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▲有蓋車を連ねた貨物列車を牽くED20形。栗原電鉄の貨物列車は鉱山関連のみならず、途中駅への農産物や肥料などの発着も少なくなかった。 P:高井薫平 (RMライブラリー『栗原電鉄』下巻より)
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1984(昭和59)年に行われた国鉄の貨物輸送改革は連絡する私鉄路線にも大きな影響を与えましたが、細倉鉱山を擁する栗原電鉄はなんとか貨物輸送を継続しました。しかし、それもつかの間、急激な円高から細倉鉱山は1987(昭和62)年に閉山し、ついに貨物輸送が消滅しました。それでも地域の足として栗原電鉄の存続が図られ、1993(平成5)年に経営が第3セクター化されたのに続き、1995(平成7)年には動力を内燃動力化し、社名も「くりはら田園鉄道」として再出発を果しました。しかし、2007(平成19)年にはついに全線が廃止されたのはご存知の通りです。
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▲1955(昭和30)年の電化以来、主力は3輌のM15形であったが、1991(平成3)年には福島交通からモハ5300形2輌が転入し、M18形となった。 (RMライブラリー『栗原電鉄』下巻より)
電鉄時代の栗原と言えば、正面2枚窓の電車と、凸型のED20形電気機関車を思いうかべる方が多いかと思いますが、上巻でもご紹介した通り、電化されたのは戦後の1950(昭和25)年、そして1067mmに改軌されたのは1955(昭和30)年のことで、電化までは2輌のガソリンカーの除けば蒸気機関車が牽引する列車がすべてでした。創業から電化までに入線した蒸機は延べ11輌に及びます。電化時に電気機関車3輌と電車2輌が導入され、さらに電車は1輌が増備されました。しかし改軌時にはまだ車齢数年の電車は全て下津井電鉄に譲渡されてしまいました。
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▲改軌後は新造のM15形3輌が主力となったが、それらを補完するため木製車3輌が入線した。しかし、これらはまもなく鋼体化された。(RMライブラリー『栗原電鉄』下巻より)
本書後半では762mm非電化の時代から、電化、改軌、そして晩年の内燃動力の時代まで、創業から廃止までの車輌群について通観しています。ご存知の通り、若柳駅跡のくりはら田園鉄道公園では多数の車輌が保存されており、さらに廃止から10年の節目となる本年4月1日には資料館である「くりでんミュージアム」もオープンしました。指定日にはKD95形などの動態保存車輌による「くりでん乗車会」も実施されており、いまも「くりでん」に乗ることができるのはうれしい限りです。秋の一日、本書を片手に懐かしの「くりでん」訪ねてみてはいかがでしょうか。
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