DD91の量産機として1966(昭和41)年6月に従来のDLにはない独特なスタイルで登場した。形式番号が54になったのはDD53の次に造られた形式であるため。’68年山陰本線湖山駅で下り急行[「おき」を牽引中2号機が推進軸折損のため脱線転覆事故を起こし、続いて翌年の’69年11月に11号機、14号機が続けざまに同様の重大事故を起こした。その後推進軸の強化などの対策がとられ、’74年の山陰本線完全無煙化により活気を取り戻すかのように思われたが、この頃から液体変速機故障が多発し’78年6月、全機運用から離脱した。写真はは’71年12月24日に落成し‘77年11月14日付けで廃車された同形式中もっとも短命だったラストナンバー機。 ’72.11 山陽本線 尼崎─大阪 P:高橋 明