
いささか前の話になるが、『大榮車輌ものがたり』を編集しているとき、気になったことがあった。大榮車輌が創業した場所のことである。
大榮車輌は千葉県津田沼で長く操業し、後に宗吾参道に移転したことは広く知られているが、その創業は1946(昭和21)年、東京都城東区大島町3丁目245番地だという。城東区は現在の江東区の一部にあたるが、大島町3丁目245という地番は現在は存在しない。というわけで地元の図書館に出かけてみたのは、一昨年の暮れのことであった。
明治以来の歴史があるという深川図書館に出かけてみると、館内の郷土資料室に1965(昭和40)年施行の住居表示の新旧対照案内図が保存されており、大島町3丁目245は、大島3丁目15番付近であることがわかった。そこは現在の都営新宿線西大島駅近く、あの竪川専用橋から続く都電29・38番の専用軌道沿い、かつての大島三丁目電停のすぐ近くだった。
結構知られた場所じゃないか・・・と思いながら、資料を書棚に戻そうとすると、並びに昭和33年版の住宅案内図があった。大榮車輌は1952(昭和27)年には津田沼に本拠を移しているので関係ないか、と思いながら開いてみると・・・
「あっ・・・」
そこには「志村」と書かれた、大きな区画が描かれていた。読まれた方ならご存知と思うが、大榮車輌の創業者は志村榮さんである。津田沼移転後も土地はそのままだったのか、あるいは地図の改訂が遅れていたのか、どちらにせよここが大榮車輌創業の地と考えてよいだろう。ちなみにあまり関係ないとは思うが、南側には国鉄千葉鉄道管理局大島寮と書かれている。

その足で現地に行ってみると、千鉄局大島寮があった場所は城東郵便局になっていたが、その北側の「旧245番地」付近は、完全に住宅街と化していた。

最後に、大榮車輌創業から1年余り後の1947(昭和22)年9月に撮影された大島町三丁目付近の空中写真を見てみよう。まだ焼け野原が広がるこの土地で、大榮車輌はスタートしたのである。

