私鉄・気動車

筑波鉄道 キハ811 (私鉄・気動車)

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もと雄別鉄道キハ104。1962年新潟鉄工製で、104 、105はほぼキハ20の窓配置にキハ22の小型1段上昇窓を組み合わせたような独特の形態をもっていた。1970年、雄別鉄道廃止にともなって同系列6輌すべてが関東鉄道に移り、唯一片運転台だった106のみ常総線に配置、残り5両は筑波線に配置された。筑波線が筑波鉄道として分離された後もそのまま残ったが徐々に廃車が進み、1987年の路線廃止時に残っていたのは811のみだった。これは廃線を1週間後に控えた土浦駅での姿。 '87.3.25 土浦 P:小西和之

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関東鉄道 キハ350形 (私鉄・気動車)

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1987年〜1992年国鉄事業清算団とJR東日本からキハ35を19輌とキハ36を5輌購入、ドアステップの埋め込み・キハ35のトイレ撤去・塗装変更を行いキハ350形351〜3523の23輌が1988年より常総線に投入され同線の旧型車を置き換えた。1989年から全車に冷房化改造、1983年〜1996年10輌にエンジン交換(DMF13HZ:230PS)と変速機交換(DF115A)、が行われた。自社発注の新型車配備により1997年から引退が始まり2011年10月に運用から退いた。17輌は廃車であるが6輌は休車となっている。写真は最後まで現役であった 3511(元キハ35-187)+358(元キハ35-113) である。引退前の2か月間惜別のヘッドマークが取り付けられた。 '11.10.8 常総線 黒子-大田郷 P:楢井勝行


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岩手開発鉄道 キハ202 (私鉄・気動車)

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1968年に新潟鐵工所で製造された両運転台の自社発注車、先頭部は切妻非貫通、側面は、出入りドアは2箇所、窓は上段固定で下段上昇式となっていた。終点の岩手石橋行きは朝、夕に1往復、途中の日頃市まで朝1往復と、朝に乗車するには盛で宿泊しなければならなかった。1992年4月に旅客営業が廃止になり、しばらく盛駅構内に留置されていたが2002年に解体された。 '92.3  岩手開発鉄道 岩手石橋 P:藤村岩雄


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会津鉄道 キハ8500 (私鉄・気動車)

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JR東海キハ85系の名鉄版して1991年3月に登場、老朽化の進んだ名鉄キハ8000系を置き換えた。2001年9月「北アルプス」が廃止されると会津鉄道に移籍、「AIZUマウントエクスプレス」に使用され東武鉄道鬼怒川温泉やJR磐越西線喜多方まで乗り入れた。特急列車の設備とキハ85系同等の走行性能を有していたが会津鉄道にはいささかオーバースペックであり2010年5月に引退した。 '07.12.23 磐越西線 喜多方 P:楢井勝行

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MR-100形 MR-200形 (私鉄・気動車)

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1988年4月に第三セクターの松浦鉄道 西九州線が開業する際に、新潟鉄工所(現・新潟トランシス)により前面貫通形のMR-100形が11両、前面非貫通形のMR-200形は5輌が製造された。両形式とも16m級のセミクロスシート車で基本構造は同一である。開業以来、有田-佐世保間の全線で運用されてきたが、製造から長期間が経過し老朽化が進んだことから新形式のMR-600形に順次置き換えられ、MR-200形は2007年中に運用が終了。MR-100形についても111、125、126の3両が2012年3月25日にラストラン・イベントを行い運用が終了した。 '89年 松浦鉄道西九州線 たびら平戸口 P:田井 直

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