←その9 その11→日本三景のひとつ、天橋立は、一見陸続きのように見えて、南側2箇所で途切れていて、橋で繋がれている。このうちの一箇所が「小天橋」と呼ばれる可動橋である。この橋が架かるのは宮津湾と内海の阿蘇海を結ぶ文殊水道(別名:天橋立運河)で、阿蘇海に出入りする船は必ずここを通ることになる。観光船の案内を見ると、朝夕のみここを通る宮津発着の便がある。この時刻に合わせて現地を訪ねた。(拡大可)さすが日本三景、周りには土産物屋が立ち並び、観光客がひっきりなしに渡っていく。他の可動橋とは全く異なる雰囲気。橋自体も転車台のように回転する「旋回橋」(地元では回旋橋と呼ばれている)なので、橋の上には構造物はない。警報機や遮断機もなく、北側に目立たないように操作室がある。(拡大可)橋の袂で待っていると、係員さんがやってきて鎖で橋を封鎖。橋が旋回をはじめた。観光船の時刻より少し早いが…。(拡大可)宮津湾側を見ると明らかに観光船ではない、なにやら「カッコいい」船が2隻やってくる。(拡大可)一見、一隻の貨物船のようだが、よく見るとタグボートのような小さな船(押船)が艀(ハシケ)を押しているようだ。艀に書かれた機能第一の番号標記が魅力的だ。船にはかつての加悦鉄道と同じ「双輪」のマークが。そう言えば、ここは加悦のすぐ近くだ。荷を満載した船の通過を待っていたように、今度は阿蘇海側から空荷の船がやってきた。後で調べてみると、遠くニューカレドニアから来たニッケル鉱輸送船の荷を宮津湾上で積み替え、阿蘇海に面した岩滝町の工場までシャトル輸送しているらしい。(拡大可)かつては船で渡していたというここに可動橋が架けられたのは大正12年のこと。昭和35年に電動化されるまでは手動だったそうだ。転車台と違って渕を歩けるわけでもないのに、一体どういった構造だったのだろうか。(拡大可)現地にいた時間は50分程度だったが、その間だけでも5回船が通過し、その都度橋が回される。居合わせた観光客も橋が回るという珍しい光景に見入っている。観光ルートと産業の動脈が交差する、不思議な光景だった。(つづく)→バックナンバー