▲「ありがとう7000形イベント」で展示された7022、7002、そして7001。 2017.6.11 荒川車庫 P:RM(取材協力:東京都交通局) 都電7000形の稼働車最後の1輌であった7022号車が6月10日をもって運用を終了し、翌11日には荒川車庫で「ありがとう7000形イベント」が開催され、多くのファンが別れを惜しんだ。 7000形は形式としては1954(昭和29)年から製造されたが、現在の7000形は都電の大部分が廃止された後、3次車(1955~56年製)のうち荒川線に残った31輌を1977(昭和52)年から翌年にかけてワンマン・ステップレスの新造車体に更新したものである。▲7022の車内と運転台。車体はアルナ工機で新造されたものだが、旧車体から受け継がれたマスコンには日本車輌の鋳出文字が見える。 2017.6.11 荒川車庫 P:RM(取材協力:東京都交通局)■新7000形登場のころ 1977(昭和52)年秋のある日のこと、東池袋四丁目で電車を待っていると、珍しく6000形がやってきた。当時の荒川線の昼間は赤帯の7000形と7500形がほぼすべてであって、荒川線しか都電を知らない私は6000形を実際に見るのも乗るのも初めてであった。実は7000形の「工事」のために、この時期、6000形が昼間も活躍をしていたというのはずいぶん後で知ったことである。 車掌さんの案内も気になり、後部に陣取って過行く線路を眺めていると、巣鴨新田を過ぎたあたりだろうか、続行の電車が見え隠れしているのに気づいた。ただ、遠くに見えるそれは、見慣れた7000形でも7500形でも、ましてや6000形でもない、見たこともない電車だった。恐る恐る車掌さんに尋ねると、数日前から動いている「新しい電車」だというではないか。正確に言えば更新車とは言え、ネットもなく予備知識などない時代、何かの本で7500形を”都電最後の新車”と書いてあったように覚えていたし、そのように理解していたから、大変驚いた。 王子で降りて待っていると、まだ新幹線の高架もなく明るかった停留場に、ピカピカの「新」7000形が入ってきた。ベースこそ同じ黄色系ながら、直線基調に前面1枚窓の全く新しいデザインは、ただただ大変衝撃的であったのを、今でもはっきりと覚えている。▲早稲田で折り返しを待つ旧車体の7087。この年の秋には新車体となり、車号は7030となった。 1977年夏 早稲田 P:高橋一嘉▲冷房改造前、まだビューゲル時代の7000形が並ぶ荒川車庫。偶然にも今回のお別れイベントで展示された7022と7002の姿が見える。 1989.3.21 荒川車庫 P:高橋一嘉 何を大げさに、と思われるかも知れないが、当時は全国的に見ても路面電車の新造車体など、嵐電を除けば、もう10年間も途絶えており、まもなく京都市電も廃止と言われていたころのことである。都電7000形の台車 D-20A