昭和40年代初頭は、D50はまだ石炭輸送の上で大きな比重を占めていた。昭和40年の配置表によれば滝川6輌、岩見沢10輌、追分8輌、鷲別5輌と、29輌が健在で、この4機関区のD51の配置総数が55輌だから、主力機の34%はD50だったことになる。359号機は1931(昭和6)年川崎車輌製。’67年8月、廃車となっている。’67年頃 岩見沢 P:笹本健次