←その6 その8→ 山陽本線が下関を発車して車輌基地の横を抜けると、ちょっと高い鉄橋を渡る。皆さんご存知のことと思うが、渡った先は彦島という関門海峡に浮かぶ島である。つまり橋が跨ぐのは「川」ではなく小瀬戸という「海峡」。下り列車では車窓左側は関門海峡を経て瀬戸内海へ、右側は日本海へと抜けている。この山陽本線の橋の少し日本海側に、水門橋というちょっと変わった可動橋がある。 本州側から見た水門橋(橋が上がっている時)。1982(昭和57)年に完成した昇降橋である。その名の通り、海峡を仕切る2つゲート(下関漁港閘門)の間に掛けられたもので、左に見えるのが瀬戸内海側のゲート。ちなみに写真では見えにくいが、橋の手前を線路が左右に横切っている。これは下関駅から小瀬戸に沿って下関漁港へ伸びていたの貨物線の跡。地図上に表記は残るものの、残念ながら部分的に線路が残るのみとなっていた。 彦島側から見た水門橋(通行可能時)。立体駐車場を大きくしたような構造である。 自動車通行可能時間帯の表示。つまり水門橋が下がっている時間。 歩道は2つのゲート上に付いているので、水門橋が上がっていても通船時以外は通行できる。 日本海側のゲート上から見た下りている時の水門橋。奥に見えるのは瀬戸内海側のゲート。海峡といってもこの部分はこんなに狭い。 関門海峡側のゲート上から見た上がっている時の水門橋。奥が下関漁港。橋は上がっていてもゲートが締まっていては船が通れないではないか…と思われるかも知れないが、ここはパナマ運河などと同じく水位を調整して船を通す「閘門」。つまり、船が来たときだけ片方のゲートを開け、いったん船を閉じ込めた状態で水位を調整してから反対側のゲートを開く。簡単に言えば船のエレベータである。もちろん、通船が可能なのは水門橋が上がっている時間帯ということになる。水位を調整して船を通す閘門自体は東京にもあるのだが、上を可動橋が跨いでいるのはここだけだろう(→追記参照)。 関彦橋から見た下関漁港閘門と水門橋。この閘門自体の歴史は水門橋よりずっと古く1936(昭和11)年に建設されたのが最初と言う(現在のゲートは銘板によれば1986年製)。この閘門が小瀬戸を仕切ることで瀬戸内海と日本海の干満の差による潮流の発生を抑えており、日本海側の袋小路となった部分には下関漁港がある。つまり、下関漁港を守っている閘門ということになる。(つづく)→バックナンバー 2008.7.9追記 兵庫県尼崎市の「尼崎閘門」(通称:尼ロック)上にも関係者用の旋回橋があるそうだ。