぼ一日がかりでの審査となりました。

0808829n2.jpg私も午前中お邪魔して審査の様子を拝見させていただきましたが、まずなにより驚いたのはそのレベルの高さです。部門は「一般の部」と「小・中・高校生の部」(2008年8月15日現在で高校生までの方/小学生未満の方もこの部に応募)に分かれていますが、「小・中・高校生の部」でもその作品には目を見張るものがあります。最年少は何と4歳! ひと昔前まではそれなりの経験を必要とした夜景なども数多く見られましたが、これはデジタル時代の福音に違いありません。
▲“居合い抜き”に例えられる素早いスナップショット同様に、広田さんのセレクトはさながら瞬間芸のよう…それでいてその選択眼は流石。'08.8.28
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▲もちろん審査員お二人の意見がすべて一致するとは限らない。最後の最後まで真剣勝負の調整が続く。'08.8.28

さて、注目の入賞発表ですが、9月下旬にタムロンホームページで発表される予定で、10月発売のレイル・マガジン本誌誌上でもその結果をお目に掛けられるはずです。なお、その入賞作品展が10月15~21日の期間、大宮タカシマヤで開催されます。
■「タムロン鉄道風景コンテスト 私の好きな鉄道風景ベストショット」入賞作品展
○会期:2008(平成20)年10月15日(水)~21日(火) 7日間
○開場時間:9:30~19:30(最終日は16:00閉場)
○会場:大宮タカシマヤ 8階催場 (大宮駅東口)
○入場料:無料
○主催:株式会社タムロン
○後援:さいたま市 さいたま商工会議所
○展示作品
一般の部(大賞から佳作まで)43名、小・中・高校生の部(同)43名、合計86作品を展示
○開会式:会期初日の10月15日(水)9:30よりテープカット等、オープニングセレモニーを実施予定

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名鉄瀬戸線4000系登場。

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▲この秋に営業運転を開始予定の瀬戸線のニューフェイス4000系。’08.8.24 尾張旭検車区 P:RM(高橋一嘉)
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この秋から営業運転開始予定の名鉄瀬戸線用の新型車4000系が完成、8月24日に報道関係者ならびにファンや沿線住民にお披露目されました。

meitetu080828n3.jpgこの電車は本線系の最新系列である3150系や5000系と同様、18m級3扉のステンレス製車体を持ちますが、名鉄の通勤車としては初めてLCDによる案内表示器(各側扉上に配置)を設置、扉付近の床面が黄色に塗装されるなどの新機軸が打ち出されているほか、全閉外扇型の主電動機や密閉型のCPの採用など、低騒音化にも配慮した車輌となっているのも特徴です。また、台車が瀬戸線の線形に合わせてボルスタ付きとなったことも特徴の一つと言えましょう。なお、台車の軸箱支持装置には長らく続いたSUミンデン式に代えて、モノリンク式が名鉄としては初めて本格採用されました(詳しくは『台車近影』をご覧ください)。
▲名鉄最後の吊り掛け電車となった6750系と並んだ4000系。今後、瀬戸線も順次“赤”から“銀”へと世代交代していくことになる。’08.8.24 尾張旭検車区 P:RM(高橋一嘉)
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meitetu080828n2.jpgちなみにこの公開前日における当日の天気予報は雨。当日早朝には尾張東部で大雨洪水警報も発令され、ファンや取材陣を心配されましたが、9時すぎにはまるで4000系の門出を祝うかのような快晴となり、栄町乗り入れ30周年記念列車の運転と合わせて、尾張旭検車区の一般公開はひと目新型車を見ようという人々で大変な賑わいだったと聞きます。
▲先頭部はこれまでとは一転して直線基調、前面窓も平面で構成され、乗務員扉前に三角窓が設けされた独特のデザインとなった。’08.8.24 尾張旭検車区 P:RM(高橋一嘉)
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▲車内はオールロングシート。窓は3150系などと同様、車端部の上部のみ内側に折れるかっこうで開く。’08.8.24 尾張旭検車区 P:RM(高橋一嘉)
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meitetu080828n5.jpgmeitetu080828n6.jpg
▲腰掛はバケットタイプの片持ち式腰掛(左)。名鉄の通勤車では初めてLCDによる車内の案内表示が設置されている(右)。’08.8.24 尾張旭検車区 P:RM(高橋一嘉)
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▲運転台は右手ワンハンドルタイプで、3150系、3300系に準じた機器配置である。’08.8.24 尾張旭検車区 P:RM(高橋一嘉)
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ところで1905(明治38)年にセルポレー式蒸気動車による瀬戸自動鉄道として開業してから100年以上の歴史を誇る名鉄瀬戸線ですが、名古屋城のお堀を走る“お濠電車”と呼ばれたのも今は昔、1500V化の後に地下線で栄町に乗り入れてからも30年が経ち、昨年6月には車庫が喜多山から尾張旭に移転も完了、今回の新型車投入で“せとでん”もまた新時代に入ることになりそうです。

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▲栄町乗り入れ30周年のヘッドマークを取り付けて運転された6600系電車。’08.8.24 守山自衛隊前-矢田 P:RM(高橋一嘉)
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鉄道史研究の泰斗であり、数多くの著作がある茨城大学名誉教授の中川浩一先生が先週の8月19日にお亡くなりになったのを知ったのは、今週になってからのことでした。中川先生にはこの5月に発行したRMライブラリー『鹿島鉄道 ―鹿島参宮鉄道・関東鉄道鉾田線―』を白土貞夫さんとの共著でまとめていただいたばかりで、突然の訃報には言葉を失いました。
▲中川先生からいただいた最後の書状。消印は8月14日となっている。(一部画像処理しています)

しばらく前から体調を崩され、閑静な山里の温泉病院で療養生活を送っておられましたが、旺盛な研究心はいささかも衰えることなく、たびたびお便りを頂戴しておりました。実は先週もお手紙を頂戴したばかりです。
「拝啓 下界はあつい日が毎日続いている様ですが、山中の病院は空調で、あつさはNHK・FMのニューズで知るのみです」と書き出された便箋5枚にびっしりと書かれた書状は、拙著『編集長敬白』をお読みになっての感想をはじめ、最近のご興味などを逐一丁寧にしたためられておられます。

いまさらながらに消印を見ると「8月14日」と判読できます。会社宛だったこともあって私が手にしたのが週明けの18日月曜日…。折り返しでご下問の八幡製鐵所の機関車に関する資料と礼状をお送りしたのが21日でしたから、残念ながら私の返信に目を通されることはなかったことになります。

いただいた書状のなかで、「地形図は発行年月で論ずべきではなく、測図(量)、修正測図(量)など、実地の作業を行なった年で論ずべきものです。戦時中までは測図や修正測図の年と発行が数年ずれている例が珍しくありません。要部修正や部分修正はなにをどれだけ直したのか見当つきにくく、注意が必要です。」と、小誌の誌面表記にもご指摘をいただきましたが、これは中川先生の最後のアドバイスとして次号以降しっかりと修正してゆきたいと思います。

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封筒にはここにお見せする写真一葉が同封され、手紙は、「お礼の気持だけですが、トワイライトの一シーン、一九七〇年八月タイ国カンチャナプリ近くのクワイ川鉄橋東岸、一〇〇式牽引車と九七式貨車、牽引車の前輪をはずして九七式貨車のボギー台車をはかせています。センターピン付なので固定軸距短縮か?
敬具
中川浩一    名取紀之様」と結ばれています。

まだまだお聞きしたいこと、アドバイスを頂戴したいことは数え切れないほどありました。しかし、中川先生がわが国の鉄道史研究に遺された足跡は、今後も決して色褪せることなく後世に引き継がれてゆくに違いありません。
享年77歳。改めてご冥福をお祈り申し上げます。

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▲キハ127系(2連)の編成イメージ。従来の「気動車」のイメージを一新する外観となる。(JR西日本提供)
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JR西日本から姫新線(姫路~上月)輸送改善事業に伴う新型気動車投入の概要が発表になりました。注目の形式はキハ122、127系。さっそくその内容をご紹介してみることにしましょう。

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エクステリア、インテリアともに、発表されたレンダリングを見る限り、223系近郊型直流電車を連想させるデザインとなる模様で、外観の編成のラインは、稲穂をイメージしたイエローと赤とんぼをイメージしたオレンジの間に透明感を出すアクセントとしてホワイトを配したものとなります。
▲その先頭部形状。223系を想起させるスタイリングとなっている。(JR西日本提供)
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このキハ122、127系では安全性の更なる向上をめざし、車体強度を高めるほか、排気ガス中の窒素酸化物やばい煙などを低減できる環境対応エンジンが採用されます。なお、最高運転速度は100km/hと発表されています。

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▲1列+2列の転換式クロスシートながら、基本的に客室内も223系を踏襲したものとなっている。(JR西日本提供)
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客室設備は223系の設備・デザインを取り入れつつ、利用者目線に立った以下のような見直しが行なわれる予定だそうです。
○誰もが使いやすい車輌
・扉を両開戸とし乗車しやすいように配慮します。
・扉付近のステップをなくし、車輌床面との段差を解消します。
・座席は転換部1列+2列の転換式クロスシートとします。
○移動制約者に配慮した車輌
・車椅子対応トイレを設置します。
・車椅子スペースを設けます。
○分かりやすい車輌
・車外の正面および側面にLED式の行先表示器を設けます。
・車内にLED式の車内表示装置を設けます。
・ワンマン運転に対応し、車内にワンマン運賃表示器を設置します。

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▲各形式の概要。両運転台のキハ122形に対し、片運転台のキハ127形はトイレ有が0番代、トイレ無が1000番代と区分されている。(JR西日本ウェッブ版プレスリリースより)
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運用線区は姫新線姫路~上月間。新製投入輌数はキハ122形が7輌(1輌編成×7本)、キハ127形が12輌(2輌編成×6本)の合計19輌で、単行運転用がキハ122形、2輌運転用がキハ127形と区分されます。注目のデビューですが、本年9月下旬以降に試運転を行った後、来年、2009(平成21)年春には営業運転を開始するとアナウンスされています。なお、速達化に伴う運用は輸送改善工事完了後の2010(平成22)年春以降となる予定です。

