紀勢本線で活躍後、亀山機関区に転じ、信楽線の貨物列車を中心に活躍。同機が運用についていた1973(昭和48)年ごろは、草津線は無煙化されており、亀山から柘植までは回送をかねて草津線に直通するDD51の貨物列車の後部補機を務め、柘植で一休みし貴生川に単機で回送、信楽線を一往復したのち、貴生川からDD51の貨物列車の後補機となって亀山に帰るといういたってのんびりとした運用だった。信楽線は貴生川〜信楽間わずか14.8キロだが、途中33‰の急勾配があり、編成は短いながらもブラスト音も高らかに挑んでいた。312号機に装備された重油タンクは近畿地方によく見られる嵩の高いタイプ。なお同機は現在は愛媛県五十崎町に静態保存されている。’73.5.16 関西本線 柘植 P:山下修司