1925(大正14)年に川崎で製造、記録では神戸に新製配置とある。1930(昭和5)年には新見に配属(その後糸崎に移動)されていたようだ。1938(昭和13)年夏に糸崎から三次に転属の記録があり、三次区の8620形では最古参のグループになる。芸備線や福塩線で活躍し、最後は三次~福山間の貨物列車牽引、三次駅構内の入換えなどに用いられた。1970(昭和45)年秋、和歌山に転属したが、1972(昭和47)年春に廃車となり、現在は和歌山県五條市で静態保存されている。 ’70.4 芸備線 三次 P:清原正明【ご投稿方法の変更】システム変更による投稿フォーム不具合が改善できずご迷惑をお掛いたします。当分の間、投稿フォームを使用せず、〔件名〕を 「消えた車輌写真館 車輌名 お名前」(例:消えた車輌写真館 D51 838 山下修司)にして、kietasyaryo@neko.co.jpにお送りください。