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▲水槽こそ失われているものの、しっかりと整備されてモニュメントとなっている武庫川線給水塔。頂上には風見鶏ならぬ汽車の風向板が取り付けられている。2008年 P:中西進一郎
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週末にひさしぶりにお会いした神戸の中西進一郎さんから「武庫川貨物支線の給水塔の遺構がモニュメントとして残っているのをご存知ですか…」とレポートと写真を頂戴しました。これまでにも以下のように幾度となくご紹介してきた武庫川線とその専用線ですが、これほど立派な遺構が残されているとは知りませんでした。さっそく中西さんのレポートをお目にかけましょう。
■これまでにご紹介した武庫川線関連記事
“阪神の奇怪な電動貨車”に寄せて
43年前の武庫川線と武庫川車輌(上・中・下)
武庫川線アンソロジー(上・下)
武庫川線専用線区間の現状は…
武庫川線…もうひとつの定点観測

mukogawa080825n2.jpg貴誌300号のトワイライトゾーン、澤田節夫氏の記事、興味深く拝見させていただくとともに「我がテリトリー」にこんなすばらしい場所があり、ある程度の情報を知りながら一度も足を運ばなかった自分を大いに悔いております。そこで今回はこの武庫川貨物線に関連する遺構と、焦点をもう少し西に移し、国鉄西宮駅の入換機に関してレポートさせていただきます。
▲給水塔土台部にはめ込まれた説明板には逆円錐形の水槽を載せた往時の姿の写真も添えられている。2008年 P:中西進一郎
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私が鉄道趣味に目覚め、写真を撮り始めたが1957(昭和32)年頃でした。当時は情報を集める手段も少なく、自分の目で見たものをモノにする(写真を撮る)のが精一杯でした。そんな中、大阪に行く途中の西宮に蒸機がいることに気づき、1958(昭和33)年3月のある日、国鉄西宮駅を訪問、C12 62号(鷹取機関区所属)を撮影させてもらいました。今は旅客中心の新しい中堅駅になっていますが、当時は比較的貨物扱い量の多い駅だった様です。

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▲西宮駅構内で休むC12 62〔鷹〕。西宮(甲子園口)~武庫大橋~州崎を結ぶ貨物輸送は、C12の牽引によっていたことが記録にも残されている。なお、中西さんは数年後に本機と奈良機関区で再会しているそうで、その時分の仕事は六検入換でB20が廃車になったアトガマだったとのこと。1958年 P:中西進一郎

そしてここにいたC12 62号はこの主題である「武庫川貨物線」の「主役」だったのでしょうが、残念ながら私は武庫川線上を走っている姿を見る事はありませんでした。それから約1年経った1959(昭和34)年3月頃、何の目的だったかは記憶にありませんが国鉄西宮駅を再訪、しかしC12の姿はなく、入線したてのニチユの貨車移動機を撮影しています。(ちなみに当時の私の行動パターンから考えると、この貨車移動機の写真撮影が主目的で西宮駅を訪問したとはとは考えにくいところではあります)。この移動機が国鉄のものであればC12の代替機に相当するのでしょうが、ここには朝日麦酒西宮工場用の日通機もこれ以前から存在していましたのでこれは日通機の代替かも知れません。私としてはこのニチユがC12の代替機であってくれたらその近代化の一頁に立ち会ったことになり、幸甚の極みなのですが…。

mukogawa080825n4.jpgそしてその後の1966(昭和41)年4月から、大阪までの通勤でほとんど毎朝夕この「武庫川支線」をウォッチングすることになりました。そんななか構内外れに給水塔を発見、小型でC12の支線用にピッタリの大きさでした。場所は今で言うと県道がオーバークロスするところのすぐ武庫川寄りです。
▲西宮駅構内で見かけた“新車”のニチユ製貨車移動機。8tのE形と思われる。1959年 P:中西進一郎
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この「武庫川貨物線」、実質的には1959(昭和34)年ころに運用を中止した様ですが、戸籍上は1970(昭和45)年まで残り、その後も線路はかなり長期間残っていました。気になる「給水塔」もその後、いつのまにか朽ち果て骨組だけになっているのを見てこの「遺構」もこれまでかと思っていたのですが、今回の澤田氏の記事に刺激され約50年振りにこの8月、「給水塔跡」を確かめるべく現地を訪れました。

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▲入換中の貨車移動機。画面右端には立派な貨物上屋が確認できる。ただし、この移動機が武庫川線へ入ったとは考えにくいだろう。1959年 P:中西進一郎

すると、ありました! 私の最終チェック通りの骨組だけの状態ですが、一応の塗装が施され残されていました。しかも「甲子園口SL公園」と言う公共施設の一部のメインモニュメントとして「武庫川貨物支線」の簡単な紹介と写真付です。誰の発案か判りませんが、良くぞこの「給水塔」を残してくれたものです。トワイライターの一人として“SL”のいない「甲子園口SL公園」に拍手を送りたいものです。

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080822n1.jpg1巻・2巻ともに日本図書館協会選定図書に選ばれてたいへんなご好評をいただいている単行本『「SL甲組」の肖像』の第3巻が週明けの25日に発売となります。まずはこの3巻に収録した区所をご紹介いたしましょう。
小樽築港機関区(函本山線、C62とともに/31番線の扇形庫、職員数791人。北の名門機関区の矜持/C623復活を支えた検修魂)
 □C62 3号機有火復元までのあゆみ
豊岡機関区/和田山支区(桃観、そして生野。隧道との戦い)
福知山機関区(北近畿・三丹の要衝)
沼津機関区(時代の先端を走った名門区)
 □蛇松線について
福島機関区(みちのく動脈の分岐点)
 □思い出のSL
長野機関区(山線に挑むD型機の居城)
 □熱きSLへの想い/雪の越後路
直江津機関区(果てしなき自然との闘い)
 □白魔との闘いの記録
新得機関区(北海道の屋根を征す)
鷲別機関区(鉄は産業の米…不夜城・室蘭への道)
 □乗務員のバイブル「蒸気機関車乗務員執務要綱」
美唄鉄道(つわものどもが夢の跡)
鉄道聯隊(鉄道兵かく戦えり)
 □鉄道聯隊の記録
水戸機関区(「ある機関助士」伝)
 □PR映画「ある機関助士」
 □「ある機関助士」完成台本


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▲福知山機関区で顔を揃えた山陰の雄C57 11とD51 499。かつては少数派C54、そしてその後は無煙化のホープとして期待されながら故障に泣かされたDD54と、偶然にも二世代の“54”を任されたのも福知山区であった。(『「SL甲組」の肖像 3』誌面より)
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▲独特の「長工デフ」に特徴的なエンドビームの白線、集煙装置とスノープラウで武装しながらも、長野機関区のD51には他区所属機にはない表情があった。(『「SL甲組」の肖像 3』誌面より)
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この3巻でも改めてご注目いただきたいのが取材秘話ともいうべき各章にちりばめられた「出会った人びと ―取材メモから―」です。この「SL甲組」OBを全国に訪ね歩く取材の旅は椎橋さんに一任しているため、実は編集を担当する私も記事に出てくる武勇伝の主がどんな方なのかは存じません。それだけにこの「出会った人びと」のページは、ご本人の“肖像”はもちろんのことながら、そのお人柄と最近の暮らしぶりまでもが垣間見られ、私自身も毎回楽しみにしております。

080822n2.jpgさらに連載では紹介できなかった手記や資料をふんだんに盛り込んでいるのも特徴です。なかでも一押しと言えるのが、あの小樽築港機関区の検修掛の頂点に立っていた山下仁郎さんの手記「C62 3号機復活めも」です。1987(昭和62)年3月、C62 3を有火復元しようと計画した国鉄北海道総局は、往年の検修の神であった山下さんにそのアドバイスを求めます。この手書きの「めも」は、いったんはその要請を断りながらも、結局は復元プロジェクトの中心となってあの歴史的復活劇を成し遂げるまでの一ヶ月を克明に記録したものです。その後の7年余にわたる復活走行がどれほど多くの感動を残してくれたかを思うと、この「めも」に記されたひとつひとつの紆余曲折に思わず涙腺が緩んできます。
▲1987(昭和62)年3月9日から国鉄分割民営化を跨いで4月2日まで、山下仁郎さんの「C62 3復元めも」は、同機復活までの激動の一ヶ月を最当事者の目で克明に記録している。(『「SL甲組」の肖像 3』誌面より)
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▲3巻所収のなかで異色なのが「鉄道聯隊」。千葉機関区で実習を行なった聯隊兵は山線訓練のため山北に廠舎があった御殿場線へと送り込まれ、訓練を終えると戦地へと散っていった。(『「SL甲組」の肖像 3』誌面より)
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この3巻では国鉄機関区以外の“甲組”の皆さんにもご登場いただいております。私鉄の美唄鉄道、そして戦前の鉄道聯隊です。旧日本陸軍の組織であった鉄道聯隊は、今もってその全容が知れず、さらに時の経過とともにオーラルヒストリーとしてこのような形で記録を残せる機会も少なくなってきてしまっております。

080822n11.jpgもうひとつご紹介いたしましょう。これまた初公開となるのがあの名作映画「ある機関助士」の完成台本です。連載時にはあえて伏せておりましたが、この映画撮影に関しては実は驚愕の事実がいくつも隠されております。岩波映画「土本組」によって撮影されたこの映画が、前年に起こった三河島事故で失墜した国鉄の信頼を回復すべく企画された、いわばプロパガンダであったことは広く知られていますが、一見ドキュメンタリーに思えるこの映画、実は極めて綿密なプロットに基づくいわば“劇”だったのです。なおかつクランクインは上野~水戸間の電化3週間後の1962(昭和37)年10月25日。急行「みちのく」として登場するのはなんと撮影用に特別に引かれたスジを走るC62の、しかも「単機」なのです。
▲初公開となる「ある機関助士」完成台本。あの名作がどのように作られていったのかが今詳らかになる。(『「SL甲組」の肖像 3』誌面より)
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だからといって名作「ある機関助士」が残してくれた感動がいささかたりとも揺るぐものではありませんが、こういった史実の検証と後世への伝承も、今後『「SL甲組」の肖像』が果たすべき大きな役割だと考えております。各巻の中でもとりわけ読み応えたっぷりのこの第3巻にぜひご期待ください。

