欧米では二階建て車輌は戦前から存在し、ドイツでは蒸気機関車による二階建て客車のプッシュプルトレインもあったほどであるが、いわゆる電車では世界最初の二階建てと言われる近鉄10000系は、歴史的電車と言えるだろう。両端に2輌の電動車、中間は2輌のビスタドームを含む3輌の連接式トレーラーで、中間車も両端に運転台を装備していた。合計7両編成であるが、後に名阪直通用の新ビスタカーの登場により主役の座を譲り、乙特急と呼ばれる途中駅停車の大阪上本町・宇治山田間の特急に用いられた。写真は宇治山田寄りの電動車をはずした編成である。この編成でよくも大阪線の急勾配区間を走ったものである。宇治山田寄りの先頭車モ10007は1966年11月5日河内国分駅での追突事故により大破、18200系のような貫通式の形態で復旧した。後にスナックカーの増備や、座席指定のコンピューター化により、特殊な車輌なので、いち早く廃車となった。 ’66.8 近鉄大阪線 関屋-二上 P:永野晴樹