キハ35系はJRでは久留里線のキハ30形を除き絶滅した。そもそもキハ35系は非電化で取り残されていた関西本線の大阪口の通勤輸送緩和のため、昭和35年12月より投入されたものである。通勤型のため、101系電車よりひどい内装であったが、天王寺~奈良間を近鉄奈良線に対抗して快速は30分で走破した。登場時は朝のラッシュ時に蒸機牽引のオハ31系の長大編成をキハ35系6連に置き換えたため、混乱が生じた。後にトイレなしのキハ36も増備してやっと落ち着いたかに見えたが、沿線の通勤客を捌くのには四苦八苦の状態であった。関西本線は、河内堅上付近に10‰の勾配があるものの、近鉄奈良線より線形が良いので、キハ35系の快速は目一杯の速度で走った。後にキハ35系は全国に登場したが、このような速度で運転したのは、湊町~天王寺~奈良間が唯一であろう。ちなみに停車駅は王寺と大和郡山のみで、現在の大和路快速より早かった。 関西本線 加美─久宝寺 P:永野晴樹