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※今週末は出張のため小ブログはお休みさせていただきます。25日付けより再開いたしますので、あしからずご了承ください。

080821RML109.jpg今月のRMライブラリーは先月に引き続き、髙井薫平さん・田尻弘行さんコンビによる『鹿児島交通南薩線―南薩鉄道顛末記―』の下巻をお送りします。上巻では南薩鉄道創業から終戦までの沿革とその間に入線した車輌を解説していただきましたが、下巻では終戦から鹿児島交通の成立、そして1984(昭和59)年の廃止までの歴史とともに、キハ41600タイプのキハ100形や西鹿児島へ乗り入れたキハ300形など、終戦後に入線した車輌たちを詳細にご紹介しております。

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▲ようやく戦後を迎えた南薩鉄道を今度は自然災害が容赦なく襲った。本書ではようやく復興の途につきながら、支線の復旧を断念し、さらに鹿児島交通となったのちは経営改善に苦闘するさまがリアルに再現されている。(RMライブラリー『鹿児島交通南薩線―南薩鉄道顛末記―』より)
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さらに開業から廃止までの運転の概要も解説するほか、主要駅の構内配線図や主要車輌の竣功図、諸元表を収録。また、巻末では髙井薫平さんが南薩鉄道記念館のご協力のもと今も多くの痕跡を留める廃線跡をたどります。今回も地元の皆さんのみならず、全国各地のたいへん多くの皆様のご助力を得ることができ、上下巻あわせて文字通り南薩鉄道→鹿児島交通の決定版となっております。ぜひ多くの方にお手にとってご覧いただければと思います。

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▲列車運行図表や車内補充券など運転・営業を語るうえで重要な資料も随所に掲載している。(RMライブラリー『鹿児島交通南薩線―南薩鉄道顛末記―』より)
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080821n18p.jpgところで、著者のお一人である田尻弘行さんは、RMライブラリーの読者の方ならご存知の通り、これまで九州の小私鉄の研究に積極的に取り組まれ、RMライブラリーでは第25巻『熊本電気鉄道 釣掛電車の時代』(髙井薫平さんと共著)をはじめ、第42巻『熊延鉄道』、第57巻『山鹿温泉鉄道』、第69巻『宮崎交通鉄道部』、第85巻『大分交通別大線』を発表されており、今回の第108・109巻『鹿児島交通南薩線―南薩鉄道顛末記―』で7冊目が完成したことになります。いずれも現地での関係者からの聞き取りとともに公文書による裏づけを伴った綿密な調査による解説がなされたものです。未見の方はぜひこの機会に合わせてご覧ください。
▲主要駅の構内配線図は資料としてのみならず、非電化ローカル私鉄を志向されるモデラーの皆さんにとっても必携だろう。(RMライブラリー『鹿児島交通南薩線―南薩鉄道顛末記―』より)
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▲小沢で小休止する倶知安行き上り貨物1196レ。先頭に立つのはのちに深川区に転じて無煙化末期まで生き延びたD51 857〔倶〕。当時の小沢周辺はいたるところで黄色いオオハンゴウソウが咲き乱れていた。'71.8.21 小沢
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学生時代の夏休みといえば、前半は遠征資金稼ぎのアルバイトに明け暮れ、お盆過ぎになってから撮影に出掛けるというパターンが常でした。とはいうものの、蒸機時代、夏場は“絵になる”シーンは望むべくもなく、炎天下でさんざん待った挙句、陽炎のような排気を上げてファインダーを通り過ぎてゆく様に臍を噛んだことも一再ではありません。現代の復活蒸機のように真夏に盛大な煙を拝めることなどまずあり得なかったのです。

080820-005n.jpgしかしそんな中で例外中の例外だったのがC62重連の急行「ニセコ」でした。長万部~小樽間の速度種別「通客E7」、つまり10‰上り勾配時の均衡速度67㎞/hで現車11輌の急行を引っ張り上げようというだけあって、季節を分かたず大迫力の奮闘ぶりを目にすることができたのです。その「ニセコ」が三重連で運転されると知ったのは終焉間近となった1971(昭和46)年夏のことでした。やもたてもいられず津軽海峡を渡ったのが、ちょうど37年前の今日、8月20日のことでした。
▲前夜の函館にて。この日、函本山線撮影時の“定番”だった荷43レを長万部まで受け持つのは五稜郭区のD51 737。'71.8.20 函館
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▲C62 2を先頭に夕闇迫る上目名を疾走する103レ急行「ニセコ3号」。標高60mの熱郛から186mの上目名へ…わずかひと駅、7キロほどで高低差126mを高速で駆け上る2輌のC62はまさに“ジェット音”を奏でる。'71.8.21 熱郛-上目名
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函館を23時56分に出る「荷43レ」はその名のとおり荷物列車に便宜的に申し訳程度の客車を連結した荷物夜行で、この日は長万部までがD51単機、長万部からのいわゆる山線区間がD51重連の牽引でした。倶知安発が翌21日5時01分、進行右手の車窓に明けやらぬ空に浮かぶ羊蹄山の威容を見ながら、目的地小沢へと降り立ちました。お目当ての三重連は明日22日の104レ上り急行「ニセコ1号」の小樽~倶知安間のみ。撮影ポイントを小沢-倶知安間と定め、今日は“予行演習”を行おうというのです。

080820-004n.jpgさすがに8月後半の北海道だけあって暑さこそそれほどではなかったものの、終日悩まされたのが凶悪なアブ(?)の類の吸血羽虫でした。えらく大きい、ハエの2倍ほどもあろうかという羽虫があちこちにたかっては容赦なく血を吸い始めます。いったん取り付いてしまうと手で引き剥がさない限り吸い続ける凶悪さで、撮影を終えるころには体中が痛痒くなってしまったのを今でも鮮明に思い出します。
▲銀山で上り「ニセコ1号」(104レ)と交換する荷41レが倶知安峠を駆け下りてゆく。思いのほかの高速で眼前を通り過ぎたのはD51 327〔萬〕。'71.8.21 倶知安-小沢
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上目名で103レ「ニセコ3号」を撮影後、宿代を浮かすべく、次の荷42レで遠路函館へと戻り、再び荷43レで小沢へと折り返したのですが、果たして「本命」の三重連が痛恨の結果(アーカイブ「痛恨のC62三重連」参照)に終わろうとは、この時点では思ってもみなかったのです。

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jr2008n.jpg1988年年末に第1巻を発行してからついに20年目を迎えるイヤーブック『JR全車輌ハンドブック』の2008年版が完成いたしました。本書は、2008年4月1日時点でのJR7社から提供された配置表など、車輌に関するオフィシャル資料をもとに、各社に在籍する全形式・全番代を708頁の1冊にまとめたものです。今年も数ヶ月にわたって昼夜兼行で編集作業の中心となってくれた新井副編集長からこの2008年版の見所をご案内いたしましょう。

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▲こちらは本書誌面の一例。さまざまな新形式が登場した事業用気動車のグラフページ(左)と、JR東日本のE655系の解説ページ(右)。縦覧性の良さは今もって紙媒体の特性。
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2008年版『JR全車輌ハンドブック』では、新幹線は短編成化された500系7000番代、電車は1号編成に替わる特別車輌を組み込んだE655系を筆頭に、789系1000番代、E233系1000番代・3000番代、気動車はレール運搬車キヤ97系、貨車は北海道新幹線用ロングレール輸送車チ50000・チラ50000など62車種もの形式・番代が新たな頁を刻みました。ちなみに2007年度中に廃車された形式はEF59形、781系、209系(910・920番代)、キハ80形、キロ28形、12系“旅路”、ワキ10000など国鉄時代を象徴する車輌がその名を連ね、EF58形157号機なども惜しくも2008年版から姿を消しています。

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▲DVDの形式画面。2008年度版で『JR全車輌ハンドブック』初掲載となるJR東日本のE655系の制御電動特別車クモロE654-101の項目。形式写真とともに解説文が添えられており、茶帯の「系列インデックス」ボタンをクリックするとE655系の解説画面が現れ、E655系の全体を知ることができる。

さて本書では、1形式毎に形式写真と解説文とで紹介をしておりますが、今回は2007年版の写真約600枚新たなものと差替えて大幅なアップデートを図っております。もちろん2005年版より大好評いただいている、本書の内容をまるごとパソコン画面で楽しめる「JR全車輌ハンドブック2008 DVD」も特別付録として添付しております。このデータベースDVDは検索機能も充実しているため、お探しの形式・番代を簡単かつ瞬時に表示することが可能です。また、DVDの配置表「JR全車輌配置表」は、「車種」「形式」「番号」「車体標記」「区名札」「JR会社」の6通りもの検索機能から特定車号をヒットできる、紙媒体にはない便利なツールを備えています。この機能から、現存するトップナンバーの全形式を調べたい、という時も瞬時にその全てを表示することができます。

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※上の画像をクリックすると付録データベースDVDの検索フローを動画で疑似体験できます。ぜひお試しください。
なお、Macでは再生できない場合があります。

系列という大きなカテゴリーで読める本の利点、1形式毎にじっくり探れるDVDとで、今のJR車輌を完全網羅するこの一冊、ぜひお手にとってご覧ください。なお、2007年度で廃車となった車輌を掲載した最後の『JR全車輌ハンドブック』2007年版も些少ですが在庫がございます。こちらも併せてご検討ください。

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▲ギヤを前進位置にしてクランク棒を差し込んで回すとクランクの回転に伴ってホイットカムは少しずつ前へ…。下回りの鋳物部品は表面が凸凹していて電動工具が使いづらいためスクレーパーや布ヤスリを使って浮いた錆をそぎ落とす。'08.7.13 P:木村一博

昨日8月17日、「よみがえれボールドウィン実行委員会」の4回目となるホイットカム(アーカイブ「今年も始まる沼田の修復プロジェクト」参照)修復作業が行なわれました。保存場所の林野庁森林技術研究所林業機械化展示館(沼田市利根町根利)は山中とあって天候が心配されましたが、幸い作業が始まる時分には回復し、順調に修復が捗ったそうです。前回7月13日に行なわれた第3回修復作業の様子とあわせ、木村一博さんからお送りいただいた写真でその進捗状況をお目にかけましょう。

