1972(昭和47)年当時、山口線管理所には8輌のD51が配置されており、4往復半の貨物列車と1往復の旅客列車を牽引していた。旅客列車は益田発5:44の522レと小郡発15:32の521レで、この写真は小郡で発車を待つ522レである。1025機は山口線管理所では唯一の戦時型だが、ドームは標準型のものに置き換えられている。同管理所では鷹取式集煙装置が主流の当時の中国地方にあって、唯一長野式で統一されていた。 ’72.4.29 小郡 P:山下修司