1966(昭和41)年、ラッシュ時の混雑緩和対策として、20m級4扉の高性能車が出現、強化プラスティックを用いた正面の斬新なデザインと共にローレル賞を受賞するなど大きな話題となった。都合2編成4輌が登場し、さらに3扉の10形も1編成登場した。長野オリンピックを機会に営団日比谷線車輌を大量に譲り受け、0系は廃車となった。地方の私鉄が首都圏の大型通勤電車を譲り受けて用いる姿はさほど珍しくはないが、4ドアの本格的な大型通勤電車を「新製」したのは唯一ではないかと思われる。 ’77.8 長野電鉄 柳原─村山 P:永野晴樹