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▲外板。鉄板の黒皮の上に塗られていた濃い緑色。その上に薄い緑、さらに機械化センターに運ばれた際に塗られた赤錆止めに黒色と塗り重ねられていた(左)。右はラジエータ部。薄緑の上に黄色。その上に黒色が塗られていた。'08.7.13 P:木村一博
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▲キャブ内は若草色(左)。動力部分はブルーグレーであったことがわかる(右)。カラーチップと照合しながら記録を残してゆく。'08.7.13 P:木村一博
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修復作業が進むにつれてわかってきたことのひとつが、この小さな機関車の塗色の変遷です。電動グラインダーやディスクサンダーを駆使して塗装を剥離してゆくと、次から次へと歴代塗り重ねられてきた塗色が姿を現しました。上回り、下回りともに最深部には濃い緑色が塗られており、最終的にはこの塗色を再現すべく修復作業を進めることになったそうです。

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▲昼頃から時折雨の降る変わりやすい天気となった。そのためキャブを室内に移動。錆止め下塗り塗装を行なう。'08.8.17 P:木村一博

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▲ボンネットのサイドルーバーなどは上塗り2回目まで進行した(左)。キャブの本体も無事に下塗りまで完了(右)。'08.8.17 P:木村一博
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作業途中にはキャブ構体に出生地でもあるイリノイ(ILLINOIS)の陽刻も発見されました。このホイットカムは1926(大正15)年生まれですから、80年以上も前の誕生の記録でもあります。

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▲キャブ下側のLアングル鋼には何やら英語表記。"USA,ILLINOIS”と読める。ホイットカム出生地もイリノイ州。鋼材メーカーの物だろうか。Nの字が洒落ている。'08.8.17 P:木村一博
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▲前回、白色錆止めを塗りかけたものの、内部が赤色錆止めだったので全体を赤色で統一することに…。まるで新製途中の姿のよう…。'08.8.17 P:木村一博

今回の第4回修復作業で一部は上塗りまで完了、他の部分も全て下塗り錆止め塗装を終える事が出来たそうです。次回はいよいよトラック部分とキャブ、ボンネットを組み付け修正し上塗り塗装に取り掛かる予定で、果たしてこの古典ガソリン機関車がどんな姿に甦るのか今から楽しみです。なお、次回第5回の作業は9月14日(日)午前10時から。見学も自由だそうですので、一度お出でになってみてはいかがでしょうか。
■林野庁森林技術研究所林業機械化展示館
群馬県沼田市利根町根利1445番地


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ご愛読いただいている小ブログは17日までお休みとさせていただきます。
あいかわらず厳しい残暑が続いておりますが、皆さま体調を崩されぬようご自愛ください。

編集長:名取紀之敬白

写真:コロラド・アニマス川上流、シルバートン・ノーザン(SN)鉄道のグレードで見かけた鉱山軌道跡。'98.9 ※クリックするとポップアップします。

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▲209系訓練車の1号車外観。横須賀線風のクリームのラインカラーとなり、東京・大宮総合訓練センターの訓練車とは印象が異なる。なお、この2輌は車輌としての車籍はなく、形式番号の車体標記もない。'08.8.12 P:RM
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今春「東京・大宮総合訓練センター」に導入された訓練車(→こちら)に続き、JR東日本の「横浜総合訓練センター」にも新たな訓練車が登場いたしました。これまで使用されてきた仙石線用の105系(旧103系)を改造した訓練車に代わって導入されたのは209系を改造したもの。基本的には東京・大宮総合訓練センターの訓練車と共通ですが、本誌にさきがけていち早くその概要をご紹介してみましょう。

yokohama080813n2.jpg横浜総合訓練センターはJR東日本の横浜支社内の運転業務に従事する社員を対象に、異常時対応訓練を行なう施設で、JR久里浜駅の駅舎とは反対側に位置します。駅構内に隣接した約3000㎡の敷地の中に、研修施設と訓練線などが備えられ、1年間に2000名もの訓練者を受け入れる大きな施設です。訓練線は全長450mにおよぶ営業線を凝縮した設備で、実物と同様の閉そく装置、信号装置、連動装置、保安装置などが使用され、相模駅、湘南駅の2駅が設けられています。
▲1号車の前面。種車は中間車のため先頭車改造を行っている。ちなみにFRPキセは209系からの流用ではなく新品が取り付けられた。'08.8.12 P:RM
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▲1号車の運転台。クハ209形などの流用品であるがATS-P装置を増設している点が注目される。'08.8.12 P:RM
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▲1号車には種車のものと思われるモハ209-39のシールが残っている(左)。同じく1号車の運転台仕切りに貼られたクモハ209-092のシール(右)。'08.8.12 P:RM
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新訓練車は1号車+2号車の2輌編成で、種車はモハ209形とモハ208形。2008(平成20)年に長野総合車両センターで改造され、車体のラインは京浜東北線時代のブルーからクリームのラインカラーに変更となっています。車内の設備も東京・大宮総合訓練センター車とほとんど同一ですが、訓練人員が少ないことから、訓練中の様子を映し出すためのCCDカメラとモニターは車内には取り付けられていません。

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▲1号車の運転室仕切。営業用の209系では見られない開放タイプとなっている。'08.8.12 P:RM
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▲2号車の一部のドアには故障時の訓練のため横断幕が取り付けられている(左)。台車付近には、インカムマイクをつけた指導員や訓練生の声が聞こえるように、スピーカーが新設されている(右)。'08.8.12 P:RM
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この新訓練車はATS-PやD-ATCなど新しい保安装置にも対応し、実践に即した様々な状況を体験することによって、危機管理能力を高める訓練に使用されます。なお、開所時の1998(平成10)年4月から働いてきた前任の105系改造訓練車は6月末で引退し、先月現地で解体されたそうです。

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▲多くのファンに見守られ最後の晴れ舞台を演じる富山地方鉄道デ3533。今まで車籍が残っていたのが奇跡的だったとも言えようか…。'08.8.9 南富山 P:高橋一嘉
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8月6日付けでご紹介(「名残の地鉄デ3533」参照)した富山地方鉄道デ3533のお別れ撮影会ですが、編集部の高橋一嘉君が個人的に現地を訪れ、「編集長が消してしまったという車内の写真も撮ってきました」と最新の画像を見せてくれました。貴重な“単車”の走行シーン動画も撮ってきてくれましたので、今日は彼のレポートをご覧いただくことにしましょう。

toyama080812n4.jpg先般「編集長敬白」で紹介された富山地方鉄道デ3533のお別れ撮影会に行ってまいりました。連日の猛暑にも関わらず当日は多数のファンが集まり、主役の3533は定位置の車庫脇の留置線から自走でファンの前に姿を現し、リクエストに応えて場所を変えたり、7000形や8000形との並びを披露したりと、その大サービスぶりにファンも大満足でした。その中で、名取編集長がデジカメの画像を消してしまったという、3533の車内を見学させていただく機会に恵まれましたので、お目にかけましょう。
▲三菱製の直接制御の制御器も貴重な運転台。'08.8.9 南富山 P:高橋一嘉
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▲運転台を詳しく見る。制御器とブレーキ弁、それに圧力計だけの実にシンプルな構造である。'08.8.9 南富山 P:高橋一嘉
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▲これが車内に搭載されている融雪剤散布装置。すでに使われなくなってかなりの時間が経っているとみえる。'08.8.9 南富山 P:高橋一嘉
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ガラガラガラ…と手動で鉄製の扉を開けると、車内には客用の腰掛はなく、その代わりに中央に大きな機械が据えつけられています。これが凍結防止剤の塩化カルシウムを散布する装置と思われます。運転台は三菱製の直接制御の制御器とブレーキ弁、それに円形の手ブレーキハンドル、あとは幾つかのスイッチ類が並んだだけのシンプルなもの。背面の仕切りはもちろんHポールですが、南富山方には中央の機械のものと思われる操作パネルが取り付けられています。少々、各部に錆が目立つようですが、塩化カルシウム、つまり塩の散布というその任務を考えれば致し方ないことでしょうか。

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▲後輩7018と8005に見送られるように両側を挟まれたデ3533。この愛らしい単車も、秋の声を聞くことなく歴史の彼方へと消えてゆく…。'08.8.9 南富山 P:高橋一嘉
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デ3533が誕生したのは昭和26年のこと。小さな車体で富山の戦後復興に大活躍したことと思いますが、昭和40年にはデ7000形の増備が完了して単車の出番はほとんどなくなってしまったと思われますので、以来、旅客営業時代の約3倍近くの期間を裏方として過ごしてきたことになります。当日のアナウンスによれば、このデ3533はお盆休み明けには解体される予定とのことです。今日は短いながらデ3533最後の“力走”シーンを動画でお目にかけましょう。
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※上の画像をクリックすると動画(48秒)がご覧になれます。
音声付ですのでクリックする前に周囲の環境にご配慮ください。なお、Macでは再生できない場合があります。

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本誌300号記念として付録した沖田祐作さんの労作「機関車表」は大きな反響を呼んでいます。なかでも嬉しかったのは、早朝から日々データを打ち込み続けている沖田さんへの熱いエールの数々です。同じ時代に同じ趣味を共有できたことが誇らしいとまでおっしゃる方さえおられ、さまざまな難関を超えてこの企画を具現化するお手伝いができたことは編集者冥利に尽きる思いです。

080811n11.jpgさらに巻頭インタビューのデータベース化断念の経緯をお読みになった何人のも方から、自分が力になれないだろうかと連絡をいただいたのも嬉しい驚きでした。もちろん本業としてシステムエンジニアなどデータベース構築のお仕事をなさっている皆さんで、沖田さんの無垢な情熱と使命感にひと肌脱ごうと名乗りをあげてくださったわけです。いみじくもインタビュー中で再三強調されておられるように、沖田さんはこの膨大なデータを今後趣味界共有の財産として皆で育てていってほしいと願っておられます。果たしてどういった方法が望ましいのか、私どもも引き続き模索してゆきたいと思っています。
▲タイプ謄写印刷だった頃の「機関車表」(私鉄・専用線編)。ガリ版ゆえ、極めて小部数が頒布された。写真は20年以上前に私が愛用していたバインダー。
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▲「国鉄編Ⅱ」では国鉄電気機関車、ディーゼル機関車を中心にその車歴を収録。判明した転配履歴もすべて盛り込まれており、その密度はまさに圧巻。
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さて、その「機関車表」ですが、下巻とも言うべき301号付録分の検証が終わり、現在台湾でプレス中です(発売は21日)。予告のとおり今回は国鉄編Ⅱと題して電気機関車、内燃機関車、特殊機関車(ケ・車蒸?仮番号雑番形式)、 移動機、暖房車、除雪車、操重車、蒸気動車、それに船舶が収録されております。暖房車はもともと形式図や配置表上でもボイラーを搭載している関係から「機関車」に紐づいていますが、除雪車以下は貨車、移動機(貨車移動機)は機械扱い、さらには船舶にいたっては広義での「車輌」でさえありません。それだけにどこが「機関車表」かとのご指摘もありましょうが、ディスクのデータ容量に余裕があったこともあり、千載一遇の機会と収録に踏みきりました。

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▲「ケ」の形式称号を付与された国鉄狭軌軽便線などで活躍した特殊機関車たちも「国鉄機」である以上はきっちりと収録。
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▲さらには連絡船や補助汽船など国鉄船舶も可能な限り収録している。歴代これほど多くの船舶が所属していたとは驚きでもある。
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300号と同様のPDF形式での収録で、300号301号あわせてプリントアウトすればA4判用紙で実に1896枚に相当する膨大なデータが完成します。ぜひ合わせてご活用ください。

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▲「SLやまぐち号」後部展望台からの眺望。オプティオS4を使いはじめて間もない頃の一枚。この時点ではまさかこれほど長い付き合いになろうとは思ってもみなかった。'03.11.16

先日、愛用のコンパクト・デジカメ=ペンタックス“Optio S4”がついに壊れてしまいました。2003年6月の購入以来、撮影枚数は何と2万7千枚あまり。通勤時にも携行し、試乗会の撮影から模型のいわゆるブツ撮りまで、とにかくありとあらゆるものを撮影してきました。このブログでご紹介してきたコンテンポラリーな画像も大半はオプティオによるもので、さらに言えば書籍『編集長敬白』所収の写真も同様ということになります。

080810n12.jpg変調を来たしはじめたのは一年ほど前になりましょうか。ある時、どうも撮影画像が傾いているような気がしはじめました。もちろん撮影時には水平を出しているつもりなのですが、いざ画像処理ソフトに入れて軽加工を施そうと開いてみると、わずかですが“右下がり”です。はじめはたいして気にもせずに角度の調整で処理していたものの、ある時、ふと自分がおかしいのではないかと不安にかられました。さては三半規管に問題でもあるのでは…さっそく水準器を使ってテスト撮影をしてみたところ、えっ、それでも傾いている。これはカメラそのものの問題にほかならないわけです。
▲大修理を終えて元気に帰ってきたわがオプティオS4。400万画素、光学3倍ズームと今日的感覚では特筆すべきスペックではないが、83×52×20㎜というほとんど名刺サイズの超小型ぶりは現在でも何ものにも代えがたいメリット。
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次に襲ってきたのはバッテリー取り付け部の押さえ爪の不具合です。プラスティック製の押さえ爪にクラックが入ってしまい、バッテリーがきちんと押さえ込まれなくなってしまったのです。当初はエポキシ系接着剤でクラックを押さえて使っていたのですが、ついにその応急処置も効かなくなり、セロテープで押さえてさらに指で圧することに…。結局、ここ数ヶ月の撮影は左手親指でバッテリー収納部の底板を押さえ、さらには“右下がり”の傾きを勘案してカメラを傾がせつつ撮影するという、とてもデジカメとは思えないアナログな状況に陥ったのでした。

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▲愛用のマックとともに…。実はオプティオが不調をきたすのと時を同じくして、出張時などに重宝していたこのi Bookも壊れてしまった。
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ただ、もともと撮影に手数が掛かるのは大好き(?)な方ですから、クラカメと思えば苦にもならず、さらにはまさに手足のごとく使いこなせるこのオプティオへの愛着もひとしおでした。それだけに今回意を決してペンタックスさんに修理をお願いすることにしたのです。

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▲今から見ればえらく小さな1.6型液晶モニタ(左)。右はロゴさえも消えかかってきた軍艦部。
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さすがに5年落ちの、しかもコンパクト・デジカメなど修理に出す方が非常識と言われそうですが、こちらの意図を理解いただき、大修理を行っていただきました。件の画像の傾きはCCDそのものが何らかの要因でわずかに傾いでしまったためで、こちらも交換。バッテリー取り付け部は爪はもとより押さえ蓋自体も交換。さらに暗くなってきた液晶モニタ自体の取り替え、ズーミングブロック、回路基板、各種操作ボタンの新品への交換等々、機能的にはほとんど新品状態にまで修理していただきました。ただしアウターシェルは2万7千枚の歴史を留めるために使い込んだオリジナルのままとなっています。

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▲購入直後の一枚。まだ記録画素や画質の設定に不慣れで、再生してみると画像容量がフルになっていない。当時は記念撮影用程度の認識しかなかったようだ。'03.7.19 杉戸
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修理期間中は家内所有の別メーカーのコンパクト・デジカメを借りて使っていたのですが、ボディカラーがピンクということもあって、撮っていてもどうも心ここにあらずの感が拭い去れませんでした。さらにお会いする何人もから「あれ、いつものオプティオじゃないんですか」と問いかけられるにつけ、コンパクト・デジカメとはいえ、充分に愛着を注げる「カメラ」なんだと改めて気づかされた次第です。
昨日のJAMで本格復帰したわがオプティオS4、間もなく3万枚へ、そして5万枚へと“記録”を伸ばしていってくれるに違いありません。

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▲好天に恵まれた土曜日とあって東京ビッグサイトの会場内は大賑わい。普段実際に見ることの出来ない巨大レイアウトが会場内を埋め尽くしている。'08.8.9
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東京が今年初の猛暑日となった昨日8日、今年で9回目を迎える「国際鉄道模型コンベンション」(主催:NPO法人「日本鉄道模型の会」=JAM)が始まりました。会場はすっかりお馴染みとなった東京ビッグサイト西ホール。初日の昨日は仕事の都合で伺えませんでしたので、今日はたっぷりと会場内を見て回ることにしました。

jam080809n2.jpg夏休みの土曜日とあって会場内には親子連れの姿も目立ちますが、全体を見渡してみて、スケール、カテゴリーを問わず鉄道模型の世界がこれまでにも増してどんどん広がってきているのが印象的でした。JAMが始まった2000年当時は思いもつかなかったようなスケールやゲージ、狭義での「鉄道模型」の枠を飛び出した製品や作品の数々は、これからの鉄道趣味のさまざまな可能性をも見せてくれているようです。
▲モデラーズ・パフォーマンス(MP)の小池令之さんのパイクで快走するGスケール架線集電トラム。マンガ的な外観とは裏腹に、ディファレンシャル・ギアの試作やゲージ可変(32←→45㎜)台車への挑戦など技術的な面でも興味深い。'08.8.9
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▲お馴染みのナローゲージジャンクションの出展作品から、さらに完成度を高めた小泉宣夫さんのOnレイアウト。個性豊かなメンバーが毎回ひとつの“頂点”を見せてくれている。'08.8.9
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一方で伝統的な(?)鉄道模型の世界も着実に進化・発展してきています。DCCや車載カメラなどに象徴されるデジタル化はまさに革命的にこの世界を変え、またインターネットの普及は国境を越えてテクニックやマテリアルを研ぎ澄ましてきました。その意味でもJAM創生期とは隔世の感があるといえましょう。

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▲会場内でお目にかかった皆さん。左は言うまでもなくJAM会長の古川 享さん。MPの個人ブースではSn3の“伝道師”として大熱演。右はNHK「趣味悠々」でもお馴染みの諸星昭弘さん。近著を手にあいかわらずの笑顔。'08.8.9
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▲「電気運転事始め」と題して博物館ものの大正~昭和初期の古典模型(35㎜)を走らせる井上昭雄さん(左)。かたや自らおこした超細密CGを基に1/33.3の見事なアクリル製C11を展示している松 仁志さん(右)。固まるとアクリルと同化する特殊な接着剤を使用しているとか…。昨年ご来社されて以来ひさびさの再会。'08.8.9
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第9回国際鉄道模型コンベンション(JAM)は明日10日(日曜日)に最終日を迎えます(10:00~17:00)。あいかわらずの残暑ですが、ぜひビッグサイトまで足をのばして鉄道模型の“今”をご自身の目でお確かめください。

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▲最後に「えっ!」と驚くC62を…。Bトレインショーティーのイメージが強いバンダイが、今冬の発売に向けて開発中の1/45のC62の試作のさらに試作。もちろん本邦初公開で、最終的にはプラ製ながら金属パーツもふんだんに盛り込まれる予定。詳細は『RM MODELS』次号にて…。'08.8.9
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▲「汽車フェスタ」の実演でウイングが開かれたキ1。汽笛の吹鳴も行なわれるという。P:三菱大夕張鉄道保存会
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財政再建団体となって二年目を迎えた夕張市ですが、夕張映画祭も市民の手で復活し、厳しいながらも再生に向けた新たな動きが見られます。そんな中、9月6日(土曜日)、7日(日曜日)には、昨年に引き続いてJR北海道による「夕張応援号」が運転されます。
■運転日:2008年9月6日(土)、7日(日)
■運転区間
  新夕張⇔夕張
  但し1号のみ追分→新夕張→夕張
■使用車輌
  C11 207+客車4輌(全車指定席)
  ※定員216名
■運転時刻
  1号 追分9:00頃→新夕張9:50頃‐10:35頃→夕張11:10頃
  2号 夕張11:30頃→新夕張11:50頃
  3号 新夕張14:15頃→夕張14:50頃
  4号 夕張15:00頃→新夕張15:25頃
■編成
  1号(追分→新夕張)    DE+C11 207+客車4輌
  1号(新夕張→夕張)・3号 C11 207+客車4輌+DE
  2号・4号            DE+客車4輌+C11 207
■指定券発売開始:1ヶ月前の10:00より

080808n1.jpgこれを受けて夕張ではさまざまな関連行事が計画されているそうで、三菱大夕張鉄道保存会の奥山道紀さんから「編集長敬白」をご覧の皆さんにぜひお知らせくださいとご連絡をいただきました。まずはJR北海道や夕張リゾートによるバス・ツアー「夕張廃線紀行」。夕張鉄道や三菱大夕張鉄道の蒸気機関車や各種鉄道資料が保存されている「石炭の歴史村・SL館」や、市内の廃線跡をバスで巡るツアーです。また同時に夕張リゾートでは夕張の鉄道に関する写真や映像を一般募集(→こちら)し、期間中上映・展示する予定だそうです。そのほかにも夕張駅前での屋台村「夕張市場」、ホテル・マウントレースイ内での鉄道模型運転会や、夕張駅内に旧夕張駅の模型や写真を展示して「ステーションミュージアム」とするなど、多彩な関連行事が予定されています。
▲昨年好評を博したC11 207の「夕張応援号」が今年も帰ってくる。'07.9.8 石勝線清水沢―鹿ノ谷 P:横田輝男さん(「今日の一枚」より)
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▲一時は存廃の岐路に立たされた「石炭の歴史村・SL館」。大夕張の4号や夕張の14号など貴重な車輌が収蔵展示されている。P:三菱大夕張鉄道保存会
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さらに、三菱大夕張鉄道保存会でも例年8月に開催している「汽車フェスタ」を、「夕張応援号」の運転に合わせて9月7日(日曜日)に開催し、「夕張応援号」の運行をバックアップするそうです。

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▲新夕張駅に到着した「夕張応援号」(左)。昨年の「汽車フェスタ」には三菱鉱業バス保存会所有のアンチークなバスも応援に駆けつけた(右)。P:三菱大夕張鉄道保存会
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▲三菱大夕張鉄道保存会所蔵の資料展示(左)のほか、スハニ6の荷物室を利用した喫茶スペース(右)も好評を博した。P:三菱大夕張鉄道保存会
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また、前日6日(土曜日)の夕刻からは、昨年好評を博した列車の点灯(昨年の様子は→こちら)が行われるほか、レトロな雰囲気のスハニ6を列車喫茶とし、ラッセルの汽笛の吹鳴やウィングの開閉実演も行なう予定だそうです。さらに、この「汽車フェスタ」に合わせて、保存会グッズとして新作DVDも制作中とのことで、9月の夕張はおおいに盛り上がりを見せるに違いありません。

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▲国道から見上げる碓氷第三橋梁の威容。明治年間に築かれた4連の巨大アーチは時空を超えて今なお人々を圧倒する。'08.7.16
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日本鉄道保存協会年次総会の打ち合わせを兼ねた下見で碓氷峠鉄道文化むらを訪れた際、高橋館長自らのご案内でひさしぶりに“めがね橋”こと碓氷第三橋梁を訪れることができました。

usui080807n2.jpg改めてご紹介するまでもないかと思いますが、碓氷第三橋梁は1891(明治24)年3月に軽井沢側より着工された碓氷線の要となる橋梁のひとつで、翌年4月から9ヶ月余りをかけて建築されたものです。高さ30mに達する見事な煉瓦積みのアーチ橋は、他に残されている第二、第四、第五、第六の橋梁とともに国の重要文化財に指定されており、現在では安中市の主要な観光スポットともなっています。
▲第三橋梁下り方の6号隧道は現在立ち入り禁止だが、ゆくゆくは「アプトの道」の延長として整備される予定という。'08.7.16
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▲地上30mの碓氷第三橋梁からの眺め。彼方には新線の碓氷橋が見え、静寂の中に身を置いていると、今にもロクサンに護られた「あさま」が姿を現しそうな錯覚にとらわれる。。'08.7.16
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すでに横川駅からこの碓氷第三橋梁上までの区間は、「アプトの道」と銘打たれた無料遊歩道として整備されており、今後は第三橋梁下り方の6号隧道から熊ノ平までの区間が引き続き整備される予定だそうです。この整備がなった暁には、遊歩道「アプトの道」で熊ノ平への散策を楽しみ、帰りはバスで横川に戻るというエクスカーション・ルートが出来上がることとなります。もちろんいつの日か、そのまま残されている新線下り線を使った特定目的鉄道としての横川~熊ノ平間の鉄道運行も期待されるところです。

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▲国道と逆側、第三橋梁(画面背後)へと昇る階段脇に残る“かまど”らしきものの遺構。よくよく注意して見ないと見逃してしまいかねない。'08.7.16
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さて、その碓氷第三橋梁の下に“かまど”が残されているのをご存知でしょうか。幾度となく傍を通っていながら、今回、高橋館長にお教えいただいて初めて知ったのですが、国道から橋梁上に昇る階段脇に、いかにも年代を感じさせる“かまど”の遺構が残されているのです。

usui080807n5.jpg碓氷線開通当時は、第三橋梁下り方の6号隧道入口に、引幕を閉じて煤煙が進行列車に纏わりつくのを防ぐための「隧道番」の住居があったとも伝えられていますが、この“かまど”は3連の炉を持つかなり規模の大きなもの。さすれば第三橋梁建設時のものかと思いきや、高橋館長のお話では、どうやら新線の碓氷川橋梁を建設する際のものらしいとのことです。たしかにコンクリート造りで、小誌刊『碓氷峠』の「碓氷峠の一世紀」所収の写真(225ページ)を見るに、ちょうどこの“かまど”の付近に大きな飯場らしき建物が認められます。
▲3基の炉のうち中央部からは木が生えてきてしまっている。人里離れた山中、この“かまど”で作られた賄いを囲んで、どんな生活が営まれていたのであろうか…。'08.7.16
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時あたかも東京オリンピック前年。この急峻な碓氷峠の山中で、人知れず新線橋梁建設に働いた多くの人々がいたわけです。その忘れ形見として残るこの“かまど”も、碓氷峠を語る上で欠くことのできない立派な産業遺産のひとつと言えるのではないでしょうか。

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名残の地鉄デ3533。

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▲「除雪機関車」として残されているため、側窓はすべてHゴム支持となっているが、日車ブリルの台車や救助網などトロリーファンにはこたえられないスタイルのデ3533。'04.12.5 南富山
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すでにお気づきのことと思いますが、このところ「鉄道ホビダス」上の「最新鉄道情報」の充実・速報ぶりには目を見張るものがあります。編集部にプレスリリースとして配信されてくる情報はもとより、独自のリサーチで全国各地のローカル・インフォメーションも極力ご紹介するように努めております。

toyama080806n2.jpgそんな中、一昨日のエントリーで個人的に気になるものがありました。富山地方鉄道に唯一残っていた“単車” デ3533がついに引退することになり、今週土曜日8月9日に最初で最後の撮影会が開催されるというのです(→こちら)。このデ3533、“単車”と表現するのは本当は正確ではなく、2000(平成12)年年末に「機関車」に種別変更されていますので、こう見えても電車ではありません。あえて言うならばB型機と表現すべきなのでしょうか…。
▲腰板部のシールドビーム2灯の前照灯が“目”のようにも思え、なんとも愛嬌のある表情。'04.12.5 南富山
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▲除雪用にも関わらず外見からは除雪装置が見えないが、それもそのはず、雪を掻くための除雪車ではなく、融雪剤を撒くための車輌。車内には融雪用塩化カルシウム散布用の大掛かりな機器が搭載されている。ちなみに、この時には車内の写真も撮らせていただいたのだが…。'04.12.5 南富山
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このデ3533はデ3530形5輌(3531~3535)のうちの1輌として1951(昭和26)年3月に日本車輌で製造された50人乗りの四輪電動客車です。先般刊行した服部重敬さんのRMライブラリー『富山地鉄笹津・射水線 ―デ5000系ものがたり―』の主役であるデ5000系とまさに同世代の車輌です。34輌もが新製されたデ5000系が笹津・射水線と富山市内線との乗り入れを踏まえたものであったのに対し、このデ3530形は市内線用の新車として誕生したものでした。

toyama080806n4.jpg弊社刊『私鉄の車輌10 富山地方鉄道・加越能鉄道』でもご紹介していますが、戦後製の2軸単車として極めて珍しい存在です。近年まで僚車デ3534も除雪用として残されていましたが、同車はひと足先に廃車(1999年)され、残されたこのデ3533も最近ではとんと出番がなくなってしまっていました。それだけに今回、廃車の決断が下されたのもやむを得ないのでしょうが、あの愛らしい姿を思い浮かべるとファン心理としてはなんとも残念ではあります。
▲廃車となって留置されていた僚車デ3534。こちらは正面左右の窓が2段となっていた。'00.4.20 南富山
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▲手元にあった昭和40年代の竣功図をお目に掛けよう。集電装置が現状のZパンタではなくボウである点にも注意。床面は出入口部から中央に向かって緩いスロープとなっている。
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ところでこのデ3533には苦い思い出があります。以前から南富山構内の側線に押し込められていたのは目にしていたのですが、4年ほど前、ありがたいことに構内でしっかりと形式写真を撮れる機会に恵まれました。ところが、どうしたことかあれほど撮ったはずのメインカメラのデジタル画像が消えてしまったのです。何かの手違いで消してしまったのか、はたまたメディアを入れ替えるなどしていまだにどこかに残っているのかわかりませんが、とにかく千載一遇の機会とばかり撮りまくった画像は、いま現在手元にありません。今日お目にかけているのは“サブカメラ”のつもりで使っていたライカM2での銀塩フィルム画像ですが、あくまでついで撮りのため数カットしかありません。それだけに、デ3533を思い浮かべるたびに、個人的にはデジタル時代の“怖さ”も思い浮かぶのです。

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▲洲崎駅(堤防とは反対側にホームが1本あっただけ)のほぼ真向かいの堤防上から見た武庫川線で、882単行が3線区間をやって来る。堤防上の道路は未舗装、線路も木製の架線柱が傾いているくらいだが、架線はコンパウンドカテナリーだった。’65.12.31 P:小西和之
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▲松の木が残っていれば目印になるだろうと思い、旧写真をもって定点写真を撮ろうと昨年暮れに再訪した。運良く松の木は同じ場所に同じ形で残っており、この上ない目印になったが、堤防の法面は埋められて道路が拡幅され、高い金網フェンスも立てられて同じ地点から線路を入れて写真を撮ることはできなかった。踏切へ下りる階段の部分からなんとか線路を入れて撮ったが、旧写真より架線柱1本分くらい松の木に近いと思われる。42年たっても松の木の変わらなさには驚かされた。当時使ったカメラと同じ焦点距離にして撮影。’07.11.30 P:小西和之
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一昨日も古村 誠さんからお寄せいただいた定点観測をご紹介した阪神武庫川線ですが、またしても見事な定点観測のお便りを頂戴しました。お送りくださったのはトワイライトゾ~ン・マニュアルでもお馴染みの小西和之さんです。まずはお便りをご紹介してみましょう。

080805n4.jpg「編集長敬白」で紹介されていました澤田節夫さんの阪神武庫川線・武庫川車輌の件、楽しく見させていただきました。私も澤田さんと同じ1965年の暮れに同じ場所を訪問しており、42年後の昨年暮れに今はどうなっているかと再訪してみました。澤田さんと重複するような写真は割愛しましたが、当時、甲子園口まで歩いた狭軌の線路には、沿線の家が建増してレールの上まで家屋が張り出していたりして(もちろん不法建築、残念ながらその写真は撮っていませんが、レールの上に家が建っているさまは異様でした)、今では考えられない情景でした。
▲狭軌レールの最先端部分はY字型に分かれて途切れていた。その部分に珍しくTHYSSEN 1926の刻印のあるレールが使われていた。当時はレールにはさほど興味がなかったが、THYSSENが珍しく写真に撮った。この線の建設時期からみて、どこかの線で15年余り使われた後、ここに敷設されたと思われる。このメーカーのレールには珍しく、仕向け先など一切刻印されておらず、どこで使われていたものかは今もって不明。’65.12.31 P:小西和之
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▲武庫川車輌の凸型入換車。大晦日なので工場建屋の扉はすべて閉まっており、敷地外からトタン塀越しに撮影。バックの空地には今は武庫川団地の高層アパートが立ち並んでいるが、当時は荒涼とした空地が広がっているだけだった。工場入口で標準軌と狭軌が分かれ、標準軌は川沿いにまっすぐ武庫川車輌へ、狭軌は右手へ分かれ、現在の武庫川団地駅あたりまで伸びて、そこでプッツリ途切れていた。現在の武庫川線はこの狭軌線の跡をそのまま利用していて、武庫川団地駅もちょうど線路が途切れていたところにある。武庫川車輌の工場跡地には分譲住宅が並んでおり、現在ではこんな工場があった痕跡はまったく残っていない。’65.12.31 P:小西和之
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昨年暮れに同じ区間を歩きましたが、線路跡は武庫川駅に近い部分のごく一部を除き阪神不動産の分譲住宅になっていて、路盤幅(複線分あったようです)をほぼ正方形くらいに区切った敷地に同じような住宅が延々と続いています。

080805n6.jpg武庫川大橋の駅部分は鉄道用地が広くなっていたため、ここだけは住宅の並び方が異なり、数本の行き止まりの私道を含む広い宅地に変貌しています。国道からホームに降りる階段は完全に消滅し、線路を跨いでいた国道の橋さえも埋められて国道も拡幅され、跡形もありませんでした。武庫川大橋から北は浄水場のような施設に取り込まれて路盤跡は消えますが、その施設の北にある水路の線路跡の延長部分と思われる地点には、かさ上げされた浄水場のコンクリート擁壁に突き当たって行き止まりになった古いコンクリート橋があります。たぶん線路跡だと思いますが、確証は得られませんでした。線路跡が武庫川から離れて直角に曲がり、東海道本線と合流する部分の三角形部にはマンションが建設中で、建設公告看板に描かれた敷地境界は見事な曲線を描いており、線路跡をしのばせます。
▲東海道本線・甲子園口から分岐してきた専用線が南へ直角に曲がって武庫川沿いになる部分にはマンション建設の公告看板が立っていた。その三角形の敷地境界は線路跡そのもの。上を左右に走るのが東海道本線、右が武庫川。’07.11.30 P:小西和之
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▲ついでに阪神国道線の「金魚鉢」92号も。大晦日とはいえ、国道2号はこんなにがら空きだった。電車にも乗客がほとんど見えない。武庫大橋 ’65.12.31 P:小西和之
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それにしても期せずしてこれほど多くの皆さんが武庫川線と接続する専用線に興味を抱き、ほぼ同時期に定点観測までされていたとは、本当に驚きです。恐らくこれは武庫川線固有の事象ではなく、各地で恒常的に同様の遺構探訪や定点観測が行なわれているはずで、それはとりもなおさず、わが国の鉄道趣味の奥深さを物語っているとも称せましょう。

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080804n1.jpg「鉄道ホビダス」上に皆さんからお寄せいただいているブログ「お立ち台通信」は、手軽で安全な撮影地ガイドのデータベースとして2006年2月に誕生して以来、多くの皆さんからご好評をいただいています。8月3日現在、ウェッブ上では768ヶ所もの撮影地が全国から寄せられており、トータルで30万アクセスに迫る大型ブログに成長いたしました。本日も全国から多くの撮影地が新着、今年中には1000か所を超える勢いで拡大しています。 そのブログから生まれた『お立ち台通信vol.2』が、7月22日発売以来、大変ご好評をいただいております。Vol.1と同様、本文は1ページ1ポイントの構成で、ご投稿いただいた美しい作例、国土地理院の地図、ガイドとなっており、見やすさを重視。今回の巻頭の特集は「磐越西線C57 180徹底ガイド」「新幹線0系ファイナルガイド」として、話題の列車をクローズアップいたしました。今日は編集を担当した『国鉄時代』の山下がこの『お立ち台通信vol.2』をご案内したいと思います。

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巻頭の「磐越西線C57 180徹底ガイド」では、昨年秋と今年の4~5月に「門デフ」に換装され改めて注目を浴びた「SLばんえつ物語号」の主な撮影地48ポイントを地図付きで詳細に解説。また、煙を重視したポイント選択となっているので、初めての訪問の際でも、まず迷うことはありません。阿賀野川に沿って四季折々、表情豊かな越後・会津路を駆け抜けるC57、何度訪れても感動を新たにしてくれるはずです。

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本年11月引退を前に「0系新幹線」3編成が登場時のブルーとアイボリーに復刻塗装され、山陽・九州路を走っています。「新幹線0系ファイナルガイド」では、アプローチの難しい新幹線沿線の中で、比較的簡単に手堅くその最後の勇姿が捉えられるポイントを、新幹線撮影の第一人者・辻 邦彦さんが解説いたします。

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いっぽう本文はJR北海道エリア29ヶ所、JR東日本エリア65ヶ所、JR東海エリア19ヶ所、JR西日本エリア39ヶ所、JR九州エリア15ヶ所、JR四国エリア13ヶ所、私鉄・専用線14ヶ所、計194ヶ所というラインナップで、夏季限定の夜行列車の撮影地、国鉄色の気動車で注目されている米坂線・大糸線、岡山機関区のEF65で人気の高まる山陽本線、予讃線など、ポピュラーなポイントから、投稿者秘蔵のポイントまで充実した構成となっています。また、今回より地図の解像度が上り、一層見やすくなりました。この一冊がカメラバッグや車のドアポケットにあれば、いざという時に大いに役に立つことでしょう。巻末の「お立ち台用語迷怪事典」もお楽しみください。

掲載線区
■JR北海道エリア/石北本線、宗谷本線、石勝線、根室本線、釧網本線、函館本線、千歳線、日高本線、室蘭本線、江差線
■JR東日本エリア/津軽線、奥羽本線、五能線、米坂線、東北本線、磐越西線、只見線、常磐線、武蔵野線、外房線、総武本線、京浜東北線、中央線、八高線、中央本線、小海線、大糸線、飯山線、羽越本線、信越本線、上越線、高崎線、武蔵野貨物線、東海道貨物線、東海道本線
■JR東海エリア/御殿場線、身延線、東海道新幹線、東海道本線、中央本線、飯田線、高山本線、参宮線、名松線、紀勢本線
■JR西日本エリア/大糸線、湖西線、東海道本線、東海道本線北方貨物線、関西本線、紀勢本線、福知山線、山陽本線、播但線、赤穂線、因美線、伯備線、呉線、芸備線、木次線、山陰本線、山口線
■JR九州エリア/鹿児島本線、長崎本線、香椎線、日田彦山線、豊肥本線、肥薩線、日豊本線、日南線
■JR四国エリア/予讃線、牟岐線、徳島線、高徳線、土讃線
■私鉄・専用線/太平洋石炭販売専用線、IGRいわて銀河鉄道、小湊鉄道、秩父鉄道、小田急電鉄、しなの鉄道、長野鉄道、名鉄名古屋本線、近鉄橿原線、南海高野線、叡山電鉄、阪急千里線、北近畿タンゴ鉄道

『お立ち台通信vol.2』
●A5判/オールカラー/244ページ
定価:1200円(税込)

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▲すばらしいコンディション(?)で展示されている北丹鉄道2号機。事情を知らない者にしてみると「保存機」と思ってしまいかねないが、実はレプリカ。'08.7.18 P:高橋一嘉
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先日、福知山を中心とした山陰本線・福知山線・舞鶴線の普通列車用として登場した223系5500番代を取材に行った編集部の高橋君が、行きがけの駄賃とばかりちょっと面白いものを見てきました。福知山を起点として河守(こうもり)までわずか12.4kmを結んでいた北丹鉄道(1971年廃止)の本社跡地に展示されている「2号機」です。

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▲そのフロントビューとバックビュー。立派な屋根とホーム、それにキャブ内を見学するためのステップまで設けられている。線路状態の悪さで知られた北丹だったが、展示線は豪華PC枕木。'08.7.18 P:高橋一嘉
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▲「北丹鉄道本社跡」の石碑とともに展示されている2号機レプリカ。周囲はすでに住宅地となっている。'08.7.18 P:高橋一嘉
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hokutan080803n10.jpg「北丹鉄道本社跡」の石碑とともにかつての北丹鉄道福知山西駅構内に展示されているこの「2号機」、山本武男さんのRMライブラリー『北丹鉄道 ―河川敷に消えた小鉄道―』をお読みになった方ならすぐに「あれっ?」と訝しく思われるはずです。それもそのはず、2号機は半世紀以上も前の1956(昭和31)年8月に廃車・解体されてしまったはずだからです。その2号機が艶やかな塗装を纏って展示されているのですからキツネにつままれたような気分にもなろうというもの…。
▲汽車会社の製造銘板までもが忠実に再現されている。'08.7.18 P:高橋一嘉
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▲水槽横に取り付けられた2号機のナンバープレートとキャブ側面の北丹鉄道社紋。'08.7.18 P:高橋一嘉
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実はこの「2号機」、4年ほど前に“新造”されたレプリカなのだそうです。かつてこの地にはC58 56が保存展示されていましたが、同機の保存場所が市内の“ポッポランド”に移り、入れ替わりにこのレプリカが展示されることになったようです。

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▲メーカー組立図をもとに再現したのか、連結装置はバッファー・リンク式(左)。右はキャブ内のバックプレートで、一応それらしくメーター類も取り付けられている。'08.7.18 P:高橋一嘉
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北丹は開業に際してこの汽車会社製のCタンク2輌を用意し、1・2号機としました。1号機の方は戦時中からボイラー不調で稼動状態にはなく、戦後、1952(昭和27)年には森製作所の手によってディーゼル機関車化改造を施されDC1となって再起しています(『森製作所の機関車たち』参照)。残る2号機も同様の改造を予定されていたものの、結局実現せずに、先述のように1956(昭和31)年には廃車されてしまいました。

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▲これまた賞賛に値する拘りようの足回り。第二動輪もきちんとフランジレスで再現されている。'08.7.18 P:高橋一嘉
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それだけに現車の“遺品”が残っていようはずもなく、残された図面類から再現されたものと思われますが、それにしても脱帽の拘りようです。かつてご紹介したように、伊予鉄道のクラウス(いわゆる坊っちゃん列車)には自走するものも含めて数多くの原寸大レプリカが存在しますが、世間的(?)に有名とは思えないこの北丹2号機がこれほど大掛かりに“復元”されようとは思ってもみませんでした。

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▲メーカー竣功写真に見る北丹鉄道2号機。優雅なキャブ出入口の曲線など、いかにも汽車会社らしい端正なCタンク機であった。P:汽車会社原図(『森製作所の機関車たち』より)

いま日本で蒸気機関車、もちろん認可ボイラーを持つこのクラスの蒸気機関車を新製しようとすると、ざっくり、トンあたり1000万円程度は必要と言われています。この北丹2号機は自重約16tですから、蒸気機関車としての同形機を作ろうとすれば1億6千万円はかかる計算となります。それだけにこの張りぼてのレプリカ、いったいいくらくらいしたものなのか、下世話な興味ではありますが気になります。

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▲北丹鉄道1・2号機竣功図。北丹は開業に際して同形2輌を導入して運用に充てていたが、1号機の方はすでに戦時中から休車状態となってしまっていた。(『森製作所の機関車たち』より)
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ちなみに高橋君の話では、現地に北丹鉄道の由来を説明する看板は設置されているものの、この2号機がレプリカであることを示す表示は見当たらなかったとのこと。ここまで忠実に再現されていると見学者の誤認を招きかねませんので、ぜひとも説明を加えていただきたいものです。

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▲西宮駅ホームから甲子園口方向をのぞむ。画面右手の側線は現在でも使われているが、かつてはこの先に武庫川の専用線がのびていたはず。'08.7 P:古村 誠
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6月23日から3回にわたってご紹介し(アーカイブ「43年前の武庫川線と武庫川車輌」参照)、また直後に「武庫川線アンソロジー」と題して定点観測をご紹介した阪神武庫川線ですが、アンソロジーをお送りいただいた茨城県の古村 誠さんが、その後7月6日と22日の2回にわたって現地を再訪されたとのことで、最新画像をお送りいただきました。

080802n6.jpg古村さんが今回撮影されたのは甲子園口(西宮)からかつての国道線との接続駅・武庫大橋までの、いわば専用線区間。戦時中に現在の武庫川団地付近にあった川西航空機に人員・物資を送り込むために建設されたもので、当然ながらゲージは3’6”。武庫大橋からは阪神車輌が走る関係で三線軌条となっていたのはこれまでにご紹介してきたとおりです。
▲専用線は西宮-甲子園口間は東海道本線と並行しており、現在でもその名残を見ることができる。写真は車窓から見た西宮駅から200mほど甲子園口方に残る鉄橋の桁。'08.7 P:古村 誠
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▲上の橋梁を地上南側から見たところ。一見するとまだ使われている桁のようにも見える。'08.7 P:古村 誠
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▲さらに50mほど行ったところにも別の橋梁が残されている。もちろん線路はすでに撤去されてしまっているが、桁には製造銘板が残されているのが見てとれる。'08.7 P:古村 誠
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「43年前の武庫川線と武庫川車輌」および本誌最新号でご紹介した澤田節夫さんの写真と地図に照らし合わせてご覧いただくと、見事な定点観測となっていることがおわかりいただけるかと思います。

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▲「編集長敬白」および本誌最新号の「トワイライトゾ~ン」でもご紹介した1964(昭和39)年撮影の澤田節夫さんの写真(地点①)と同アングルの現在。'08.7 P:古村 誠
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西宮から東海道本線に並行していた専用線の橋梁が今もって残されているのは嬉しい限りですが、甲子園口での分岐部はまさにマンション建設が始まるところで、もう少し遅ければこれほど鮮明な定点観測は残せなかったに違いありません。

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▲同じく地点①を南側から見た状況。ちょうどマンション建設工事がスタートするところで、数ヶ月後には辺りは激変しているものと思われる。'08.7 P:古村 誠

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▲武庫大橋駅手前、地点④の現状。本誌155ページ下段真中の写真と同アングルの定点撮影である。左を武庫川堤防、右を排水機場に挟まれた場所で、再開発も困難なのか当時の面影を色濃く残している。'08.7 P:古村 誠

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▲かつての武庫大橋駅付近(地点⑥)から南方武庫川方面を見る。この辺りはすっかり再開発されて線路のカーブどおりに住宅が建ち並んでいる。'08.7 P:古村 誠

「使用休止後50年以上残っていたこれらの遺構ですが、再開発の波は着実に押し寄せており、見られるのもあとしばらくと思います。使用休止からの年月が私の年齢と重なることもあり、感慨深いものがありました」と古村さん。かさねがさねありがとうございました。

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▲深夜の東大宮操車場に蝟集した485系の“海”。東北特急全盛の、まさに最盛期の国鉄車輌を象徴するシーン。'75.10 東大宮 P:浅原信彦
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本誌300号で、ご好評をいただいている浅原信彦さんの連載「ガイドブック 最盛期の国鉄車輌」の電車編がついに完結、今月発売の301号よりいよいよ機関車編が始まります。そのターニングポイントに単行本化第5弾「交直流・交流電車 新性能直流郵便電車」が発売となりました。第1巻(戦前型旧性能電車)、第2巻(戦後型旧性能電車)、第3巻(直流新性能電車/上)、第4巻(直流新性能電車/下)につづく5冊目で、在来線電車編がすべて揃うことになります。

080801n2.jpg『レイル・マガジン』で続く本連載は昭和43年10月ダイヤ改正、いわゆる「よん・さん・とう」の時点に在籍した全ての国鉄車輌を網羅しようという壮大な試みですが、第5弾「交直流・交流電車 新性能直流郵便電車」では近郊型の401・403・421・423系、急行型の451・453・455・471・473・475系、特急型の481・483・485系および581・583系といった交直流電車に加え、交流電車711系、交流・交直流の事業用車、そして電車初の郵政省所有者クモユ141を収録いたしております。

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▲山陽本線を軽快に下る581系の1M「みどり」。新大阪~大分を結んでいた「みどり」の581系は、わずか一年で481系へととって代わられた。'68.5 光-下松 P:浅原信彦
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■収録形式
401・403・421・423系:モハ400-1~25/モハ401-1~25/クハ401-1~22/クハ401-47~50/モハ402-1~20/モハ403-1~20/クハ401-51~90/モハ420-1~20/モハ421-1~20/クハ421-1~16、17~36、37~40/モハ422-1~30/モハ423-1~30/クハ421-41~106
451・453・455・471・473・475系:クモハ451-1~12/モハ450-1~12 /クモハ471-1~11、13、15/モハ470-1~11、13、15/クハ451-1~40/サロ451-1~26、101~105/サハ451-1、2、101/サハシ451-1~16/クモハ453-1~21/モハ452-1~21/クモハ473-1、モハ472-1/クモハ455-1~51/モハ454-1~51/クモハ475-1~53/モハ474-1~53/クハ455-1~75/サロ455-1~45/サハシ455-1~26
481・483・485系:モハ481-1~26/モハ480-1~26/モハ483-1~15/モハ482-1~15/クハ481-1~40/サロ481-1~51/サシ481-1~41/サシ481-15~39/クロ481-1~5/クロ481-51~57/モハ485-1~96/モハ484-1~96
581、583系:モハネ581-1~12/モハネ580-1~12/クハネ581-1~41/サハネ581-1~57/サシ581-1~35/モハネ583-1~106/モハネ582-1~106/サロ581-1~35
711系:モハ711-1~9/クハ711-1~36/クモハ711-901/クモハ711-902/クハ711-901/クハ711-902
事業用車:クモヤ493系/495系/クモヤ791-1
郵便車:クモユ141-1~10
諸元表

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ご存知の通り、「よん・さん・とう」での最大の出来事は東北本線全線電化でした。つまり、今回収録した交直流電車たちこそ、「よん・さん・とう」の立役者だったことになります。今回収録した車輌の形式のなかには今なお活躍を続けるものも少なくありませんが、そうした車輌たちの若き日、全盛期の姿をお楽しみいただける決定版です。ぜひお手にとってご覧ください。なお、この機会に品切れとなっていた第1巻および第4巻の再版も完成しました。第5巻と合わせてお楽しみ下さい。

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▲宇部新川駅を発車して塩田川沿いに琴芝駅に向かう南福岡行きの421・423系ローカル。この当時、421・423系ローカルは小郡経由で宇部線にも乗り入れていた。'70.5 琴芝-宇部新川 P:浅原信彦
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『ガイドブック最盛期の国鉄車輌』第5巻「交直流・交流電車 新性能直流郵便電車」
・A4判変形(本誌同寸)/244ページ
・定価2200円(税込)

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レイル・マガジン

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